著者の略歴− 1897〜1925、京都の生まれ、作家。14・5歳の頃から紡績工場の職工として働き、プロレタリア文学を志したが、貧困のうちに病没した。著作:「工場」「奴隷」ほか 1925年(大正14)に出版された本書は、この手の本にしてはきわめて有名になった。 読んだことはなくても、多くの人が書名を聞いたことはあるはずである。 面白おかしいわけでもなく、76年も前に出版された本が、これほど読み継がれてきたことは不思議という他はない。 当時、女性の労働環境が劣悪だったことは、すでに多くの人から指摘されていた。 たとえば、石原修は1913年に「衛生学より見たる女工の現況」で、深夜労働や過酷な労働の害悪を指摘している。 紡績工場が結核の温床であり、農村への結核菌の伝搬元だと言っている。 ところで、女性運動で引用されることが多い本書だが、本書は男性によって書かれている。
多くの国では、軽工業と呼ばれる繊維産業から、工業化がおきることが普通である。 初期の工業社会は、生産のための機械を自前でつくることができない。 そのため、完成した機械を輸入することから、近代工業社会へと出発する。わが国も例外ではなかった。 資本主義の勃興期には、農業従事者が生活苦におそわれ、貧困のどん底に追い込まれる。 貨幣経済の浸透が、農業での生活を破壊してしまう。 そのため人々は、農業を離れて、職を求めて都市へと移住せざるを得なかった。 輸入された機械は高価だが、労賃は安い。 工業社会が成熟してくると、人件費が最も高価になる。 が、初期工業社会の労賃の安さは、今の中国などを見ればただちに理解できる。 労賃の安さが悲劇を生む。 当時の女性の職業は、女中奉公が主だった。 今、アジアでもメイドが、それであるのと同様である。 しかし、工場ができるに及んで、女中奉公より高給がとれる職が生まれる。 それが紡績工場の女工であった。 本書によると、初めの頃、女工はエリートだったという。 1.明治10〜27・8年頃−無募集時代:此の時分、女工の募集は易々として少しの骨も折れなかった。(中略)この頃、「前貸金」の制度は存在しなかつたし、従って「年期制度」もほんの名目だけ位で、主に退社は本人の自由意志、若しくは親許からの請求で容易に為されるのであつた。「強制迭金制度」も無かつた。書信の没収などといった横暴もなかつた。 ああ、初期の女工は如何ばかり幸福に働き得たことか−。 2.明治27・8〜37・8年−自由競争時代: 工場の数が増加して、女工が多く要るようになる。 一度応募した者が、帰国して工場の状況を訴える。 強制的送金制度や年期制度がうまれ、女工の争奪戦が始まる。 3.明治37・8〜大正頃−募集地保全時代:直接募集と嘱託募集ができ、募集人が女衒と同じような方法で人集めをおこなった。競争が激しくなった工場では、低賃金はいうにおよばず、さまざまな方策を考えだし、女工からの収奪をはかった。P51〜90
人権は近代的な工業社会とともに生まれ、工場労働者とともに成長してきた。 安い人件費の時代には、今日いうところの人権なる概念はない。 生まれた子供の半分しか成人できなかった前近代には、命が大切だという観念が希薄だった。 初期の工業社会では、農村が困窮する。 農業では食えなくないので、過酷であると知りつつも、男女ともに工場へと働きにでざるをえない。 今、近代化が進むアジア諸国を見れば明白だが、わが国の明治期にも、都市部には膨大なスラムが形成された。 都市は不衛生だというイメージは、その頃につくられた。 紡績工場での労働は過酷だった。 そこでの労働時間は、12時間制が多く、しかもそのうえに残業があった。 そして、たこ部屋のような寄宿舎があって、そこに女工たちは寝泊まりした。 1人あたり1畳にも満たない面積だった。 食事は賄い付きだったが、ひどく貧しいものだった。 そのため当時は死の病といわれた結核にかかるものが多かった。 女工には労働時間内だけではなく、寄宿舎に帰っても、拘束されていた。 公娼は自由が無いと言ふけれど、それは外面的な観察であつて今すこし内面的に考へて見るがいゝ、役女達は女としての生活欲望中最も大きな意味のある「美」の享楽はかなり自由であつて、物質生活に事欠くやうた憂いはない。女郎に於ては大抵な生活欲は満たされるけれど、労働夫人には殆ど此の自如がない。P140 娼婦と女工の比較とは、現在では想像もつかない。 しかし、当時の悲惨さは、両者ともに甲乙が付けがたかったのであろう。 1899年(明治32)に、横山源之助が「日本の下層社会」をあらわしている。 そのなかにも女工の生活が取り上げられている。 職人や芸人などとともに、女工が資本主義の底辺を支えていたものだった。 女性の解放を語るときに本書が必ず取り上げられる。 女性のみが被害者であったと語るのは、本書の趣旨を逸脱している。 本書では、男性の通い職工たちの生態も記述されており、彼らもまた過酷な境遇にあった、といっている。 女工たちが過酷な環境におかれたのは事実であるが、それは女性という括りよりも、貧しき者たちというべきであろう。 勃興期資本主義の厳しさは、女性をだけ狙い撃ちしたのではない。 男女の別なく貧者を生みだしたのである。 そのなかで、本書は女性の工場労働者に、目を向けたとみなすべきである。 女工の悲惨さを決して否定するつもりはないが、女性にだけ焦点を当てることは、資本主義の過酷さを見せなくしてしまうだろう。
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