匠雅音の家族についてのブックレビュー     美人論|井上章一

美人論 お奨め度:

著者:井上章一(いのうえ しょういち)−−朝日文芸文庫、1995 ¥806−

著者の略歴−1955年、京都市生まれ。京都大学工学部建築学科卒業。同大学院修士課程修了。京都大学人文料学研究所助手を経て、87年より国際日本文化研究センター助教授。専攻は建築史、意匠論。86年「つくられた桂離宮神話」でサントリー学芸賞受賞。主著に「邪推する、楽しみ」「狂気と王権」「霊柩車の誕生」「戦時下日本の建築家」「美人コンテスト百年史」など。
 美人と不美人では、人生がひどく違う。誰でもそう思っているし、一面の真実でもある。
しかし、誰も美人が良いと、正面きっては肯定しない。
美人は冷たいとか、性格が悪いといわれる。
それにたいして、不美人こそ性格がよく、優しいともいわれる。
誰も信じてはいないのに。
そして、面食いの男性は非難の対象にさえなる。
挙げ句の果てには、人間は顔じゃない、中身だという台詞にたどり着けば、平和なうちに会話を閉じることができる。
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 江戸時代までは、好まれる女性は美人とは限らなかった。
農家では女性も労働力だったから、「臀部肥大にしておたふく然たる良婦」を、歓迎したことは言うまでもない。
当時、美人は玄人であった。
つまり芸者や遊郭にしかいなかったのである。
ここでは人間の評価が何によってなされているかが、はっきりとでるのである。
江戸から明治になると、事情は一変する。

 本書では、美人であることの意味もしくは美人をめぐる歴史的な考察が行われている。
明治の中頃には、「卒業面」という言葉が流行ったという。
当時の女学校では、美人が修学の途中で引き抜かれて嫁いでいった。
美人は卒業まで至らなかった。

 そのため、卒業まで残った女生徒たちには、美人がいなかったというのだ。
そこで不美人のことを卒業面といったという。
近代にはいると、上流階級では女性は専業主婦と化し、女性の仕事はなくなってしまった。
そのために女性の美醜に拘るようになり、それが一般に広がっていった。

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 美人だけを優遇しては社会はたちゆかない。
いかなる者が美人かはさておいて、美人以外の者だってたくさんいるし、
不美人ということで価値がないとしたら、生きる動機付けができない。
大げさに言えば、それでは社会は崩壊する。
誰でもが楽しく生きられるように、力づけることが社会発展の要諦である。
性格美人論もそうだったし、美人と知性は両立しないというのもそうだった。
事実、美人は進学させて貰えず、不美人は高等教育を受けさせられた、と本書はいう。

 しかし、現代はいささか事情が違ってきた。
大衆は不美人より美人を好む。
高群逸枝の予言を掲げている。

 今日でこそ、美人の活催する世界は、多少とも限られてゐる。即ち彼女達は、専ら恋愛市場及び結婚市場をうろついてゐるに過ぎぬ。それは今日の婦人の地位が、なほいまだ恋愛、そして結婚によつて食つていかねばならないからであります。ですが将来にあつて、婦人が自らの経済的基礎を固めたならば、もはや美人の活躍は、全面的なものとなるでありませう。「婦人公論」1929.4号-p222

 今でも女性の美醜を、正面から論じるのははばかられる。
夜半の品定め以来の、男性たちの秘かな楽しみである。
筆者は、次のように書いて筆をおく。

 フェミニズム陣営から、私の執筆姿勢が非難されるだろうことは、覚悟している。(中略)私は、面喰いを抑圧する 倫理を、問題にしているのだ。だから、倫理的な批判がなされれば、それらはすべて、私の研究資料になる。私は、 居ながらにして、資料を入手することができるのである。この種の批判は、むしろよろこぶべきことなのだと思って いる。P300

 しかし、本書の巻末に上野千鶴子氏が筆者を親しげに呼んで、エッセイを書いている。
筆者とフェミニズムは、どうにも不思議な関係である。
筆者には同じ文庫に、「美人コンテスト百年史」という類書があり、
本書同様に際物でではあるが、学者が書いているので資料の出典は記されている。
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参考:
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫、2008

下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997


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