匠雅音の家族についてのブックレビュー    女性解放思想史|水田珠枝

女性解放思想史 お奨め度:

著者:水田珠枝(みずた たまえ)−−筑摩書房、1979年 ¥2、900−(絶版)

著者の略歴−1929年東京に生まれる。1957年名古屋大学大学院法学研究科政治学科修士課程修了。 専攻−政治思想史,フェミニズム史。1973年現在一名古屋経済大学教授。著書:『ミル「女性の解放」を読む』岩波書店、「女性解放思想の歩み」岩波新書、1973
 女性運動にかんして、本書は、わが国の女性が著した検討に足る、ほんとうに数少ない1冊である。
西ヨーロッパにおける、18世紀後半から19世紀前半にかけての、女性解放思想を渉猟している。
筆者は、なぜこの時期を選んだかという自己疑問に対して、産業革命とフランス革命が女性解放思想を育んだから、と答えている。
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女性解放思想史 (1979年)

 女性解放思想が、男性によってつくられ継承されてきた思想を吸収し、それと闘いつつ形成される状況を描こうとした、と述べる。
解放の思想は、つねに支配者によって与えられるのだから、男性が女性解放の思想を生みだしていたのは驚くにはあたらない。
むしろ男性によって作られたと自覚する謙虚さが、鋭い歴史認識を生むのである。

 本書は、1979年に出版されているが、各論文が執筆されたのは、60年代初めから70年代の半ばまでである。
この時代には、わが国における女性運動は、ウーマンリブと呼ばれる段階で、フェミニズムという呼び名が一般化していなかった。
状況を冷静に見るという姿勢を保ちえたのは、おそらくそのためだろうと思う。

 フェミニズムが普及してからは、女性運動は力を持ち始めたたと同時に、たちまち通俗化した。
そして、女性たちは女性に都合のいいように歴史を変質させ、政治的なイデオロギーに満ちた書籍の洪水となる。
元気のいい本は出版され続けるが、地道に歴史をひもとこうという姿勢は、急速に低下したといっても良いだろう。

 女性が、解放の物質的な基盤をもちえなかった理由をまず考察する。

 人間の生活は、生命の生産つまり子供を産むという行為と、生活資料の生産つまり物をつくるという行為のふたつの要因に規定され、人類の歴史は、種を保存する労働と生命を維持する労働というふたつの営みによってつくられ発展してきた。このふたつの営みのうち、生命の生産の負担は、生物学的構造からいって女性が負い、そのために生活資料の生産については、男性の方がよりおおくの労力をさくことができた。生産力の低い段階ではこの差異は差別としてあらわれなかったが、人類史のある発展段階で、生命の生産に対し生活資料の生産が決定的優位にたつ状況が出現すると、生活資料の生産でよりおおくの労力をさいてきた男性は、その成果である生産物、さらに生産手段を占有して、女性の生活の手段をうばった。自力で生活する道をうしなった女性は、育児や消費労働など労力を節約しにくい労働を課せられる一方、生産活動にも従事させられ、労働の成果はもとより、身体まで男性に支配されるようになり、男性は、女性の生活を保障するというかたちをとりながら、自分の相続人を産む手段、性行為の対象、労働力として女性を所有することになった。そして、このような男女関係を固定化し制度化するものとして家父長的家族がつくられたのであって、男性支配のこの家族は、歴史の過程でさまざまな変化をとげながらも、古代から現代にいたるまで社会の細胞をかたちづくってきた。近代社会は、この家族を解体して男性と女性とを対等な関係におくものではなかった。それどころか、この家族を足場にきずかれたのである。P6

 <女性の生活の手段をうばった>という表現に驚くが、女性抑圧の原因をさぐりながら、何が原因であるか論証しない。
これが今日に続く多くの女性論者の見解である。
以降の類書は、ほぼこの視点を踏襲している。
種族保存と個体維持を、性別によって分担したと言い直せば、個体維持を担当した性が種族保存を担当した性を抑圧した、となる。

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 しかし、本書の出発点自体に、女性解放の限界が内包されている。
生産力の低い段階では、個体維持と種族保存の差異は差別として表れなかったという。
が、生産力が上がると差異が差別に転化するとしたら、生産力の向上は女性に味方しないことになる。
ここには、個体維持が優先する必然性が考察されていない。
 
 筆者に、マルクス主義的な母権制論が染みついているのは、当時としてはやむを得ないだろう。
女性解放と論をたてれば、男性からの解放となり、男性を悪者にする構造になる。
上記の限界が、長くわが国の女性運動に、悪い影響を与える。
つまり、近代と近代以前に遡って、女性差別のほんとうの原因を、徹底的に考える姿勢を失わせた。
とにかく女性は抑圧されている。
悪いのは男性だ、と短絡する。
しかし、この限界に目をつぶれば、本書は丁寧に学説をひもといており、教えられるところが多い。

 ルソー批判から始まり、バークへと展開する。
イギリスにおける早い時代の女性論者であるウルストンクラフトを紹介しながら、近代がいかに男性社会かを述べる。
そして、ゴドウィンをへてブルジョア批判から、共産主義へと転じていくのは、当時としてはやむを得なかっただろう。
とりわけ筆者の育った名古屋大学は、マルクス主義が強いところだった。
マルキシズムにかぶれるのは不可避だったに違いない。
すでに、「スペイン市民戦争」も書かれていたし、「裏切られた革命」も書かれていた。
だから、もう少し広い視野をもっていれば、この隘路に入らなかったのだ。
ブルジョア思想こそ、女性解放思想の金城湯池だったのだが、筆者の目はそこまで届いて織らず、マルクス主義へと転じていってしまう。

 今日では、組合がもっとも男性支配が強いとも言われるように、マルクス主義は決して女性解放の思想にはならない。
1960年当時のわが国の思想状況は、ベーベルの婦人論などが主流だった。
誠実な学者の仕事でありながら、時代の流行から筆者が自由になれない限界を、本書はよく示している。
また、思想史として本書が書かれているので、現実を見る眼が弱く、イデオロギー批判に堕しているきらいもある。
しかし、女性解放史のうえでは、良きにつけ悪しきにつけ本書を外すことはできない。
こうなってはいけない見本として、批判的に読むものとして、本書は必読であろう。
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参考:
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005年
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫  2008年
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
エリザベート・パダンテール「母性という神話」筑摩書房、1991
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002


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