匠雅音の家族についてのブックレビュー    風成(かざなし)の女たち−ある漁村の闘い|松下竜一

風成(かざなし)の女たち
ある漁村の闘い
お奨度:

著者:松下竜一(まつした りゅういち)  現代思想社、1984年 ¥720−

著者の略歴−1937年大分県中津市に生まれる。高校卒業後,家業の豆腐屋を自営するかたわら短歌の創作に熱中。1970年豆腐屋を廃業,作家生活に転ず。1973年<豊前火力絶対阻止・環境権訴訟をすすめる会>を結成,機関誌「草の根通信」を創刊。著書:「豆腐犀の四季」「砦に拠る」講談社文庫,「5000匹のホタル」理論社,「憶ひ続けむ」筑摩書房,「疾風の人」朝日新聞社,「いのちき してます」三一書房,「ルイズ,父に貰いし名は」講談社,「小さな手の哀しみ」径書房,「暗闇の思想を」「明神の小さな海岸にて」「狼煙を見よ」現代教養文庫他。

 1960年代から始まった高度経済成長の負の遺産が、1970年代に入ると次々にあらわれだした。
日本の各地に、公害と呼ばれる非人間的な現象が、続々と現出した。
公害というと、足尾銅山や東邦亜鉛を思い出すが、1970年代の公害は被害の程度においても規模においても、かつてものとは比較にならないくらいに甚大だった。
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風成の女たち

 今日では、日本の資本主義も資本を蓄積し、懐が深くなったので、公害防止にもそれなりの予算を割くようになった。
だから公害も、その表れ方を変えている。
しかし、いまだ貧乏だった企業は、公害防止への投資は最小限に押さえようとしたので、廃液や排煙は生のまま放出されさえした。
そうした状態で、経済活動が急激に活発化したのだから、歪みが出ないほうが不思議である。

 本書は1969年に、大分県の臼杵市でおきた環境汚染の防止運動を、記述したルポルタージュである。
大阪セメントが、臼杵市の風成部落にセメント工場を建設しようとしたことから、臼杵湾の美しい自然を守れと、風成の漁民が反対運動に立ち上がった。
それまでの反公害運動が、すでに起きてしまった被害への補償や救済を求めたのに対して、この運動は今後起こるであろう、環境破壊への予防的な反対運動だった。

 どこかで大きな不正が行なわれようとしている。それを自分たちは正そうとしているのだ。自分たちの主張の、どこに間違いがあろう。鏡のように澄んだ心だ。自分たち女は酒も飲まぬ、補償金にもたぶらかされぬ、地位をほしいとも思わぬ、ただ母として子供らにこの美しい村と海を残し続けたいだけなのだ。−女たちはそう思っている。その一点だけを踏まえてなりふり構わぬ行動に走る。
 特別な指導者もない彼女らに、理論も展望も未だあるはずはない。ただわいわい集まっては、今日は何をするか、明日はどうするかを皆で考え合う。P61


 漁民とは海の上で生活する人たちである。
そのため、いつもは男性が家にいない。
この運動は、女性たちに担われたことでも、特色があった。
女性たちが運動の前面にいたことは、いわゆる女性運動の延長線上で考えやすい。
しかし、海を守れという自然発生的なもので、既存の女性運動とはまったく関係ない。

 激しく闘われたこの運動は、残念ながら政治的には反対派の完敗だった。
市長のリコールでは勝ちながら、選挙では市長の再選を阻止できなかった。
1人の死者をだしながらも、大阪セメントによる工事の着工を許してしまう。
しかし、司法への訴えが実り、一審・二審ともに全面勝訴になる。
政治的には負けたが、風成の人たちの運動は、見事に結実した。

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 ところで、環境保存運動が先鋭化してくると、物を造るのはきわめて難しくなる。
大企業の利益追求を糾弾するのは容易いことだし、環境を守れと叫ぶことも簡単である。
しかし、人間が今の文明を創ってきたのは、自然に働きかけて物をつくってきた結果である。
どんな人間行動も、多かれ少なかれ環境を変える。
農業は自然破壊の最たるものだ。
あるがままの自然賛歌からは、いかなる人間行動も悪となる。

 建築は自然をいじることであり、環境を変えることであり、本質的に今ある自然の破壊である。
建築の設計を生業とする私には、職業に邁進することが自然の破壊に繋がりかねない。
どんなに環境に配慮しても、新築することは反自然の行為である。
ここには二律背反の悩みがある。
そのため、自然を創ると考えることによって、建築行為が自然と人間を辛うじて両立させる。
人工的な近代工業が、神に成りかわる行為という所以である。

 物を創ることが、自然の破壊を必然化するだけではない。
創るという神の行為を、神に代わって担った人間は、絶対の矛盾をはらんでしまった。
例えば刑務所の設計を考えてみる。
刑務所とは囚人を収容する施設だが、囚人の人権を中心に設計すべきか、管理するほうの立場を優先すべきか、悩むところである。
しかし、人間解放の立場に立てば、囚人の人権を大切にしなければならないから、開放的な監獄とするのは当然である。

 囚人の社会復帰に配慮すれば、内部は一般社会と同じにするべきだろう。
買い物の自由も、通信の自由も、面会の自由も、確保されなければならない。
現在のわが国の閉鎖的な監獄は、とうてい許容されるものではない。
しかし、開放的な監獄を造ったことによって、管理が困難になるのは歓迎するところではないだろう。
脱獄が簡単だったり、管理費が高騰するのは、国民の利益に合致しない。

 懲罰刑だった前近代にあっては、神が囚人に死を命じたから、人は悩む必要はなかった。
神が死を命じているのであり、首切り役人が囚人を殺しているのではない。
前近代にあっては、囚人は人間として扱われなかった。
しかし、囚人も人間である以上、現在では残酷な取り扱いは許されない。
およそ近代的な発想をとるかぎり、全体と部分の二律背反からは、絶対に逃れられない。

 決して大阪セメントの味方をするわけではないが、企業活動も同じ二律背反を内包している。
セメントの需要を満たすのは、社会的な要求だろうが、環境破壊は許されない。
環境とどう調和させるか、結局は中庸をとらざるを得ないのだろう。
人間の排出物が、生のまま自然に戻すことが許されていた時代と異なり、人間活動はきわめて高価なものになってきた。

 風成の女性たちに敬意を表して、星を一つ献上する。
環境問題は企業利益との対比で見られるのではなく、人間生活そのものとの対比で見るべきだろう。
いままでの環境運動は、今ある自然を守れといってきた。
しかし、環境は守るものではなく、創るものである。
環境を創る視点が、今後の環境運動にうまれないと、運動は消滅に向かうだろう。
(2002.12.27)
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参考:
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クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
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中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
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水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
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清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
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光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009


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