匠雅音の家族についてのブックレビュー    18世紀ヨーロッパ監獄事情|ジョン・ハワード

十八世紀ヨーロッパ監獄事情 お奨度:

著者:ジョン・ハワード   岩波文庫、1994年 ¥620−

著者の略歴−1726年イギリス中部都市ハクニーに生まれる。2度の結婚をへて、地方での穏和な生活をおくるが、47歳のときに執行官に任命されたことから、監獄の実地調査にのりだす。1790年ロシアの監獄視察旅行中に、伝染病にかかって死亡した。
 1773年、イギリス中部の都市ベドフォードの執行官に任命された筆者は、囚人の置かれた状況のひどさに驚嘆した。
それ以降、筆者はヨーロッパ各地の刑務所を見てまわり、囚人の待遇改善を訴え続けた。
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 陪審が無罪の評決をした人、大陪審が起訴に値するほどの罪を認めなかった者、あるいは訴追した者が結局裁判に出廷しなかった[ため、裁判が不可能になつた]場合の被疑者などを目のあたりにしたからである。彼らは、すでに何カ月も拘禁されていたにもかかわらず、看守や巡回裁判の書記などに種々の手数料などを支払わないかぎり、ふたたび監獄に引き戻され、拘禁されてしまうのであった。
 この苦況を改善するために、私は、看守には手数料をとらせるのではなく、俸給を支払うべきだと、州治安判事たちに上申した。彼らは、この申し出に大いに関心を示し、期待したとおりの救済策を認める用意があるとしたものの、州当局がこのような費用を負担している先例があればのことだ、とつけ加えた。それで、私は、そうした先例はないかと、周辺のいくつかの州を駆けめぐってみたが、どこへいっても同様の、正義に反することが行われている事実を知ったのである。P13


 看守や裁判所書記官が手数料を取るのはワイロであり、
現在なら贈収賄として立派な犯罪である。
もっともこうした事情は、ヨーロッパに限ったことではなかった。
江戸時代、わが国の牢獄に収監されるときにも、同じような話があり、
一銭ももたずに入牢すると、牢獄生活は困難を極めたという。

 前近代では、手数料=ワイロとは人間関係の潤滑油であり、
盆暮れの付け届けのようなものだ。
現在から見れば、犯罪であっても、ワイロは心配りであり、むしろ推奨されることだった。
初めての人を訪問するのに、手みやげを持っていくようなものだ。
ワイロは悪いことではなかった。
つまり現在とは、人間観が違っていたのである。

 当時の監獄は、収監される人の地位によっても、扱いが違っていた。
わが国の例で言えば、犯罪を犯した武士は牢獄には入れられず、
どこかの武家屋敷に預かりになった。
もちろん切腹が許されるのは武士だけで、庶民は獄門・張付である。
武士と一般の庶民では、同じ犯罪を犯しても、異なった扱いがまかりとおっていた。
それはヨーロッパでも同様で、本書にも身分ある人が収監される場所が特記されている。

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 身分制が貫徹していた時代には、人間はみな平等などといった概念はなかった。
カースト制の厳しいインドでは、現在も上層カーストの入る刑務所は、一般人とは違うという。
だから、待遇の違いは時代や地域の問題ではなく、
近代化の進展の度合いによるのである。
そして、ワイロも途上国へ行けば行くほど、いまだにまかり通っているのも周知であろう。

 ところで、筆者が憤っているのは、
借金を返済できなかった人が、一般の犯罪者と同じように収監されていることだ。
現在から見ると信じられないかも知れないが、
当時は謝金が返せないときは、囚人として投獄されたのである。
債務囚人といって、いくらかは違う目で見られたが、監獄での扱いは同じか、それ以下だった。

 食糧が欠乏しているという苦情は、州監獄からも出ている。州監獄の半数以上では、債務囚にパンが与えられていないのだ。その一方では、追剥ぎや強盗、人殺したちにはパンが与えられているにもかかわらず、である。医療にかんしても同様で、このような輩が病気になれば手当が施されるが、債務囚にはそれがない。また、こういった監獄の多くでは、働く意志のある債務囚が、作業のための道具を持つことを許されていない。P21

 筆者はヨーロッパ各地の監獄を見てまわるが、
当時の旅行は現在からは想像もつかないくらい困難だった。
しかも、監獄の改善を訴えた人物だから、どこの国でも歓迎されるわけではない。
入国を拒否された例もある。
また、当時の監獄は環境が悪く、監獄に立ち入るだけで、伝染病などをうつされる危険があった。

 男女同房や大人と子供の雑居などは、各地に見られた。
また、1773年当時になっても、まだ魔女の話が残っていたらしく、
ドイツでは魔女を収監する監獄もあったようだが、すでに使われなくなっていたという。

 戦争の捕虜も、監獄に収監されていたが、彼らは少し異なった扱いだったようだ。

 フランスでは、船長、一等航海士、船客までが拘留されているようだが、イギリスではこのように地位のある人びとは、担保なしの捕虜宣誓によって釈放になるはずである、と指摘したところ、「担保なしでは捕虜宣誓は認められないのです。担保額は、船長で100ギニー、一等航海士で75ギニー、一般船員60ギニーと決められています」とのことであった。彼はまた、このことを書き留めておいてほしいと主張した。乗客は、船長と同格の扱いになつていた。P196

 現在でいう保釈金であろうか。
イギリスとフランスでは、扱いが異なっているのも、興味あるところである。

 手枷、足枷、それに首枷、また鎖で壁につなぐなど、
現在では考えられない措置がとられている。
後ろ手錠にしただけで、拷問だといわれる昨今、前近代の恐ろしさがひしひしと感じられる。
それでも、わが国の監獄制度は前近代的だと、
国連や世界の人権を守る人たちから指摘を受けている。

 イギリスの映画「ラッキー ブレイク」を見た直後だったので、
本書とわが国の刑務所が思いうかんだ。
一般に途上国の刑務所は、人権を無視した待遇がおおく、囚人の環境が悪い。
刑務所での人権こそ、もっとも守られなければならない。
刑務所を見る限り、わが国はとても先進国とは言えない。
わが国でも20年ぶりに、刑務所が新設されるらしいが、
スウェーデンの刑務所などを参考にしてほしい。
(2002.11.15)
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参考:
鈴木邦男「公安警察の手口」ちくま新書、2005
高沢皓司「宿命」新潮文庫、2000
見沢知廉「囚人狂時代」新潮文庫、2000
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006
足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005
三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003
浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005
山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000
菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002
有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005
佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001
管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007
浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004
藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001
ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008
小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001
芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987
D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004
河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004

河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009


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