匠雅音の家族についてのブックレビュー     芸者−苦闘の半生涯|増田小夜

芸者  苦闘の半生涯 お奨度:

著者:増田小夜(ますだ さよ)    平凡社 1957年   ¥600−

 著者の略歴−
 「サンダカン八番娼館」など、女性が身体を売る悲惨さを描いたものは、すでにたくさん出版されている。
その多くは、身体を売っていた本人が書いたものではなく、聞き取ったものや伝聞を書いたものである。
しかし、本書は芸者として、売春をしていた本人が書いている。
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 本書の読後感は、ただ大変な経験だったね。
辛い人生だったね、としか慰めを言いようがない。
それこそ辛酸をなめるとは、彼女のためにある言葉かも知れない。
とくに成人するまでの体験は、本人に責任がないだけに、悲惨に過ぎる。
子供にこんな経験をさせるような世の中には、絶対にしてはいけない、と思う。

 筆者はものごころついたときには、長野県塩尻近くの地主の家で子守をしていたという。
親を知らないのだ。
父なし子として産まれた彼女は、口減らしのために、親元から子守へとだされた。
しかし、子守先からも首にされ、12歳で生家に戻るが、こんどは芸者置屋に売られたのである。

 芸者置屋で、日々を厳しくしごかれて、小さな労働力として使いまわされる。
その間、置屋の女将は、彼女を芸者学校に通わせて、1人前の芸者へと育てていく。
もちろん、彼女を売れっ子芸者にしたてて、女将が稼ぐためである。

 女性論の多くは、女性が売春を強制されたと、男性支配の社会を非難する。
しかし、本書を読んでいると、まず何よりも貧しかったことが、圧倒的に迫ってくる。
子守をしていた6歳の話を、筆者は次のように書いている。

 知っていたことと言ったら、ひもじいはつらいもの、人間とは恐ろしいもの、ただこれだけでした。いかにして人に見つからないように隠れていようか、いかにして腹をみたそうかと、ただそれだけを考えて生きていました。
 腹をみたすと言えば、私のごはんは全く他人さましだいでした。お勝手の流しの下に、かけたどんぷりが一つ置いてあって、その中に残ったごはんと汁を入れてくれます。たくさん残ればもりきりでもいっぱいですが、残らなければそれまでのことです。みんなの御飯がすむと、私は台所へ行ってそのどんぷりをのぞきこみ、入っていると急いで流しの下にちぢこまって食べるのです。P4


 豊かな今日、こんなことをやろうにも、この発想がわかないだろう。
小さな子供がいれば、たらふく食わしてやろうと思うだろう。
だいたい6歳の子供を使役すること自体がありえない。

 しかし、戦前の田舎は貧しかった。
極貧の親の元に生まれたら、子供は小さな時から働くのが当たり前だった。
それは男女を問わなかった。
女の子は子守、男の子は力仕事だった。
働かせてもらえれば、喰うだけはできる。

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 本当の問題は貧乏である。
食えない貧乏、米粒がない貧乏。
いまでは想像できなくなったが、本当に貧しかった。
そこで人身売買である。
警察官が立会のもとで、親が子供を売り飛ばす。
子供を売った契約書があるから、借金に縛られて、逃げることもできない。
逃げても警察が追ってくる。

 本書を読んで、売春が悪いとは思えない。
芸者になった筆者は苦労しながらも、鯉は泥臭いからイヤだとか、ワカサギは生臭いから食えないとかいって、贅沢な生活をしている。
身体を売った代償は、充分にもたらされている。
 
 芸者をし、妾をしていた時の私は、いかに人が恐ろしいかということは知っていても、働くことがこんなに辛いものだということは知りませんでした。おばの所の材木工場で働いたのが私の初めての驚きだったことは前にも書きましたが、それまでの私は、なんと言っても、茶碗を持ちさえすれば御飯は口に入ってくるものと思っていました。しかし御飯はこんなにして働かねば入ってくるものではなかったのです。P150

 貧乏が支配する社会では、職業で身分が固定されてしまう。
本当に否定すべきは、売春を蔑視する社会だろう。

 (妾になって暇なので、工場に働きにでた時の話)そのうちに、女の人たちが意識して私を避けていることに気づきました。
 「あの人、芸者だったんですって。」
 「お妾ですってよ。どうせ男を手玉にとって、さんざん騙して来たんでしょ。」
 そんな蔭口がちらほら耳に入って来るようになりました。
 私の心は、また真暗になり、芸者だ妾だと、どこまでつきまとうのか、いっそやめちまおうかしらん、とも考えたことです。(中略)女の人は蔑すみで、男の人は好奇心と淫らな目で私を見る。P107


 セックスが汚いもので否定されるものなら、人類はとうの昔の途絶えていた。
金が絡もうが絡むまいが、セックス自体に汚いもきれいもない。
にもかかわらず、客とセックスすることが汚いことであると、身体のシンまで洗脳されてしまっている。

 売春が否定された社会に生きる結果、彼女は自分を汚れた身体だと思うようになる。
この洗脳が恐ろしい。
社会の歪んだ価値観は、人間の心を歪めていくのだ。
歪んだ圧力によって、売春に従事する人間は、自分から卑下させられてしまう。

 売春を悪く否定的にいうのは、女性を弱者だとみることであり、女性蔑視と同じことではないだろうか。
筆者の厳しかった人生に、最大の敬意をはらいはする。
しかし、本書を読んだからといって、芸者や売春を否定することにはつながらなかった。
また、売春を正規の職業として認めよとは思っても、売春が人間の尊厳の冒涜だとも思わなかった。

 売春という肉体労働は、若いときしか高価で売れない。
生涯賃金はひどく低いものだ。
だから売春婦になることは薦めないが、それでも本人が望んで売春婦になるなら、売春婦の人権は完全に守られるべきだ。
もちろん、労働基本権も適用されて当然である。そのために売買春を合法化すべきだ。

 本書はすでに絶版になっている。
以前から読みたいと思って、書店を探していたが見つからなかった。
インターネットの『日本の古本屋』でさがしたら、あっという間に見つかった。
便利な世の中である。     (2008.1.22)
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002年
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
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黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
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ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001

奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009


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