匠雅音の家族についてのブックレビュー   <いのち>をめぐる近代史|岩田重則

<いのち>をめぐる近代史
堕胎から人工妊娠中絶へ
お奨度:

著者:岩田重則(いわた しげのり)   吉川弘文館 2009年 ¥1700−

著者の略歴−1961年、静岡県に生まれる。現在、東京学芸大学教授(民俗学・歴史学) 主要著書「ムラの若者・くにの若者」「戦死者霊魂のゆくえ「墓の民俗学」「お墓」の誕生
 明治後期から大正にかけて、近代化の浸透する様子を、民間伝承の堕胎から、医学的な妊娠中絶への転換のなかでとらえている。
主として静岡県の資料を基に論じた本書は、明治になっても江戸の風習が残る様子を描く。
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“いのち”をめぐる近代史

 1868年に文明開化の明治になったとはいえ、社会全体がいきなり近代になるわけではない。
まず何よりも、近代的な制度を担う人間がいなかった。
たとえば明治5年に学制が敷かれるが、学校とよべる校舎はないし、教員もいなかった。
藩校や寺子屋の延長で授業がなされていたし、教員の多くは武士たちだった。
それは「学歴の社会史」などでも言うとおりである。

 明治政府は急速な近代化を図ろうとするが、いかんせん貧しかったので、そう簡単には近代の文物は普及しなかった。
地方に行けば、江戸時代から続く生活が、どっしりと居座っていた。
ましてや公の口に上らないことは、静かに潜行して、改革の対象にすら上がりにくい。

 いくら江戸時代には、セックスが肯定されていたと言っても、出来た子供を堕ろすのは肯定されたわけではない。
妊娠したら産むのが自然だった。
すでに子供が多くて、子供を望まないのであれば、産まれてから間引いたろう。
しかし、婚外の妊娠など、江戸時代でも望まぬ妊娠があった。

 江戸幕府も堕胎や間引きを禁止していた。
それでも必要があれば、民間伝承という形で堕胎はあった。
ホオズキの根などを子宮内に挿入して、流産させていたのだ。
当時の出産は命がけだったが、堕胎も危険だった。
不衛生な環境で行われる堕胎で、命を失う女性が少なくなかった。
堕胎は闇から闇に葬られるので、江戸幕府が堕胎自体を取り締まることは少なかった。

 明治になると、堕胎罪が制定されて、堕胎が犯罪となった。
そのため、明治政府は堕胎を取り締まり始めた。
堕胎罪の制定を、富国強兵への布石だという論があるが、筆者はそれを否定する。

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 1941年(昭和16)1月に閣議決定された「人口政策確立要綱」を頂点とする、アジア太平洋戦争期の政府の人口政策・生殖管理を視野に入れたものと思われるが、近代国家の生殖管理が、明治政府の「富国強兵」的人口政策から一直線でアジア太平洋戦争期にまで展開していったと考えるには無理があろう。これについては、避妊方法の分析のなかで、政府の徹底した生殖管理がアジア太平洋戦争期に限ったものであるという分析もあり〔石崎1998〕、また、このあとみていくように、堕胎の現実と堕胎罪の運用とをみたとき、すくなくとも1930年代前半までは、堕胎罪をしてそれが「富国強兵」的人口政策としての機能を持っていたと考えることはできない。P36

 堕胎罪で起訴されたのは、婚外の妊娠が多く、ほとんどすべてが執行猶予がついていた。
しかも、法曹界からも堕胎罪には反対が多く、先進国をまねて堕胎罪を制定したが、実体は緩い運用だった。

 先だって近代化した先進国は、いのちの管理に神経質になっていた。
映画「ヴェラ・ドレイク」が描くように、女性の自己決定権が無視されて、胎児から国家の管理が強まったのが近代である。
そのため、子供を賛美したり、母性を褒め称えたり、優生保護的な発想が強くなっていく。
しかし、開国したばかりの我が国は、子供は労働力に過ぎなかった。

 子供を国家が管理するには、お金がかかる。
明治政府は胎児にまで、管理の手を伸ばす余裕はなかった。
そのため、堕胎罪を制定しても、堕胎を犯罪として取り締まる発想が薄かった。
  
 堕胎それじたいが、完全に隠蔽されるのではなく、地域社会に浸透しているために、その手術方法を知る者から教えられ、あるいは、自然に、習得した女たちが、いまだ多く存在していたのが、1900年代から1910年代にかけてであった。1899年(明治32)に「産婆規則」が公布され施行されたとはいえ、1900年代から1910年代は、地域社会のなかに、「産婆規則」によって営業を許可された産婆だけではなく、農民や雑業層の女たちのなかにいまだ堕胎手術常習者がいた。P103

 前近代、女性の大きな仕事は子供を産むことだった。
妊娠・出産は女性の仕事と見られ、堕胎にもその影響がつよかった。
そのため、胎児の父になる男性が、堕胎にかかわることは少なかった。
その結果、堕胎罪に問われるのは女性と堕胎を行った者だけという、片手落ちがまかりとおった。

 この当時の堕胎は、胎児の命を絶つことは同じであっても、妊娠中絶とは方法が違っていた。
妊娠中絶は外科的な手術によって、胎児を掻爬してしまうのだ。
だから、妊娠中絶は流産とは違うし、妊娠初期に行われることが多い。
妊娠終期になると、妊婦へ負担が大きく危険になってしまう。
それに対して、民間療法としての堕胎は、子宮に異物を入れて、羊膜を破って人工的に流産させのだ。
そのため、妊娠が進み、胎児がある程度成長してから行われた。

 1920年を過ぎると、近代的な教育を受けた産婆がたくさんうまれる。
そして、出産にも医者がかかわり始める。
こうなって初めて、国家による胎児に対する管理が、可能になったのである。
つまり、昭和に入ってから、産婆が女性の専業になり、妊婦の健康管理という形で、胎児の管理が進み始めたのである。  (2010.4.27) 
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参考:
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青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
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江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
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G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
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イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
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成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
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三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992
クロード・レヴィ=ストロース「親族の基本構造」番町書房、1977
湯沢雍彦「昭和前期の家族問題」ミネルヴァ書房、2011
小室加代子「解体家族」批評社、1983

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