匠雅音の家族についてのブックレビュー      困った老人と上手につきあう方法|和田秀樹

困った老人と上手につきあう方法 お奨度:

著者和田秀樹(わだ ひでき)    宝島社、2009年 ¥457−

編著者の略歴− 1960年、大阪府生まれ。精神科医。東京大学医学部卒業。東京大学付属病院精神神経科助手、米国カールメニンガー精神医学枚国際フェローを経て、現在は精神科医。国際医療福祉大学大学院教授(臨床心理学専攻)。川崎幸病院精神科顧問。一橋大学国際・公共政策大学院特任教授。「ヒデキ・ワダ・インステイテユート」代表。「緑鐵受験指導ゼミナール」監修。2004年、正論新風賞受賞。映画監督作品にモナコ国際映画祭グランプリ作品『受験のシンデレラ』がある。おもな著書に、『痛快!心理学』『痛快!超勉強学』(共に集英社インターナショナル)、『30歳からの10倍差がつく勉強法』『40代からの勉強法』(共にPHPエディターズ・グループ)、『人は「感情」から老化する』(祥伝社新書)、『まじめの崩壊』(ちくま新書)、『人生の軌道修正』(新潮新書)など多数。
[ホームページ]http://www.hidekiwada.com   [プログ]http://ameblo.jp/wadahideki

 我が国は何と老人に優しいのだ、というのが本書の読後感である。
刑法犯が減っているなかで、老人の犯罪がふえている。
万引き、暴行、傷害、さらには強姦まで、65歳以上のおこす犯罪がふえている、と筆者は書いている。
しかし、老人犯罪が増加する原因は、あたかも高齢者に対する社会の理解不足にあるとでも、筆者はいいたいようだ。
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 筆者は老人医療の専門家として、老人の困った行動がふえていることを認知しかながら、老人を責めることをしない。
むしろ、老人は肉体的に障害をもっているのだから、思いやりをもって優しく対応するべきだと考えている。
その理由として、加齢とともに始まる前頭葉の萎縮をあげている。

 前頭葉が収縮する結果、次の4つの現象が表れるという。
1.意欲低下
2.感情抑制機能の低下
3.判断力の低下
4.性格の先鋭化

こうした現象は、前頭葉が収縮した結果おきたのだから、困った老人の行動は必然で、しかたないという。

 現実には、老人の多くはわがままで意固地で疑い深く、時にはキレて感情を爆発させ、私たちを困らせる。しかし前章で説明した通り、これらは生理的なレベルで見たら当然の老化現象である。繰り返すが、老人というのは一般的には、前頭菓機能の低下によってキレて攻撃的になつたり、わがままになつたり、意固地さや頑固さを増したりと感情のコントロールがしにくくなるものなのだ。P65

 こんな理由がまかり通る我が国は、何と老人思いの国かと、老人のボクはありがた涙がでてきた。
若者が犯罪をおこしたときに、前頭葉が大きくなりすぎたために、過激化したのだと言われるだろうか。
また、若者はホルモン分泌が激しいから、過激な行動を止めることができないのだ、と言われるだろうか。
そして、若者の犯罪は、若いという肉体の必然がなさしめることだから、必然であり仕方ないと言われるだろうか。
そんなことはないだろう。
厳しく責任追及されるはずである。

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 老人の犯罪を肉体が衰えたがゆえの、必然現象と見ることは、老人を一人前の人間と見ていないことである。
どんなに頭脳や肉体が衰えても、犯した罪はきちんと償わせるべきである。
老人であるがゆえに免責させるべきではない。
本書は、筆者が48歳の時に書いているが、無知であるがゆえの傲慢さに満ちている。

 人間は誰でも平等なのだ。老人というくくりでの免責は、老人差別以外のなにものでもない。
老人の脳が萎縮し、社会的な適応性を欠いているというなら、60歳で改めて義務教育を課せばいいのだ。
7歳で小学校へはいるように、60歳になったら老学校へはいることを、国民に義務付ける。
そこでは、進化し、変化する社会への適応方法を、身につける教育をすべきなのだ。

 小学校や中学校の教育だけで、大人になったら何も教育を受けなくても、1人前として扱われることはおかしい。
筆者が言うように、老人は頭脳的に、肉体的に衰えるというなら、衰えに対処する教育をすべきだ。
過去の生き方にしがみついて、若者に当たり散らす老人たちの横暴を許してはいけない。
 
 何度もいうように、現代において老人の問題行動が目立つようになってきたのは、今の社会が高齢者を不機嫌にさせているという背景がある。つまり、年長者を立てず、高齢者を邪魔者扱いするような空気が老人の不機嫌を引き起こすのだが、実は人々がイメージしているほど、老人は不機嫌に我慢し耐えられる生き物ではない。不機嫌や不満を受け入れて処理する脳の働きが衰えているからだ。P132

というが、誰でも社会の変化に、ついていかなければならない。
老人だから、社会の変化と無関係に、自分の好みを貫いて、他人と衝突して良いはずがない。
むしろ、老人こそ長年生きてきた経験から、社会のことがよく判っているはずだから、他人を思いやることができるはずである。

 もし、老人は肉体的に社会に適応できないのなら、そんな生き物を社会に放置してはいけない。
老人が社会的な適応をできなければ、できるように教育し直すことが必要である。
たとえば、新しい人間関係の作り方とか、コンピューターの扱い方とか、身体にいいスポーツの始め方とか、栄養価のある食事の作り方など、老人たちに教えるべきことは多い。
筆者がいうように、老人は脳が萎縮しているなら、よけいに萎縮に対応した教育をすべきである。

 老学校へ行きたくないものは、お金を出すことによって、登校を免除しても良いだろう。
たとえば1日1万円として365万円出せば、1年間の免除を与えるようにすれば、現役で大金を稼いでいる人は登校しなくて済む。
また、大金持ちはお金を出して、他人のサービスを買うだろう。
だから金持ちは、新たな社会に対応できなくても、社会のお荷物にはならない。

 困った老人を、たんに個人的な問題としてとらえ、若者たちの対応によって問題を回避する。
こんな愚劣な発想が、老人たちを、そして若者を覇気なくしている。
本書はまるで、老人は心神喪失状態だから、法律行為の主体になり得ないといっているようだ。
老人であるボクが読んでも、老人を馬鹿にするなと言いたくなった。   (2010.7.23) 
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参考:
鈴木邦男「公安警察の手口」ちくま新書、2005
高沢皓司「宿命」新潮文庫、2000
見沢知廉「囚人狂時代」新潮文庫、2000
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006
足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005
三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003
浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005
山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000
菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002
有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005
佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001
管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007
浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004
藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001
ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008
小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001
芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987
D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004
河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004
河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009
和田秀樹「困った老人と上手につきあう方法」宝島新書、2009

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