著者の略歴− 1942年米国ミズーリ州生まれ。ハイト・リサーチ・インターナショナル所長、ハイト財団理事長、日本大学大学院国際関係研究科客員教授。博士(国際関係、日本大学)。米国コロンビア大学大学院修了後、1976年に著した『女性の性に閑するハイトリポート』は世界的にセンセーションを巻き起こし、英国紙が選んだ20世紀の名著100冊の1つに挙げられている。以後、『男性の性に関するハイトリポート』、『家族に附するハイトリポート』等十数冊にわたる一連の著作を世に出している。パリとロンドンを拠点に活躍し、各国の大学でジェンダー論を講じているこの分野での第一人者である。 本書の題名からすると、際物と思うかもしれない。 しかし、きわめて真面目でしかも根底的かつ先進的である。 本書は実に柔軟で、男女の両者に暖かい視線をもって、働く場所=職場を考えている。 わが国の大学フェミニストたちも、本書のようなスタンスを見習ってほしい。
男性は職場で働き、女性が家庭を守る。 こうした性別による役割分担は、男女差別を生む温床である。 男性も女性も、自分の食い扶持は自分で稼ぐ、それが当たり前になってきた。 とすれば、女性も一生にわたって働くのは、当然である。 たとえ結婚しても、いまや専業主婦になることなど想像もつかない。 それがフェミニズムの到達した地点である。 男女が同じ職場で働くとすれば、さまざまな問題が噴出するだろう。 男女が同じように机を並べるのは、それほど長い歴史をもっていない。 だから、性別の違いによる戸惑いは、男女ともに抱かざるを得ない。 そこで、男女はどうしたら気持ちよく一緒に働けるのか、そうした疑問がでるのは自然である。 職場で、男性と女性は、「家庭」やデートで一緒にいるときのような関係でなければならないのか。もちろん、答えはノーである。友人としての関係であるべきか。答えはイエス・アンド・ノーである。同僚は常に友人であるとは限らないし、そうである必要もない。職場での関係は、「友人関係」という定義には該当しない。フットボール、サッカーなどのスポーツチームの中で男性はさまざまな男性と競争し、チームワークを通じてライバル、敵、友人を知ることになる。しかし、ビジネスの世界には、異性とどのように協力していったらいいかを学ぶためのトレーニングは存在しない。私たちが教えられたのは、「出会って同僚になる」ことだけである。こうした古くさいレッスンは、現代には通用しない。P30 筆者の視点は、実に新鮮である。 年齢の上の人が上司になる傾向が強い。 そこで女性にとっては、上司は父親のような存在になってしまう。 企業が家庭化しているという。 つまり、男女の問題に、年齢秩序がおおいかぶさってくる。 わが国のフェミニストたちは、家父長制から年齢秩序を置き忘れてしまった。 そのため、実社会のさまざまに異なった人間が存在する様相を解析できなくなった。 会社といえども、高齢者がいるのであり、多くは高齢者が女性の支配権を握っている。 新聞には離婚率の上昇に関する統計が載り、「家族の崩壊」が報じられる。この「家族の崩壊」は、実際には、私たちすべてに利益をもたらす家族の民主化と多様化のプロセスである。家族の崩壊の根底にある原因は、男性と女性との問にある伝統的で不平等な「情緒的契約」である。P155 この発言は、現実が良く見えている。 家族の崩壊は、決して悲しむべきことではなく、われわれに利益をもたらす民主化である。 わが国では、専業主婦がのさばっているから、家族=核家族の崩壊を賛美できない。 核家族が崩壊したら、もっとも困惑するのは、専業主婦という女性なのである。 筆者は専業主婦という立場については、まったく言及しない。 筆者の関心は、働く場、そこでいかに女性が自分の能力を発揮できるか、それにしかない。 昇進していく女性、とくに中間管理職から上級管理職へと進んでいく少数の女性は、非常にタフな心理的・性的問題に直面することになる。その問題は「家庭と家族」ではなく、彼女自身の心の中にある「古い思考」と「新しい思考」の混乱・葛藤である。この混乱は、「新しい思考」についての社会的誤解によって増幅される。「新しい思考」とは「すべてが自由」ということではないし、「いかなる規則にも注意を払う必要がない」ということを意味しているわけでもない。生まれてきている新しい思考とは、今まで正しいとされてきた伝統的な倫理と、個人の判断とを倫理的に結びつけることなのである。P196
女性という性別が、社会的に何か意味がある、そんなことは1980年代で終わった。 いまや女性という性別と、女性という性差は直接の関係を持たない。 女性という性別の人間が、社会的な女性である保証ははまったくない。 他の女性に対する女性の期待は、「フ工ミニズム」と「ポスト・フェミニズム」から25年たった現在では違ってきている。「女性は女性を支持すべきである」という漠然とした感情が行き渡っていて、女性は他の女性をぞんざいに扱うのが当たり前だといった考え方をする女性はもうほとんどいない。それでも女性は、出会った女性が依然としてこのような考えで行動し、冷たく当たってくるのではないかと恐れている。女性は、新しい女性に対して疑惑を感じるのである。P225 男性社会では、男性の仁義のようなものを、無意識のうちに教え込まれる。 おそらくそれは女性たちも同様だろう。 それについて筆者は、象徴的な発言をしている。 男性は友人や父親のペニスを見ることができるが、女性は母親の性器を見ることはない、と筆者は言う。 母親と娘が性器について話したとしても、それは生理や医者にかかる場合に限られている。母親は性器に触ると性的快感が得られることやオーガズムの体験について自分から話してやることはない。少女は接触が禁じられていること、すなわち「禁止」を社会的に教え込まれるわけである。P236 こうした指摘は何でもないようだが、私たちの心のなかに潜んでいる差別意識をあぶり出してくれる。 そして、企業が中性化しているのは、家庭の反映だという。 両親はほとんど情熱的なキスをしないし、子供たちにセックスの話もしないので、息子や娘は「わが家にはセックスはないのだ」という結論に達してしまうのである(朝、母親が子供たちに朝食の用意をしながら、「今朝はとても疲れているの。あなたたちのパパと昨夜遅くまでセックスをしていたから」と言う情景を想像できるだろうか)。(中略)セックスと妊娠という女性の生活の部分は隠されておくべきであり、企業の壁の外側に遠ざけておかなければならないのである。それは、聖母マリアのイエス出産と似たところがある。どのような絵画や描写においても、マリアは妊娠した大きなお腹もしていないし、出血もなく、出産のために開脚してもいない。出産後の汚れもなく、妊娠も出産も無垢なのである。企業はこっけいなことに、企業内においてこれと同様の出産モデルを課しているのである。 よく考えてみよう。 これとは違った企業のあり方はどのように描けるだろうか。職場の中で、もっと尊厳がありもっと現実的な新しい関係を、私たちは描き出すことができるだろうか。 私は社会が中性化すると考えるものだが、筆者はオフィス・ラヴを肯定し、男女の性的な部分を全的に肯定している。 性別と性差が切り離される現状にたいして、筆者は性別と性差の融合を試みている。 筆者の視点が、新たな人間関係を築く礎になることを祈っている。 教えられることの多い本だった。
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