著者の略歴−(1828年〜1906年)詩人,劇作家.ノルウェーのシェーン市生れ。家庭は非常に裕福な商家だったが8歳の時没落,作品を永らく認められず,彼ほど逆境におかれたものは少ない。処女戯曲「カティリーナ」1850を書いたが成功しなかった。同年クリスチャニアに出て大学に入学を試みたが失敗した。 本戯曲は1879年に出版されて、その年の暮れにコペンハーゲン王立劇場で上演された。 筆者は近代演劇の確立者として有名だが、それ以上に、本書は女性解放の聖書と見なされてきた。 1869年にロンドンで出版された「女性の解放」と同様に、 長い間にわたって、本書は多くの女性たちを力づけてきた。
筆者はなかなか世に認められなかったが、 故国ノルウェーからイタリアに脱出してから、徐々に名声を獲得していく。 今では知らぬ人はいないくらいに有名になった。 筆者はたくさんの著作を残している。 根底的な思考は、思考自体が危険性をともなうものだが、現在、本書を読んでも、危険思想だったことはよくわかる。 わが国でも女性が、男性と同等・同質の生き物だとは、やっと認められるようになってはきた。 しかし、それは総論だけのことが多い。 各論つまり具体的な状況になると、女性の生き方は無条件で認められるとは限らない。 映画「クレーマー・クレーマー」を、家事に勤しむかわいそうな男性という見方をするわが国では、 女性の自立のために子供を捨てて家をでることは、賛成を得られないだろう。 わが国では、いまだに本書の主題が認められるには至っていない、と言わざるを得ない。 女性が自分の自立ために、子供を捨てて家を出る、といったら、どんな反応が返ってくるだろうか。 自分は好きなことをしているから良いが、子供がかわいそうだ。 自分の産んだ子供の育児を放棄するのは無責任だ。幼児虐待だと言われそうである。 結局、女性である自分は、子供のために、自分を押さえて家にいる。 男性に限らず、多くの女性たちは、そう言うだろう。 ノラ:はい、ただ浮かれていただけですわ。なるほどあなたは始終わたしを甘やかしてくださいました。でもわたしたちの家は遊び部屋でしかなかったのです。わたしは実家で父の人形っ子であったように、こちらへ来てはあなたの人形妻でした。そしてこんどは子供たちがわた しのお人形さんになりました。それで子供たちがわたしが相手をして遊んでやるとうれしがるように、わたしはあなたが相手をして遊んでくださるとうれしかったのです。あなた、これがわたしたちの結婚でしたのよ。P129
ノラ:まさかあなたがあんな男の要求に属しなさろうなどとは夢にも思いませんでした。あなたはきっとあの男に向かって、さあ世間にぶちまけるならぶちまけるがいいと、こうきっぱりとおっしゃるものと信じて疑わなかったのです。そしてもしそうなったら− ヘルマア:そうなったらどうだというのだ。おれが自分の妻を恥と醜聞の前にさらけ出したら−? ノラ:そうしたら、きっとあなたは進み出てすべてを自分でひきうけて、それは自分の責任だ−と、こうおっしゃるだろうと思いこんでいたのですわ。(中略) ヘルマア:ノラ、おまえのためならおれは夜も昼も喜んで働くよ−またどんな苦労や不自由も忍ぶだろうよ。だが、たとえ愛する者のためにだって、名誉を犠牲にする男はないぞ。P135 結局、ノラは夫ヘルマアの家を出ていく。 いまから100年以上も前、こうした思想が生まれていたことに、あらためて驚く。 男性の筆になるものだから、現実的ではなかったろう。 理想主義的で観念論と聞こえたことだろう。 女性たちですら、この戯曲を歓迎したとは限らない。 しかし、解放の思想は、常に支配者から与えられるとすれば、男性こそ女性解放の思想を提示するのである。 本書の解説にも書かれているが、筆者は必ずしも女性解放論者ではなかった。 むしろ人間の解放を考えていた。 彼自身、のちにノルウェーの婦権同盟が彼を婦人解放運動の輝かしい戦士として歓迎した時に、次のように述べて答えている。 「私は婦権同盟のメンバーではない。私がどのような作を書いたにせよ、私はプロパガンダをしようという意識的な考えは少しも持たなかった。人々が一般に信じていると思われる以上に私は詩人であって、より少ししか社会哲学者ではない。私はあなたがたの乾杯に対しては感謝するが、婦権運動のために意識的に努力したという名誉ほ願い下げにしなければならぬ。私には、婦権運動が本来どのようなものであるか、いっこうに明らかではないのである。私はこれを広く人間の問題であると見た。(後略)」P150 現代から読むと、婦権運動家よりも筆者の発言のほうが、むしろ射程が長い。 女性解放を進めるうえで、女性であることに運動の原点をおくのは、あきらかに限界がある。 性別と性差が分離する以前なら、つまり工業社会までの女性運動なら、女性であることに運動の原点をおいても良い。 しかし今日では、女性であることに原点をおいた女性運動は、働く女性たちからも見捨てられている。 筆者がいうように、女性としてではなく、人間として自己を考えることこそ、男性にも女性にも有効な視点である。 3幕構成の戯曲として読むと、前2幕から3幕への展開がやや強引な感じがする。 そして、ストーリーの展開が理屈にすぎる。 伴侶を愛していた女性が、突然に自分を人形だと自覚するのは、困難だろう。 しかし今読んでも、本書に意義は充分に伝わってくる。 本書は恋愛感情をも客観視する。 本書のような思想を残してくれた、優れた先達に感謝する。
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