匠雅音の家族についてのブックレビュー   子どもたちの近代|小山静子

子どもたちの近代
学校教育と家庭教育
お奨度:☆☆

著者:小山静子(こやま しずこ)  吉川弘文館 2002年 ¥1700−

著者の略歴−1953年、熊本市に生まれる。1982年、京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。主要著書「良妻賢母という規範」「家庭の生成と女性に国民化」
 教育というと学校で行われるもの、というイメージがある。
しかし、成長の過程で身につけるものは、学校だけで与えられるのではない。
むしろ、家庭で身につけるもののほうが、多いかも知れない。
そこで、筆者は家庭教育に注目していく。
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子どもたちの近代

 わたしたちはなにげなく家庭教育という言葉を使っているが、そういう言葉は超歴史的に存在していたわけではなく、家庭教育とは歴史的概念なのである。親愛の情で結ばれた家庭で、愛され、教育される子どもの姿もまた、20世紀になって一部の階層で出現し、やがて一般化していったものであった。そういう意味では、子どもの教育を学校と家庭という認識枠組みでとらえ、学校と家庭とが子どもの教育の中心的な担い手となるのは、20世紀においてであるといえるだろう。P3

 当たり前のことを言っているに過ぎないが、こうした認識をもっていない論者がいかに多かったことか。
学校とは近代の産物であり、藩校や寺子屋とは異種のものなのだ。
武士の通った藩校は、藩主のために有能な武士を作るためのものである。
寺子屋は家業を継ぐのに必要な知識を得るところだった。
いずれも前近代の価値観が支配していた。

 学校は国民国家の成立と共にできたもので、近代国家の市民を養成する機関だった。
西洋諸国にあっては、近代国家は市民社会と重なっていたから、市民の育成が国民の育成に連なっていった。
国家が市民を育てるのではなく、市民が国家を支えたのだ。
しかし、遅れて近代化に踏みだした我が国は違った。

 国家が主導する形で、近代化がはじまった。
先進国から技術や制度を取り入れ、富国強兵をはかったことは周知であろう。
男性たちは労働力として、また兵士として育てられた。
ここでの労働力は、田や畑で働く昔ながらの農民ではなく、工場や会社で働く労働者を意味していた。
あらたな労働者は、自分の身体以外に財産を持っていなかった。

 伸びゆく国力を見れば、旧来の農業と工業では、どちらに将来性があるか明らかだった。
財産を持たない新たな労働者は、サラリーマンとなるには学校教育が何よりも必要だった。
学校教育が学歴を与え、社会的な地位を保証した。
男性には職業人として社会で働き、生産活動に従事することが期待された。
しかし、当時の工業は、女性には職業を用意できなかった。

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 戦前は農業の占める割合がきわめて高く、働く人口の60%以上が農民だった。
農業従事者が50%を切るのは、太平洋戦争に負けて以降である。
そのため、現実は男女ともに旧来の農家つまり、村に生活し、村落共同体に属した。
しかし、政府は旧来の村を壊し、工業社会を実現したかった。
そこで、男性は職業人、女性は家庭人という、性別による役割分担を押しひろげた。
本書は、政府など支配者の言動を、細かく論じている。

 明治の制度で影響の大きなものは、戸籍制度の新設である。

 戸籍制度は、国民観念を生み出しただけでなく、「家」単位で編製されたことにより、「家」の観念をも国民一般に浸透させる役割を担ったといえるだろう。とりわけ、明治6(1873)年に出された徴兵令の免除規定は、免除対象者として戸主・嫡子・嫡孫子・養嗣子をあげていたので、家産や家業に無縁で「いえ」をもてなかった人々も、「家」の存在を急速に意識化していくことになった。しかも明治8(1875)年より、それまで苗字をもっていなかった者も必ず姓を称さねばならなくなったので、その姓が家名となり、よりいっそう「家」の存在は確かなものとなっていった。P49

 新たな労働者つまりサラリーマンは、身体以外に財産を持たない無産階級である。
にもかからず、サラリーマンをも家制度に組みこむことによって、家が近代国家の支配の末端として機能し始めた。
家とは、ほんらい生産組織であり、家業・家産・家名の存続をはかるものだった。
家が存続できてこそ、人々が生きていくことが出来たのだ。

 明治になって、家は制度上、家業・家産・家名の存続をはかるものではなくなった。
戸籍制度や民法など、家が財産を所有することを許さず、戸主の個人所有にしてしまったのだ。
そのため、戸主と戸主以外での差別が生まれ、女性差別が甚だしくなった。
しかし、支配層は女性をも放置しておかなかった。

 (学校教育に比べれば)家庭教育のもつ意味は小さいかもしれない。しかし、学校教育ばかりでなく、家庭教育と相まってはじめて、国民教育は完成すると考えられたこと、しかも、学校教育が定着してきた明治30年代という時点で、家庭教育が「遅れている」と意識され、その改善が図られたことは、やはり注目すべきだろう。母による家庭教育と学校教育とは、国民形成を担っていく車の両輪といってもよいだろうし、この両者が近代における教育を担い、やがてはその機能を肥大化させ、教育を独占していくことになるのである。
 しかしながら事態を複雑にしているのは、家庭教育の担い手である母は、従来のように、日常生活を通して、親の世代から子の世代へと伝えられてきた経験知を習得するのではなく、教育学などの学問を通して、「科学的」な家庭教育のあり方を学ぶことが必要だったことである。P145


 現実は農業が主な産業でありながら、支配層は近代家族の育成に力を注いだ。
近代家族とは、性別による役割分担の実践である。
筆者は江戸時代には、子育てにおける母親の役割は低かったという。
それに対して、明治になると母親の役割が強調された。
支配者たちは、農村共同体を壊しながら、近代家族の母親役割を浸透させていったのである。 
 家庭の確立という形をとおして、女性たちは母親役割をはたし、父親抜きで子供を教育していくのである。
女性教育が良妻賢母教育だったことはいうまでもない。
良妻賢母が家庭で立派な兵士を育てたのである。
男性が戦争へとのめり込むとき、女性は家庭で兵士を作っていたのが、戦前の核家族だった。

 筆者は戦争への道は語っていない。
しかし、家庭だけが戦争と無縁だったわけではない。
良妻賢母となった女性たちの担った役割が、兵士の生産だったことは明白である。
そして、戦後になると、核家族は企業戦士を排出していくのである。
ここでも母親の役割は、戦前と同じように、企業戦士の育成だったことは言うまでもない。

 家庭と女性に光を当てることによって、戦前の構造が少しずつ見えてきた。
本書は文献渉猟による論証だから、実際の家庭は本書がいう明治中期よりも、30年ほど遅れて近代化されたのだろう。
女性は被害者だという論が多いなかで、本書は現実を素直に見ている。
地味な版元から上梓されているが、読むべき本であろう。
  (2010.4.24) 
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参考:
奥地圭子「学校は必要か:子供 の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
信田さよ子「脱常識の家 族づくり」中公新書、2001
高倉正樹「赤ちゃんの値 段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤 ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」 早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもから の自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」 草思社、1997
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども> という神話」岩波書店、1997
編・吉廣紀代子「女が子どもを 産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」 朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」 晶文社、1995
ニール・ポストマン「子ども はもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
矢野智司「子どもという 思想」玉川大学出版部、1995  
瀬川清子「若者と娘 をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が 悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」 新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」 平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」 青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への 性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」 朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」 新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟A スペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族ト ラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」 朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘 をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子 どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
瀬川清子「若者と娘 をめぐる民俗」未来社、1972年
小山静子「子どもたちの近代」吉川弘文館、2002

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