匠雅音の家族についてのブックレビュー    慰安婦と戦場の性|秦郁彦

慰安婦と戦場の性 お奨度:

著者:秦郁彦(はた いくひこ)−新潮選書、1999年  ¥1,600−

著者の略歴−1932年山口県生まれ。1956年東京大学法学部卒業。ハーバード大学、コロンビア大学留学。防衛研修所教官、大蔵省財政史室長を経て、76年に退官。その後、プリンストン大学客員教授、拓殖大学教授、千葉大学教授を経て、97年より日本大学法学部教授。法学博士。93年度菊池寛賞受賞。主要著書は、「南京事件」(中公新書)、「日本陸海軍総合事典」(東大出版会)、「昭和史の謎を追う」〔上下〕(文萎春秋)、「現代史の論点」(文芸春秋)、「現代史の光と影」(グラフ社)など多数。現住祈・目黒区目黒本町4−14−8
 従軍慰安婦について語ることは、とても気が重い。
今日と違って、強制的にもしくは貧困から、売春が制度化されたからである。
売春自体は肉体労働であり、けっして女性蔑視の職業ではないと思う。
しかし、管理売春はあきらかに犯罪であり、許されないことだ。
とりわけ国家が強制したとなると、その犯罪性も重大だと言わなければならない。
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 しかし、従軍慰安婦の問題は、なにか政争の道具として登場した感が強い。
従軍慰安婦がいたことはずっと前から判っていながら、1980年代までは問題視されなかった。
サンダカン八番娼館」(1972年)が書かれた頃でも、従軍慰安婦は問題になっていない。
それが突然にある日、主要な話題になった感がある。
本書は右派だろう立場の筆者によって書かれたので、とりわけそれが強調されている。

 1992年1月11日、朝日新聞の朝刊を手にとった人は、第一面トップに躍る慰安婦のキャンペーン記事に目を見はったことであろう。今にして思えば、この「スクープ報道」こそ、それから数年わが国ばかりでなくアジア諸国まで巻きこむ一大狂騒曲の発火点となるものだった。P11

という書きだしで始まるのを見ても、本書はわが国の反体制的な分子が仕掛けた運動だ、という立場がつらぬかれている。
しかも、フェミニズムの煽動家がそれをあおり、事実をねじ曲げていってしまった、という。
ここまで言われてしまうと、さすがに簡単には同意できなくなるが、本書の結論は簡明である。

1. 従軍慰安婦の強制連行はなかった。
2. 従軍慰安婦の生活条件は、現地の兵士なみかそれ以上だった。
3. 従軍慰安婦の大半は、戦後に帰国している。
4. 従軍慰安婦の数は、2〜3万人だった。
5. 従軍慰安婦の民族構成は、日本人、現地人、韓国人、その他の順である。

 事実を発掘しながら、筆者はこうした主張を進めていく。
その手順は、極力事実に忠実たらんとしており、左右の文献にもよく目を通しており好感はもてる。
しかし、筆者の前提が行間から感じられて、半信半疑のまま読了せざるをえない。
わが国が戦争責任をきちんと片付けないばかりに、南京虐殺などつぎつぎと問題が蒸し返されてくる。
女性の性の問題というより、敗戦処理の問題といった感を強くうける。

 第2次大戦までの戦場における性の問題は、どこの軍隊でも売春婦に頼っていた。
しかもそのありかたは、本国での売買春の状況を反映するものだった。
はやく近代化に突入し裕福となった国では、公娼制度から私娼制度へと変わっており、軍隊もそれを反映したものだった。
つまり、公娼制度のない進んだ米英は私娼に頼り、遅れたドイツと日本は公娼に頼ったというわけである。

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 そこで問題の立て方が変わってくる。
公娼制度が問題とされるのではなく、強制連行があったかに絞る立場と、国家による売春をからめて論じる立場である。
前者にしたがえば、強制連行の有無を立証すれば、問題は解決する。
しかし、後者の立場では、売買春自体が悪だということになり、時代を超えて悪の究明に走ることになる。

 海外の多くの政治家は、国家間の戦後補償はすでにすんでおり、従軍慰安婦にかんして言及すべき立場にない、という。
 
 廬泰愚前大統萌が「文芸春秋」93年3月号の対談で、浅利慶太へ「(慰安婦問題は)実際は日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました」と率直に語ったように、日本側だったと言えよう。こうした状況を背景に、日韓両政府は落とし所を模索しあう。
93年2月に就任したばかりの金泳三大統領は3月13日、「この問題では日本側が真実を明らかにすることが重要で、物質的補償は必要ない」(13日付読売新聞)と発表、それを受けて韓国外務部は3月29日、韓国人元慰安婦に対する生活支援措置を決定した。P253

それには、

92年秋から93年の初めにかけて、韓国政府は、強制連行がなかったらしいことを確信するに至っていたと思われる。P253

である。しかし、反日運動が盛り上がってしまったので、個人が日本政府に補償を求めることまで、当該政府は放棄したのではないという立場である。

 従軍慰安婦を女性への性暴力だと考える人には、こうした立論自体が認められないだろう。
日本の男は動物以下ですとか、国家の犯罪であるだけではなく、男による性犯罪だと指摘する人たちは、戦場での性を男性支配の問題におきかえている。
彼女たちは、従軍慰安婦を男性による性暴力だととらえている。
だから非難はするが、問題の解決には、どうしたらいいのかが提起されない。

 最近のアフリカにおける戦争では、女性による性暴力が発生している。
また、女性が戦闘に参加するようになったアメリカでは、兵士同士の性交渉が話題になっている。
こうした事態は、通俗フェミニストの想定外であり、彼女たちの理論では対応できない。

 イデオロギーが優先すると、当事者の意向は無視されてしまうのは、どこでも同じようだ。
そのなかで、次のように発言している女性がいたのは驚きであった。

 売春は立派な肉体労働の一種だと思っているので、もし私が戦時中に生きていて…他になかったら、売春婦になると思います…性奴隷だとヒステリックに言う運動家の人達は、売春婦だった人達を、本当は蔑んでいるのかしらと思えてしまいます。P355

 この発言をしたのは山崎久美子なる人物で、じつは彼女のような立場のほうが、現場労働者の感覚に近いと思う。
どんな職業にも、貴賤はない。
売買春反対をいう人は、大学に籍があったりして、自分は決して身体を売ることがない人たちである。
現在の売春婦たちは、売買春に反対する女性を似非フェミニストと称して、嫌悪の対象にしている。
そうした意味では、従軍慰安婦の問題は、時間がたつと違った様相を見せてくるかもしれない。
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参考:
石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955
ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000
アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」筑摩学芸文庫、2001
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984
田中宇「国際情勢の見えない動きが見える本」PHP文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
ウイリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪白書」作品社、2003
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書、1999
佐藤文香「軍事組織とジェンダー」慶応義塾大学出版会株式会社、2004
別宮暖朗「軍事学入門」筑摩書房、2007
西川長大「国境の超え方」平凡社、2001
三宅勝久「自衛隊員が死んでいく」花伝社、2008
戸部良一他「失敗の本質」ダイヤモンド社、1984
ピータ・W・シンガー「戦争請負会社」NHK出版、2004
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001
菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000
ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002
サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008
デニス・チョン「ベトナムの少女」文春文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
読売新聞20世紀取材班「20世紀 革命」中公文庫、2001
ジョン・W・ダワー「容赦なき戦争」平凡社、1987
杉山隆男「兵士に聞け」新潮文庫、1998
杉山隆男「自衛隊が危ない」小学館101新書、2009
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫、1969

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