匠雅音の家族についてのブックレビュー    サイボーグ・フェミニズム|ダナ・ハラウエイ、サミュエル・ディレイニー、ジェシカ・アマンダ・サーモンスン

サイボーグ・フェミニズム お奨め度:

著者:ダナ・ハラウエイ、サミュエル・ディレイニー、ジェシカ・アマンダ・サーモンスン
−リブロポート、1991年 ¥2、575−(絶版)
水声社 2001年 ¥3、000−

著者の略歴−1944年9月6日生まれ。コロラド大学で動物学を専攻し、のちイエール大学で生物学博士号(Ph. D)を取得。ジョンズ・ホプキンズ大学、ハワイ大学ホノルル校での教歴を経て、現在カリフォルニア州立大学サンタクルス校の意識史専攻課程の教授。
 1985年にでたダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言」を中心として、サミュエル・ディレイニーとジェシカ・アマンダ・サーモンスンらの賛辞をあわせて1冊の本にしたものである。
本書からは、フェミニズムが燃えさかった時代の熱気を感じる。
しかし、今これを読むと、その熱気はどこへ行ってしまったのか、と妙な寂寥感に襲われる。

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 サイボーグ・フェミニズムというものがあるのではない。
社会主義フェミニズムを信奉する筆者が、科学とテクノロジーを絡めて時代を見通しているのだ。
巽孝之が序章で次のように書いている。

 性差の概念じたい、きわめて政治的に構成されたいきさつを目撃する。「性という自然」を「性差という文化」によって再定義してみせた瞬間、その「再定義」という営為そのものが、性差に本質的な政治的性格に彩られてきた歴史を認識する。P12

 まさにそうだろう。
人間存在という自然の事実を、意識や観念で読みなおす作業は、文化的なものである。
文化的なものであることは、とりもなおさず時代限定的であり空間限定的である。
つまり、どんな文化も個別的であり、人間すべてに普遍的に妥当するのではない。

 文化はそれぞれの民族や時代に固有のものであり、さまざまなかたちがある。
だから、文化と文化のあいだに優劣はない。
文化と文化の争いに決着をつけようとすると、ファッシズム的な行動になりかねない。
そういう意味では、男性性と女性性の争いは、最初から政治的なものでしかない。

 歴史上、これほどまでに政泊的理念によって「人種」「性差」「セクシュアリティ」「階級」の大問題に真剣に取り組まなければならない時代があったのかどうか、定かではない。(中略)白人女性は、むろん社会主義フェミニストを含めて、「女性」というカテゴリー自体が無垢ならざるものであることを発見した(中略)
  サイボーグ・フェミニストたちが議論しなければならないのは、私たちがもはや統一的な母型が自然のものとしてあったなどとは前提にしていないこと、そしていかなる構築も完全ではありえなことだ。無垢の観念をふまえ、犠牲の存在こそ唯一の思考の根拠とみなす考え方では、もうだめなのである。P51

 「犠牲の存在こそ唯一の思考の根拠とみなす考え方」という表現が、いかにも唯物論的なスタンスである。
筆者はマルクス主義的なフェミニズムに近いらしい。
時代状況を意識したなかでの、女性への認識を感じさせる。
当然のこととして、こうした彼女のスタンスは、同時にきわめて政治的なものでもある。

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 本書には、ラディカル・フェミニズムへの批判という伏線があるのだろう。
上記のように書いた直後には、キャサリン・マッキノンへの冷たい反応がある。
ラディカル・フェミニズムをポルノ撲滅派として、アンドレア・ドォーキンとならべて軽視しているようだ。
マルクス主義的なフェミニズムは、マルキシズムが近代の思想であるがゆえに、進歩史観にならざるを得ない。
だから筆者の立場が、科学とテクノロジーと結びつくのは、きわめて自然な流れである。

 わたしはまず、ありうべき理念をスケッチしようと思う。それは、社会主義的・フェミニスト的原理の方法論に多くを借りたヴィジョンとなるはずである。そしてそこでは、科学やテクノロジーを軸に世界的社会関係を再構築することの意義と可能性が重要な輪郭を成すだろう。P60

 といって、時代が工業化社会から情報社会への移行にある、と示唆する。
この時代認識と情報工学的な思考が、筆者をサイボーグへと導く。
マルクス主義的なフェミニズムは、進歩思想だから根が明るい。
決して悲観的ではない。進歩思想であるあたりが、わが国のような近代の後進国では受けるのだろう。

 筆者は必ずしも楽観的ではない。
女性を首長として核家族を営むと、やがて男性が逃走して老女ばかりになると危惧する。
そして、家庭、市場、有給職場、国家、学校、医院−病院、教会の7つに、高度資本主義社会からみた社会的理想環境に言及している。
情報工学の進歩は、政情不安と文化的な脆弱化を、大幅にエスカレートさせるとかんがえ、サバイバル・ネットワークを構築せねばならない、という。
1985年に書かれたことを思うと、鋭い指摘である。
筆者はサイボーグのイメージとして、次の2つを掲げる。

 1.普遍の統一理論を生産するのは大きな誤りであり、それはいつも、特に目下のところ−現実の主要部分を取り逃がしてしまう。
 2.科学とテクノロジーの社会関係に対し責任を負うことによって、わたしたちはまず反科学的形而上学やテクノロジーの悪霊学を拒絶し、そのうえで日常生活の境界を巧みに再構成する。

 筆者は、白人であることを常に認識しており、有色人種の女性へ不思議なくらいに親近感を示す。
西洋の白人が、植民地を求めて拡大したように、白人性を攻撃性としてとらえるとき、それは男性性の象徴となる。
それにたいしてアジアは植民されたほうであり、受け身とされるから女性性の象徴となる。
白人VS有色人種と男性性VS女性性の混交する、このあたりにジレンマはないのだろうか。

 フェミニズムがイデオロギーに偏重しやすい構造も、本書はよく示している。
私は、社会主義フェミニズムやマルクス主義的なフェミニズムとは違う立場であるが、筆者の時代への認識はおもしろく読んだ。
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参考:
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005年
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫  2008年
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997


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