匠雅音の家族についてのブックレビュー   シングル単位の社会論−ジェンダー・フリーな社会へ|伊田広行

シングル単位の社会論
ジェンダー・フリーな社会へ
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著者:伊田広行(いだ ひろゆき) 世界思想社  1998年  ¥2300−

著者の略歴−1958年生まれ、大阪経済大学教員。勤務先住所 〒533−0015 大阪市東淀川区大隅2−2−8、専門 社会政策、労働経済、女性政策、ジェンダー論 著書『性差別と資本制−シングル単位社会の提唱』啓文社1995年、『セックス・性・世界観一新しい関係性を探る』法律文化社(編著)1997年、『樹木の時間−もう鼻血もでねえ!』啓文社1997年、『シングル単位の恋愛・家族論−ジェンダー・フリーな関係へ』世界思想社1998年、『21世紀労働論−規制緩和へのジェンダー的対抗』青木書店1998年
 家族単位からシングル単位の社会になれば、個人が解放され、自由な社会になるという主張である。
当サイトの主張する単家族論ときわめて近いのだが、シングル単位でよければ、何も悩むことはない。
1998年の本書の出版よりずっと前に、本書のレベルに到達していた。
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シングル単位の社会論

 「性差を越えて」のさわりを、花泥棒に書いたのは1982年のことだったし、 「シングルズの住宅−住宅及び居住環境における1人世帯の研究」を書いたのは1994年のことだった。
シングル単位の個人では、なぜ問題の解決にならないのか。
それは、シングルでは世代交代ができないからである。

 世代交代のない理論では、人間社会が消滅してしまう。
だから、シングル単位ではなく、どうしても世代交代を内蔵した理論が必要だった。
1968年の五月革命が語った地平を、どうしても越えなければならなかったのだ。

 簡単に言えば、家族がいるかいないか、どんな家族かに無関係に、個人の自由を大切にするための仕組みがシングル単位制度である。各人は、パートナー込みで考えず、自分の食いぶちは自分で稼ぎ、同時に自分で家事をする。二人は「一人ではなく二人」だと認める発想である(1+1=2)。二人で暮らしていても、基本的に家計は各人ごととする。子どもがいるなら、男女にかかわりなく自分で育児をする。妻に任せたらいいとか、夫に稼いでもらうという発想自体を排除するのである。同時に子どもを所有物ととらえず、子ども個人の権利を尊重する。自分で行い、自分で責任をとる。すべてを自分個人を単位に考えること、ここからシングル単位社会への変革は始まる。P102

 子供は生まれてすぐは、独力では生きていけない。
誰かが養育していかなければ、死んでしまうのが人間の子供である。
子供も1人の人格であることはたしかだが、子供を大人と同様のシングルとして扱うことはできない。

 シングルとして社会を見るレベルから、世代交代を内蔵した単家族へと至るのは、ほんとうに大変だった。
気が付いてしまえば何と言うことはないが、世代交代を内蔵した単家族だからこそ、核家族をはじめとする既成の家族に抗することができた。

 愛にもとづく核家族が、男女差別の温床であり、核家族こそ女性解放を妨げている。
女性が解放されないことは、当然のこととして男性も解放されていない。
こうした認識は、いまや当然であろう。
だから、筆者が家族にこだわり、家族単位の社会を否定するのは、とても良く理解できる。

 しかし、筆者の立場は、シングルが良いのだという一種の宗教である。
シングルを強調するあまり、現実における論理的な根拠をとばして、はじめからシングルありきで論が進んでいる。

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 家族単位がいかに差別的であっても、工業社会には家族単位の政策が適していたのだ。
工業社会でいきなり個人単位にしてしまったら、女性は働く場所がなくて路頭に迷ったであろう。
大家族の時代なら、家を守ることによって、男女が暮らすことができた。
しかし、工業社会では女性にまっとうな給料を払えなかったのだ。
歴史を無視した論は、結局信じるか否かの宗教になってしまう。
 
 本書で繰り返しているように、僕は基本的には、次の数年から十数年先まで位の短い時期の制度のあり方の提起として、 具体論・政策論として「シングル単位」を主張しているのであり、より長期的な、国家・家族・個人の三層構造を乗り越える新メガ・モデルを考える点では、 つまり男女二分法・近代家族幻想を乗り越える点については、基本方向としての「シングル」姿勢−つまり逸脱し闘うスタイル−を提示しているにすぎない。P118

 筆者は短期的なモデルとして、シングル単位を言っているらしいが、短期的なモデルでは危なくて採用するわけにはいかない。
単家族は長期的な射程をもつのだ。
単家族は、国家・家族・個人の三層構造を乗り越える、新メガ・モデルである。
筆者の問題意識には共感するが、シングル単位を信仰としてしまっているので、なんだか本書全体が嘘っぽいのだ。

 家事労働をアンペイド・ワークとしてとらえると、どうしても核家族擁護になりがちであるとか、よく判っているところもある。
しかし、女権拡張運動からフェミニズムへと転じた時代背景の分析がないので、フェミニズムの主張も筆者の宗教的信条の吐露になってしまっている。

 例えば、家族のために一生懸命働いているつもりの男性には、妻の家事が無償であることや家事を女性がやること、男が権威主義的な関係を女性と持つことなどがいったいどういう問題なのかは分からない。妻を搾取していると言われても「俺の給料はすべて妻に渡しているのに、なにが搾取だ、差別だ」とか「僕たちは話し合って、協力し合って、夫婦分業してきたのだ」と言うしかないだろう。「男としての俺の俺なりの妻への愛し方なんだから、俺たち夫婦の問題であって、他人は文句を言うな」と思うだろう。P223

といった人たちには、筆者の言葉が届かないのだ。
信じるか否かになってしまうと、いかに現実を解しているかの論理的な正しさではなく、信じている人が多いかどうかの多数決になってしまう。

 筆者は、差別の克服とか、人権の尊重というが、差別が悪とされのは近代だし、人権という概念ができたのも、近代になってからだ。
いずれも普遍的な概念ではないから、途上国の人には人権意識はないにひとしい。
人権がないことは、その社会の産業が規定しているのだから、人権のないことを単純に非難することはできない。

 筆者はボクより10才も若いのだから、もう少し柔軟な思考が求められる。
それに批判する場合は、具体的な名前を出したほうが良いのではないだろうか。
とくに母性賛美系のフェミニズムには、きっちりと批判し、決別すべきだろう。
  (2009.7.20)
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参考:
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
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磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
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賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
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ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
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斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
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香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
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速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
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森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998

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