著者の略歴−1961年、静岡県に生まれる。現在、東京学芸大学教授(民俗学・歴史学) 主要著書「ムラの若者・くにの若者」「戦死者霊魂のゆくえ「墓の民俗学」「お墓」の誕生 明治後期から大正にかけて、近代化の浸透する様子を、民間伝承の堕胎から、医学的な妊娠中絶への転換のなかでとらえている。 主として静岡県の資料を基に論じた本書は、明治になっても江戸の風習が残る様子を描く。
1868年に文明開化の明治になったとはいえ、社会全体がいきなり近代になるわけではない。 まず何よりも、近代的な制度を担う人間がいなかった。 たとえば明治5年に学制が敷かれるが、学校とよべる校舎はないし、教員もいなかった。 藩校や寺子屋の延長で授業がなされていたし、教員の多くは武士たちだった。 それは「学歴の社会史」などでも言うとおりである。 明治政府は急速な近代化を図ろうとするが、いかんせん貧しかったので、そう簡単には近代の文物は普及しなかった。 地方に行けば、江戸時代から続く生活が、どっしりと居座っていた。 ましてや公の口に上らないことは、静かに潜行して、改革の対象にすら上がりにくい。 いくら江戸時代には、セックスが肯定されていたと言っても、出来た子供を堕ろすのは肯定されたわけではない。 妊娠したら産むのが自然だった。 すでに子供が多くて、子供を望まないのであれば、産まれてから間引いたろう。 しかし、婚外の妊娠など、江戸時代でも望まぬ妊娠があった。 江戸幕府も堕胎や間引きを禁止していた。 それでも必要があれば、民間伝承という形で堕胎はあった。 ホオズキの根などを子宮内に挿入して、流産させていたのだ。 当時の出産は命がけだったが、堕胎も危険だった。 不衛生な環境で行われる堕胎で、命を失う女性が少なくなかった。 堕胎は闇から闇に葬られるので、江戸幕府が堕胎自体を取り締まることは少なかった。 明治になると、堕胎罪が制定されて、堕胎が犯罪となった。 そのため、明治政府は堕胎を取り締まり始めた。 堕胎罪の制定を、富国強兵への布石だという論があるが、筆者はそれを否定する。
堕胎罪で起訴されたのは、婚外の妊娠が多く、ほとんどすべてが執行猶予がついていた。 しかも、法曹界からも堕胎罪には反対が多く、先進国をまねて堕胎罪を制定したが、実体は緩い運用だった。 先だって近代化した先進国は、いのちの管理に神経質になっていた。 映画「ヴェラ・ドレイク」が描くように、女性の自己決定権が無視されて、胎児から国家の管理が強まったのが近代である。 そのため、子供を賛美したり、母性を褒め称えたり、優生保護的な発想が強くなっていく。 しかし、開国したばかりの我が国は、子供は労働力に過ぎなかった。 子供を国家が管理するには、お金がかかる。 明治政府は胎児にまで、管理の手を伸ばす余裕はなかった。 そのため、堕胎罪を制定しても、堕胎を犯罪として取り締まる発想が薄かった。 堕胎それじたいが、完全に隠蔽されるのではなく、地域社会に浸透しているために、その手術方法を知る者から教えられ、あるいは、自然に、習得した女たちが、いまだ多く存在していたのが、1900年代から1910年代にかけてであった。1899年(明治32)に「産婆規則」が公布され施行されたとはいえ、1900年代から1910年代は、地域社会のなかに、「産婆規則」によって営業を許可された産婆だけではなく、農民や雑業層の女たちのなかにいまだ堕胎手術常習者がいた。P103 前近代、女性の大きな仕事は子供を産むことだった。 妊娠・出産は女性の仕事と見られ、堕胎にもその影響がつよかった。 そのため、胎児の父になる男性が、堕胎にかかわることは少なかった。 その結果、堕胎罪に問われるのは女性と堕胎を行った者だけという、片手落ちがまかりとおった。 この当時の堕胎は、胎児の命を絶つことは同じであっても、妊娠中絶とは方法が違っていた。 妊娠中絶は外科的な手術によって、胎児を掻爬してしまうのだ。 だから、妊娠中絶は流産とは違うし、妊娠初期に行われることが多い。 妊娠終期になると、妊婦へ負担が大きく危険になってしまう。 それに対して、民間療法としての堕胎は、子宮に異物を入れて、羊膜を破って人工的に流産させのだ。 そのため、妊娠が進み、胎児がある程度成長してから行われた。 1920年を過ぎると、近代的な教育を受けた産婆がたくさんうまれる。 そして、出産にも医者がかかわり始める。 こうなって初めて、国家による胎児に対する管理が、可能になったのである。 つまり、昭和に入ってから、産婆が女性の専業になり、妊婦の健康管理という形で、胎児の管理が進み始めたのである。 (2010.4.27)
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