著者の略歴− マッセー大学上級講師,国連統計委員会コンサルタント,ユニセフのコンサルタント,ファーマー(農業経営者).1973年ニュージーランドのビクトリア大学を卒業後,同大学政治学講師に就任.1981年,ハーバード大学ケネディ・スクール等を訪問研究.86年から最近までワイカト大学上級講師.この間,1975〜84年,ニュージーランド国会議員として環境問題など様々な分野で活躍。1952年ニュージーランド生まれの知的なシングル・ウーマン。著書「Women, Politics and Power」 国連で働く筆者が、国連が各国に作成を要求している統計は、女性の存在を無視している、と反旗を掲げた書である。 原題は、「もし女性を国連国民経済計算体系=UNSNAの計測に含めたら」というものである。 筆者は稀少資源の効率配分を市場原理とした男性優位の発想を変えない限り、地球を救うことはできないと結論する。
市場原理にのらない価値をどう計測するかは、きわめて難しい。 たしかに労働とは、自然との質量の交換だから、誰が体を動かしても労働である。 そして、労働こそが価値を生みだす、と経済学はいっている。 だから本来的には、労働の価値は市場での評価とは関係ない。 しかし交換価値としては、空気といった人間には不可欠だが、無限にあるものには価値を見いだせない。 同様にボランティアにたいしても、労働ではあるが、それを市場価値とは見ない。 環境が計測されていないのと同時に、女性と女性の労働もまったく見えないものとしていることがはっきりしてきた。たとえば、一政治家としての私には、現在の生産という枠組み上では、育児施設の必要性を証明することさえ事実上不可能だということがわかった。「非活動的」で「無業」である「非生産者」(主婦、母親)には、はっきりいってその必要がないのだ。彼女らは最初から経済体系からはずされている。彼女たちが生産から生じる便益の分配に登場するなど、明らかに期待できないのである。P4 そこで、筆者は果敢な試みをおこなう。 私が言わんとするのは、生産的および再生産的な無報酬の労働に、貨幣的価値を付けるべきだということである。帰属計算とよばれるこの過程こそ、この労働を目に見えるものにし、政策や概念に影響を与え、価値に対して疑問をもたらすものである。P7 筆者の主張は、いわゆるアンペイド・ワークの貨幣評価である。 わが国でも、アンペイド・ワークの評価を試みる動きはある。 しかし、それが成功しているとは言えないようだ。 同様に、筆者の試みは果敢ではあるが、経済活動の分析というより、男女間の差別へと目が向いているに感じる。 本書の企画が、1970年代にたてられたと書かれているとおり、ウーマン・リブが華やかだった熱き時代のなごりを感じる。
研究へのきっかけは、何でもいい。 しかし研究の結果、記述される内容は、筆者の動機から離れた客観性をもつ必要がある。 イデオロギー先行の研究は、批判すべき記述(ここでは国連国民経済計算体系=UNSNA)がイデオロギッシュであっても、その事実を見せなくしてしまう。 筆者が女性無視に憤るのは共感するが、労働を男女で切り分けることには無理がある。 統計学者たちは、開発途上の世界では、どんな無報酬の労働であれその価値を帰属計算させるのは、その労働が男性によってされたか女性によってされたかに関係なく、むずかしいという。だから排除には性別による違いはないと主張する。しかし、私の論文では、国という国、活動という活動すべてを通して、女性が行った労働が、しかも、その大半が、どのようにして生産領域から除外されたか記すために十分なデータを集めたのだった。女性が見えていないのは、いわゆる先進国で制度化された新手の植民地政策として、国民経済計算を通して非先進諸国に輸出されたのだということを示す、これは明らかな証拠だと思う。P108 国民経済という概念や経済学といった体系自体が、近代になってから生まれたものであり、近代社会のものである。 筆者も認めるように、国民経済計算は先進国で制度化されたものである。 だから、先進国の経済概念で、前近代てきな産業に属する国の価値を計るのは、きわめて難しいとおもう。 本書は男女差別に怒るあまり、前近代と近代を混同している。 複式簿記ですら近代の産物で、市場原理を解明する経済学自体が、大衆の登場によって始まった。 農耕社会と工業社会を、同じ価値観や尺度ではかろうとするのは、無理である。 レイプが結婚した男性によって合法化され、殺人が戦争によって正当化されるように、地球に対する略奪も、資源に市場があり、所有されうる限り、女性奴隷と同様に正当化されるのである。P230 女性に対するレイプ、国家の征服、そして地球破壊は同じものだという。 が、これらは明らかに別のものであり、ここでは筆者の論は間違っている。 状況が許せば女性もレイプをするし、国家の征服や地球破壊もする。 ミセス・サッチャーの例を出すまでもなく、男女という性別の問題ではなく、人間そのものの問題である。 筆者は、すべてのものを計算上の<つじつま合わせ>のために、むりやり市場価値に帰着させてしまうことに、非常な不快感をもっている。 そのため、市場価値に還元しない価値の体系を築きたいのはよくわかるが、本書は新たな価値の体系を目指しているとは思えない。 むしろ男女差別を憤っているだけのように読める。 女性が経済学に進出するのは珍しく、ましてやフェミニズムからの経済学アプローチはきわめて少ない。 市場価値以外の評価基準の体系化は、果敢な試みだけに理論構築が不可欠で、大胆な仮説を提示する論者の登場を待ちたい。
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