著者の略歴−1895年秋田県生まれ。東洋大学専門部倫理学科卒業。民俗学者。柳田国男に師事,精力的な民俗調査・研究で日本の民俗学発展に尽力。大妻女子大学教授,日本民俗学会評議員などをつとめる。著書に『女の民俗誌−そのけがれと神秘』(柳田賞受賞),『海女』『若者と娘をめぐる民俗』など多数。学術文庫に『食生活の歴史』がある。1984年没。 すでに故人となってしまった筆者だが、本書からは教えられるところが多い。 筆者のような人物が、どうして女性運動の主流にならなかったのか。 もし、彼女の書いた物がひろく読まれていれば、現在のような貧弱な女性運動にはならなかっただろう。 働くことを知らない大学フェミニズムと違って、筆者の視線は、徹底して「働く女性」に向けられている。
農業が主な産業だった時代、人間の身体以外にたよるべき労働力はなかった。 漁民などを別にすれば、土地を耕す以外に働きようがなかった。 多くの人たちが生きていくためには、土地が求める規定性に従わざるを得なかった。 現在から見ると、それがどんなに理不尽でも、土地の縛りから離れては、誰も生きていけなかった。 本書では当たり前のことが、きっちりと前提されている。 近世、家というものは、非常に血縁的人情的にばかり考えられていたが、農家のように家の耕地を家族の労力で経営して家族の食糧を得るという風に、家が職場である所では、家族が一つの労働組織であるという観点に立たなければ、手で働いて生活した人々の共同生活がわからないと思った。白川村の別居夫婦も、めいめいの生家の労働単位として甘んじて生活し、そうした大家族の維持統制の為に、分家も行わず、二・三男の妻の婿方への引移りもなく過したことであろう。P20 別居生活でも、足入婚でも、それが成立するには、農業という産業が要求する必然性がある。 筆者はかつてを生きた人々の生活を、その当時の生活に沿って理解しようとする。 足入婚だから、女性の人権が無視されているとはいわず、労働力の分配の問題として理解しようとする。 飛騨の白川村の二・三男とその妻たちが終生同居しなかったというのは、今日からみれば奇形的な現象にみえるにしても、婚姻のある期間夫と妻が別々の家に属しておった婿入婚の理解を助けるものである。その根底に娘や妻が、つまり婦人が、確固たる労働要員であったことを発見する。娘が生家から惜しまれる理由の一つはそれである。都市の生活では妻の任務の主体が産育や家事であると思われ易いが、職業の分化しない昔ほど、田舎ほど、家事の内容が大きい。村の婦人にはその大きい家事の他に農耕・採取の労働があり、衣料の調製があった。P82 乳幼児死亡率が高かった当時、無事に成人した人間の労働力は、とても貴重だった。 娘の労働力も同じように貴重だった。 1人の娘が他家に嫁いでしまえば、1人の労働力が失われることを意味した。 そのため、数日おきに婚家と生家を行き来する例さえあった。 それは村内婚が多かった、つまり通婚権がきわめて狭く、簡単に行き来できる範囲で結婚したことを物語る。
女性の労働力が大切だったがゆえに、足入婚とならざるを得なかった、と言う。 何という暖かい見方であろうか。 今風の女性の人権を言い出せば、全員が生き延びることが不可能になりかねない。 人権よりもまず生命の維持である。 女性には今日流の人権がなかったが、同様に男性にも人権はなかった。 人権などを云々することは、土地が許さなかったのだ。 土地を細分化していけば、結局、家が存続できなくなる。 結果として、多くの人が生き延びることはできない。 とすれば、長子相続とならざるを得なかった。 次・三男や次女・三女は結婚すらできなかった。 本家の居候として一生を過ごすことさえあった。 その場合でも、もちろん、彼等・彼女たちは労働力だった。 だから、本家に居続けることができたのだ。 人権が云々できるようになったのは、人間の生活が土地の縛りから自由になってからである。 近代の工業社会になって初めて、人権を言うことができたのである。 田畑を耕作する農業の職場が家に所属し、それの生産に要する労働力も、生活に要する物資も自給自足を原則とする前時代の農家では、農業生産と収穫物の消費が循環して、一家族の生存を維持する、という生活様式で、どこまでが家事労働で、どこまでが生産労働であるか、その境目が不明瞭であるが、生活の中心となるものは常に食物であった。収穫の半ば以上を責米として納入する責任は、戸主の名に於て行われたが、残った屑米や雑穀で数人の家族に、何をどれだけ食わせて、死なぬように生かして働かせて生計をたてて行くか、という事は、主として主婦の技量に期待せられた。P241 生産労働の現場から離れてしまった学者たちが、農耕社会では女性の人権が無視されていたという。 しかし、女性の人権を今日のように大切にしたら、女性も生きていけなかっただろう。 かつての女性は、それほど愚かではなかったから、生きるための価値観を優先した。 そして、女性の人権がなかったのと同じ程度には、男性の人権もなかった。 本書は人間が自分の身体で生きてきた、厳しい時代の社会構造を充分に理解した上で、そこに生きた女性たちに暖かい視線を投げかけている。 女性の解放は、女性の経済的な自立によるしかない。 農耕社会の女性たちは、経済的に自立していた、と言っても過言ではない。 農業を知る筆者だからこそ、現在の家族を見れば、稼がない専業主婦など許すことはできないに違いない。 産業構造を無視しては、いかなる女性論も成り立たない。 そして、情報社会となれば情報社会の生き方がある。 農耕社会の特性を良く知ることによって、現在の社会の特性にしたがった生き方を提示できる。 大学フェミニズムは、労働の現場を知らないから、空理空論を振りまわしている。 結果として、働く女性たちから見捨てられてしまった。 我々の先祖は、どんな生活をしたか。 人間は辛いだけでは、生きていけない。 厳しい肉体労働のなかでも、女性はもちろん男性たちも、楽しい時間を持とうとしたし、持っていた。 本書はつい最近に生きた先祖たちの生活を、精確に浮かび上がらせてくれる。 フェミニズムに親しみを持つ女性は、是非とも本書を読むべきである。 そして、情報社会化する今、核家族が女性の自立にとって、大きな足かせになっている。 (2006.10.03)
参考: 榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973年 エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987 伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975 水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 一番ヶ瀬康子、奥山えみ子「婦人解放と女子教育」勁草書房、1975 堀場清子「青鞜:女性解放論集」岩波文庫、1991 アン・ポリン「イヴ・内なる女性を求めて」現代書館、1990 サラ・ブッラファー・フルディ「女性の進化論」思索社、1989 石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001 末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994 下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993 ジョン・マネー、パトリシア・タッカー「性の署名 問い直される男と女の意味」人文書院、1979 シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない 選択の時代の新シングル感覚」中公文庫、2000 瀬川清子「村の女たち」未来社、1970 田嶋雅巳「炭坑美人 闇を灯す女たち」築地書館、2000 ナオミ・ウルフ「美の陰謀 女たちの見えない敵」TBSブリタニカ、1994 お茶の水女子大 生命倫理研究会「不妊とゆれる女たち」学陽書房、1992 藤田真一「お産革命」朝日文庫、1988 新村拓「出産と生殖観の歴史」法政大学出版局、1996 イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994 J=L・フランドラン「農民の愛と性 新しい愛の歴史学」白水社、1989 モリー・マーティン「素敵なヘルメット 職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992 井上清「 日本女性史」三一書房、1948 クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966 ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965 ボンテンディック「女性 自然、現象、実存」みすず書房、1977 シェア・ハイト「なぜ女は出世できないか」東洋経済新報社、2001 カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995 カミール・パーリア「性のペルソナ:上・下」河出書房新社、1998 エヴァ・C・クールズ「ファロスの王国 T・U 古代ギリシャの性の政治学」岩波書店、1989
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