匠雅音の家族についてのブックレビュー     ホームレスになった−大都会を漂う|金子雅臣

ホームレスになった
大都会を漂う
お奨度:

著者:金子雅臣(かねこ まさおみ〉  ちくま文庫、2001年  ¥740−

著者の略歴−1943年新潟県新発田市生まれ。1967年静岡大学卒業後、東京都庁に入庁。品川、亀戸、王子の労政事務所などを経て、現在、東京都労働経済局労政部に勤務。著書に、『女の部下を叱れない』『失業の心理学』(築地書館)、『公務員のセクハラ防止マニュアル』『あなたの理解で大丈夫ですか−管理職のためのセクハラ講座』(ぎょうせい)、『男たちの世紀末読本』(現代書館)などがある。
 ホームレスという言葉が、すでに市民権を獲得してしまった。
しかし家がない、だからホームレスなのではない。
浮浪者とか乞食といわれる人々は、昔からいた。
もっと時代を遡れば、ますます乞食は増えるだろうし、
また漂泊の詩人とかサンカと呼ばれる人たちがいた。
つまり定住しない人は、昔からいた。
そして、定住している人の多くは、定住していない人を何か別種の生き物のように眺め、
侮蔑すると同時に畏敬の念をもってみていた。
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 1960年代を過ぎ、わが国が経済的に豊かになると、
定住しない人たちは徐々に姿を消していった。
街はきれいなになり、橋の下をねぐらにしていた人もいなくなった。
経済的に豊かになったから、貧乏な庶民も家を手に入れることができるようになった。
現在のわが国では、家族の数より住宅の数の方が多い。
狭いとか不便だといった文句を言わなければ、
誰も露天で暮らすことはない。
ではなぜ家を出て、ホームレスの生活にはいるのか。

 彼らの多くは、経済的貧困だけを理由に路上生活をはじめたわけではない。もちろん、経済的事情も大きな要因とはなっているであろうが、決定的なことは、人間関係を失ったことによって路上に出てきているということだ。P219

 だから、本当の問題はこうした「経済的な貧困」によって、すぐ貧困化してしまう「人間関係の貧困化」のほうかもしれない。経済関係により多くを支配されてできている現代の人間関係は、経済閑係の崩壊によってたちどころに崩壊してしまう関係にすぎないのだろうか、そうであるとすれば、この現代社会における人間関係というものは一体何なのだろうか。P110


 かつては暖かくもあり陰湿でもあった共同体なるものが、人間をつかんではなさなかった。
共同体とは、たとえば家族であり、職場であり、地域であった。
だからホームレスにはならなかったという。
ある部分ではそうだろう。
しかし、貧しい社会とは、全員がホームレスのようなものだ。
間引かれる赤子、生まれてもすぐに死んでしまう幼児、
身売りされる子供、厳しい労働による肉体の変形、容赦ない自然の猛威、
それらのまえに人々はあきらめて生活をしていた。

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 かつての社会では、成人した人は頑健な肉体と、したたかな精神をもった人たちばかりだった。
それでも50歳くらいまでしか生きることはできなかった。
それが前近代である。
しかし、ほぼ全員が成人し、老人となる社会では、虚弱な肉体とひ弱な精神でも成人できる。
社会から逸脱する人がでても不思議ではない。
元来、生まれ出た全員が、穏健な社会的動物とは限らない。

 人間は、社会的な生き物でありながら、社会から逸脱もする。
ホームレス、それは人間の不可避の部分でもある。
だから私たちは、ホームレスを特別視する必要はまったくない。
彼(女)等は、私たちの分身でもある。

 それは、路上生活者をミゼラブルであるという先入観でとらえるあまり、三度三度の食事にもこと欠き、着るものにも不自由をし、寝るところがない気の毒な人たちだと、一律に思い込みがちなことである。
 もちろん、そうしたミゼラブルな現実を抱えていることは事実だが、その現実が気の毒かどうか、ミゼラブルかどうかについては主観的な判断を含むからである。なぜならば、三度三度の食事はともかく、着るものや寝る場所については、それぞれの選択の問題である。年中同じものを着ていようと、路上で寝ていようと、見る側の不快さはさておき、それが不快かどうかはその人自身の問題かもしれないからである。P70


 庶民である私たちは、ホームレスを自分の分身と考える。
そして特別視も差別もしないし、反対に妙な思い入れもしない。
しかし、行政はホームレスに手をさしのべる義務がある。
社会を支えるのは、非社会的なものを含みもった人間だから、
非社会的な存在であるホームレスを人間扱いしなければならない。

 行政がその数字を正確に把握していないということは幾つかの意味を持つが、とりあえずは次の二つのことはいえる。その第一は、このホームレス増加の現象が、これまでの行政の範囲と手法ではとらえきれない現象であるということである。そして、第二には、あえてこれらを把握する努力を現段階でしていないということは、行政の対象としていく意思がとりあえずはない、ということである。P200
 
 わが国の行政は、逸脱した人には冷たい。
社会からこぼれるのも人間であり、逸脱を認めるがゆえに、
逸脱しない人間を理解することもできる。
良識ある人間ばかりの社会など、不気味でしかない。
清濁ともにあるのが、人間社会なのだ。

 核家族の崩壊がいわれ、個人へと解体していく時代にこそ、
セーフティネットとしての救済制度が、用意されるのは当然である。
少しでも働ければ、生活保護の対象にならず、不順な体調は労働に耐えられない。
結局、お金がないので、医療の対象にならない。
福祉と医療の谷間で翻弄されるのは、まだまだわが国が貧しい証拠である。
 
(2003.1.10)
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参考:
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