著者の略歴−1965年、オーストリア生まれ。1996年、ウ ィーン大学にて博士号取得(日本社会学)。現在はカリフォルニア大学サンタバー バラ校教授(近現代日本研究)、東アジアセンター所長。近現代日本の文化と社会、特に、権力/知、ジェンダー/セクシュアリテイ、軍事/社会について研究。著書に「Colonizing Sex:Sexology and Social Control in Modern Japan」[性の植民地化−近代日本の性科学と社会統制](University of Califonia Press 2003 本サイトは、軍隊に関しても、「軍事学入門」「西部戦線異状なし」 「戦争請負会社」などと、何冊か取り上げてきた。 それは歴史上いつの時代にも軍隊は存在したし、軍隊が存在するのが、普通の国家であった。 軍隊を語らないことは、逃げだと思うからだ。
我が国の軍隊は、自衛隊と名乗って、戦わないことを宣言している。 それは、「兵士に聞け」でも書かれていた。 しかし、軍隊とは戦うことを旨とする組織であり、戦わない軍隊というのは語彙矛盾である。 軍隊でありながら、戦わないと宣言している自衛隊とは、如何なるものか。 社会学者である筆者は、体験入隊までして、自衛隊に迫った。 その研究レポートであるが、平易な文章で書かれているので読みやすい。 まず、筆者も指摘しているように、自衛隊員の存在証明が、きわめて曖昧なことである。 戦う=国防のための軍隊でありながら、誰も戦うことを考えていない。 むしろ、災害復興などの出動が、市民に歓迎されることから、自衛隊員自身の主な役割になってさえいるという。 軍隊がハイテク化し、武力の行使に、屈強な腕力が不要になりつつある現在、軍人であることによる男らしさの証明が難しくなっている。 それは自衛隊だけのことではなく、世界的な傾向だが、もっとも戦う軍隊であるアメリカ軍では、必ずしもそうではない。 アメリカ兵はプロだから、暇があればジョギングして体を鍛えているという。 そして、日米合同訓練では、自衛隊員はプロ根性のなさに、自虐的になっているらしい。 しかし、今日的な目で見れば、むしろ自衛隊のような土木屋的な集団のほうが、国土防衛にも適しているかも知れない。
橋本元首相や斉藤二佐のコメントに示された軍人としての男らしさを、どうしたらきちんと貫けるかについての懸念は、私と話したおおぜいの自衛隊員の言動にも現れていたが、これは決して自衛隊特有のものではない。それなのに、日本の兵士は自分たちのカモフラージュされたジェンダー・アイデンティティを意識しすぎる傾向がある。兵士とはこういうものというタイプが多様化している現在、世界中の民主国家の軍隊は、異なる性やジェンダーの統合を目指すようになり、冷戦後の世界で軍隊の正当性を保つため、どのような役割を担うかについて試行錯誤を重ねるようになってきている。P73 女性自衛官も4パーセントを超えた。 フェミニスト・ミリタリストとは、除外された経験からモチベーションを高め、その経験を原動力に性差別と戦い、軍組織に完全に組み入れられることを目指して戦う女性兵士を指す。女性自衛官は懸命にこれら緊張状態にある問題のバランスをとり、それにともなうプレッシャーに耐えようと努力する。P117 そして、筆者は次のような結論を下す。 おそらく、世界中のどこの兵士よりも日本の自衛隊員は、兵士らしく活動するにはどうしたらよいかについて不安を抱いていることを自覚している。そして、(訓練された)兵士でありながら、人道主義者、救援者、技師、建設作業員、便利屋(をしている)という自らのカモフラージュされたアイデンティティを意識しすぎているように見える。本書を通して私がずっと強調してきたように、日本の国家とその軍隊の「普通」と「成熟」についての懸念や不安が個々の隊員に与える影響は、隊員たちの日々の生活を通じて絶えず強まっている。P234 結局、自衛隊は周回遅れのランナーになってしまったようだ。 欧州諸国はもはや国のために戦って死ぬ用意がある市民を作り出す必要性を感じていないが、日本はそこまで割り切れず、ためらいがある。自衛隊は、旧日本軍で「普通の」もしくは「本物の」兵士の本質とされていたものを広めようとする自己呈示の形式の中に屈している。その形式の核心は、上官への絶対服従、天皇と国家に命を捧げる覚悟、犠牲、優秀さ、威厳、禁欲、自制、大義への献身を通して英雄にふさわしい勇敢な行動をとる、などだ。P236 企業の内部告発を見ても判るように、上司への服従や、職務への忠実さなどより、人間として行動することを求められ始めている。 とすれば、旧日本軍のような規律は求められていないにもかかわらず、政府などは旧日本軍のしがらみから切れないでいる。 いいかえると、新たな時代に適切な軍隊像が、まったく描かれていないことだ。 国民国家の概念が崩壊する可能性はおくとしても、情報社会の国防には、腕力が無用になりつつある。 ここでも会社員と同様に、女性も兵士になれる。 戦いを禁じられた軍隊のアイデンティティを、さまざまな角度から考察している。 (2008.10.2)
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