匠雅音の家族についてのブックレビュー    家父長制と資本制−マルクス主義フェミニズムの地平|上野千鶴子

家父長制と資本制
マルクス主義フェミニズムの地平
お奨め度:

著者:上野千鶴子(うえのちづこ)−−岩波書店、1990年 ¥2、500−

著者の略歴−1948年生まれ 京都大学大学院文学研究科博士課程修了.京都精華大学助教授を経て、現在束京大学文学部教授、専攻=社会学。著者「ドイツの見えない壁−女が開い直す統一」(共著,岩波新書)のほか,「構造主義の冒険」「資本制と家事労働」「女という快楽」「女遊び」「女は世界を救えるか」「ミッドナイトコール」「日本王権論」(共著)「男流文学論」(共著)など多数.
 何十万部も売り上げた女性関係の書籍を手に、東大教授へと華麗に転職して見せた筆者である。
この筆者が、わが国のフェミニズムを先導したことが悲劇だった、と私は今でも感じている。
本書の出版時は、ウーマン・リブの時代からフェニミズムへの転換点にあった。
本書は、女性運動から人間としての普遍的な視点を欠落させ、女性性に収斂させてしまった元凶だろう。

 ジャーナリスティックで政治的な資質を色濃くもった、この筆者の著作はずいぶんと売れたがゆえに、大きな影響力だったと思う。
もっとも、それがわが国のフェミニズムだった、と言ってしまえばそれまでだが。
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女性の抑圧を解明するフェミニズの解放理論には、次の三つがあり、また三つしかなかったと言える、と筆者は乱暴に断言する。
学術書の体裁をとってはいるが、論証が独断的断定の連続である。

1 社会主義婦人解放論
2 ラディカル・フェミニズム
3 マルクス主義フェミ二ズム P3

 自らはっきりと自分の立場を言わないところが、この筆者の政治的なセンスの鋭さなのだろう。
しかし、筆者がマルクス主義フェミ二ズムの立場をとるのは明白である。
社会主義の婦人解放論は、女性解放を社会主義革命に還元し、ラディカル・フェミニズムは性革命を最重要視する。
そして、マルクス主義フェミ二ズムは、階級支配一元論も性支配一元論もとらない、といったあとの次の言葉から推察できる。

 フェミニストの視点からマルクスの原典という聖域を侵犯し、その改訂を辞さない一群のチャレンジングな人びとだけを、私はマルクス主義フェミニストと呼ぶ。P11

 その後、フェミニストのマルクス主義批判、家事労働論争、家父長制の物質的基礎と本書は続く。
きわめて歯切れの良い文体で、次々と断定が続くのは、女性解放の政治的な立場からは読みやすい。
当時、本書が歓迎されたことはよく判る。
しかし、本書は熱い政治的な季節を背景にした、政治的なプロパガンダの本としか読めない。
その本書が、学術書的な体裁をとって登場していることが、その後の女性運動の衰退を予測しているようだ。

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 筆者の言葉ではないが、家父長制には物質的な基礎があるというのは、いかにもマルクスからの翻訳的な引用に見える。
そして筆者は、さまざまな領域へと目配りを行き届かせ、外国人研究者の論文をたくさん引用しながら論を進めていく。
また筆者は、近代社会を歴史的な時間軸において考察しており、筆者の論からは女性が人間であることの確認へと簡単に到達しそうである。
よく勉強していて、いかにもと思わせる記述が続く。
しかし、本書はイデオロギー色が勝っており、きわめて政治的な発言が多い。
筆者は歴史を自分の目で見ていない。

 女性の解放を主張することが先に立ち、生産力が誰に担われどう展開したか、自然環境はどうだったか、といったマルクスなら最初に考えるだろうことに考察が届かない。
筆者はノリとハサミで論文を書く女性フェミニスト学者であり、実感に基づいて行動する女性運動家といった構造が、本書の向こうに透けて見える。
とりわけ前半の理論篇は、論旨の展開が引用に流れている。
そのため、後半の分析篇では、分析が現実に届いていないから、本書はたちまち現実に追い越されてしまった。

 資本主義を批判することは自由だが、資本主義を打倒する可能性や資本主義以外の体制があるかの論は、やはり無責任ではないだろうか。
いかに資本主義が搾取の上に成り立っているとしても、生産を無視できないとすれば、資本主義を攻撃しても意味がないのではないだろうか。
資本主義こそ女性の解放に、もっとも味方したという視点にはどう対応するのだろうか。

 「資本制は女性にとって開放的か」という同じ問いに対する私の回答は、イエス&ノーである。P302

という記述が筆者を免責するものではない。
その後の筆者の行動を見れば、筆者はまちがいなく高等遊民であり、資本主義の申し子そのものである。
すでに10年以上もむかしの著作だから酷評かもしれないが、筆者の与えた影響力を考えると、厳しい論調にならざるを得ない。
筆者は、本書の最後を次の言葉で締めくくっている。

 最後に、ありとあらゆる変数を問わず、労働の編成に内在する格差の問題が残る−それは、なぜ人間の生命を産み育て、その死をみとるという労働(再生産労働)が、その他のすべての労働の下位におかれるのか、という根源的な問題である。この問いが解かれるまでほ、フェミニズムの課題は永遠に残るだろう。P307

 筆者が歴史を自分の目で見ていれば、再生産労働より個体維持のほうが優先することは、簡単に判るはずである。
筆者はフェミニズムのありかたを、再生産労働という女性に固有の問題としてしまった。
ここでわが国のフェミニズムは、衰退すべく命運を決められてしまったのである。
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参考:
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シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
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ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

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