匠雅音の家族についてのブックレビュー    看護婦は家族の代わりになれない−病棟で見た家族の姿|宮内美沙子

看護婦は家族の代わりになれない 
病棟で見た家族の姿
お奨度:

著者:宮内美沙子(みやうちみさこ)−角川文庫、2000年  ¥571

著者の略歴−1946年京都市生まれ。京都府立宮津高校卒。1967年国立療養所宇多野病院付属高等看護学校卒。同病院勤務を経て、現在、都内の公立病院に勤務。著書に『看護病棟日記』『看護病棟24時』『ナースキヤツプは「ききみみずきん」−看護の現場から−』(角川文庫)、『シリーズ生きる・患者に学ぶ』(岩波書店)などがある。
 病院がなかった時代には、誰もが自宅で生まれ、自宅で死んだ。
人間の生き死には、家族のなかで営まれてきた。
近代になって、病院ができ、人間の生命が医者という人間によって管理され始めると、生き死も病院内でのできごとになった。
人間の誕生や死が日常から離れ、病院でのものになって久しい。
本書は、現場の看護婦さんから見た、現代の看護のあり方への一視点である。

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 大家族が当たり前だった時代、家族のなかに生まれ家族のなかで死んだ。
家族以外には、誰も面倒を見る人間はいなかった。
しかし、工業化によって大家族が核家族へと分解すると、家族はその性格を大きく変えた。
農耕社会の家族と、工業社会の家族は、同じ家族という言葉で呼ばれるが、その内実は大きく違う。

 農耕社会の家族はまずなによりも、土地をもとにした生産組織であった。
人は誰でも、家族に属すると同時に、そのまま生産者でもあった。
だから、家族に属する限り、生産者としての保護も与えられた。
それが大家族という組織の性格である。
工業社会になると、土地の縛りから解放されたので、個人という存在があらわになった。
大家族を維持しようにも、できなくなった。
個人としては核家族にならざるを得なくなった。

 核家族のもとでは、家族意識もそれにしたがったものになる。
本書は、現代の家族が冷たいと感じているらしく、現代人は病んでいるという。

 視野の狭い個人主義、利潤と効率、業績本位の企業社会、カネと肩書き、社会的地位本位の競争社会、人間らしい優しさや思いやりを見失わせるゆとりのない管理社会、自分らしさや本当にやりたいことを見えなくさせる消費情報の氾濫した情報化社会、生きていることを実感させる、誰にも譲り渡せない自分自身の価値観の喪失…、それらの強いストレスが入りくんで、現代人は大人も子どもも老人も、男女ともに病んでいるのではないでしょうか。P283

といった認識から、現代の家族を見れば現代人は非道な人種に見えるだろう。
そしたなかで、筆者の心の銀線に触れるのは、大家族的な古いタイプの家族愛だろう。
しかし、この視点では、人間社会はますます病的になり、ひどくなりばかりである。
個人化を不可避と捉えて、そのなかでのあり方を考えるべきである。

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 HIV患者の最期をみとる看護を担当しながら、家族が患者との関係を拒絶したり、反対に患者を温かく見守ったりと、さまざまな反応を表すのに驚いている。
ここで判るのは、家族とは死を眼前にして始まる話ではなく、健康な日常からの関係の作り方の問題だということだ。
ゲイのHIV患者は、個人化した社会に特有の病気でもある。

 ゲイであること自体が今までの血縁の家族より、個人に生きる関係を選んだことなのである。
だからゲイは、大家族のように自然に生じるように思われた家族愛ではなく、他人という人間が意識的につくりだす愛情におっている。
しかも、この愛情はきわめてもろく、子供が生じないことから、精神性以外の保障がない。

 我々は農耕社会の大家族から、核家族に生きるようになって、いくらもたっていない。
そのため、核家族の生き方とか、倫理といったものにも慣れていない。
それでも、社会は容赦なく情報社会へと進み、ますます個人化してくる。
個人になったからこそ、自由も手に入れたのである。

 自由だけを満喫して、孤独を回避することはできない。
そこでは個人は、いやでも孤独と向き合わねばならない。
葬儀が残された人のためであるのと同様に、看病も死んでいく人のためだけではなく、残る人のためのものでもある。
死は神が命じるが、生きることは人間の仕事だからである。

 病院看護ということ自体が、個人は無色で平等だという近代思想に支えられている。
看護婦の仕事を、患者が自分への愛情表現だと勘違いすることもある、と筆者は言う。

 それ(看護にはげむこと)は患者との個人的感情による行為ではない。また患者と思想や世界観、情感や価値観などで共鳴し合っているからでもない。極端な話、目の前の患者が、たとえうんとムシの好かない人であっても、あるいは凶悪な殺人犯だったとしても、私たちの対応は変わることはないだろう。
 老若男女や貧富の差、あるいは美醜や社会的な地位や肩書きによって、看護婦はその患者への態度を変えはしない。人間である限り、多少の好き嫌いの感情はないとは言えない。それでも、患者が誰であれ病気である限りは、その人の身になって治療と看護に全力を尽くすのが、日本の看護婦である。P136

看護婦とは過酷な仕事であると思う。
ある面では、医者以上に患者との接触は多い。
にもかかわらず、医者ほどには高い評価を受けない。

 筆者の姿勢はやや古い感じがして、いくらかの違和感があるが、自分の仕事に誠心誠意で全力をつくすのは伝わってくる。
時代よりやや遅れて進むほうが、こうした職業には良いのだろう。
現場での思考とは常にこうしたものだ。
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参考:
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ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
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サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
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塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
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浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
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小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
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広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005


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