匠雅音の家族についてのブックレビュー    「家族」はこわい−まだ間にあう父親のあり方講座|斉藤学

「家族」はこわい
まだ間にあう父親のあり方講座
お奨度:

著者:斉藤学(さいとう さとる) 1997年  新潮文庫   ¥400−

 著者の略歴−1941年、東京生れ。慶應義塾大学医学部卒業。精神科医。家族機能研究所代表。アルコール依存症、児童虐待、過食症、拒食症、アダルト・チルドレンなど嗜癖研究の第一人者。著書に『アダルトチルドレンと家族』(学陽文庫)、『「家族」という名の孤独』『封印された叫び』(講談社)、訳書に『食べすぎてしまう女たち』(講談社)など多数。連絡先:〒106−0045 東京都港区麻布十番2−14−6 イイダビル2F  家族機能研究所 TEL:03−5476−6041    http:www.iff.or.jp
 本書の上梓は1977年であり、すでに10年以上がたっている。
最近は景気のことが主な話題になって、家族のことは片隅に追いやられたようだ。
戦争で精神病が少なくなるように、不景気は家族問題を希薄化するのだろうか。

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 10年以上も前に書かれた本だから、ちょっと割り引いて読まなければならないと思っていたら、
あとがきに口述筆記だと書かれていた。きちんと推敲して書かれたものとは言いがたく、やや散漫な感じがする。
筆者は一体何を言いたかったのだろうか、とも思う。
しかし、筆者のスタンスは明確である。

 わたしは、二十世紀最大の功績はフェミニズムだと思っています。わたしはフェミニズムから、男はそんなに頑張らなくてもいいよというメッセージを読み取っていますが、女と男の関係を愛や性ではなく、権力で言い換えたことがフェミニズムのすごいところだと思います。この洗礼を受けていない父親論はおかしくなる、古臭いものと変わらなくなってしまうと思っています。P17

 こう言える男性は少ないだろう。
もちろん当サイトは、20世紀が生んだ最大の思想は、フェミニズムであると思っている。
しかし、我が国では女性たちもフェミニズムが何であるかを知らない。
そう考えるとき、筆者の立場が、いかに原則的であるかわかるだろう。
上記のような前提に立って、家族を論じていく。

 家族はフィクションであり、母子関係は生物的な基礎をもつが、父子関係は社会的なものであり、きわめて怪しげなものだという。
家父長制が人間の歴史だが、父子関係がフィクションであるがゆえに、自覚的にならないと人間社会は維持できない、と考えている。
原則的にはボクも筆者の立場に同意する。


 こうした中で、父親の本来のあるべき姿とは、どんなものでしょうか。わたしはまず第一に、母や子を外界から守り、家庭を境界づける「屋根」や「壁」のようなものと思っています。これがわたしたちの家だよと、その境界を示し、その中で母と子が安全にいられることを示すのです。ちょうど屋根のような壁のような、シートをかける役割とでも言いましょうか。P20

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というのが、どんな社会でもある父親像だという。
それにたいして、男女の役割が、性別によってわかれた核家族、つまり男性が家庭の外で働き、女性が家事のすべてを担う近代家族は、歴史源的的なものだという。
こうした見方は、すでに定説になってきた。

 農業が主な産業だった時代、家族は全員が労働者であり、家事の担当者だった。
しかも、働く場は家の近くだったから、それぞれの働く姿がみえた。
もちろん、農家に生まれたら、百姓になる以外には、生きていく道がなかった。
だから、だれも子供に出世など望みはしなかった。
その結果、子供はあるがままの姿で肯定され、慈しまれた。
近代家族になると事情が変わった。 

 子産みはいまや、親の人生戦争における重要なタクティクス(戦術)になっています。人生を充実させるための道具なのです。まして、そのために男の人と一緒になったりすれば、そこで生まれてくる者というのは、最初から重大な使命を背負って出てくるわけです。それは産んだ女性に奉仕し、その女性とパートナーとの間に橋を渡し、彼女を満足させるものでなければなりません。
 人一倍かわいくなくてはならないし、連れて歩くのに格好のいい素材でなければならないし、幼稚園なり小学校へいく頃には、それなりのステータスのところで、利発な子どもをやらなければならない。質の高い子、ブランド志向の子育てです。こういう中に、いまの子どもたちはいるのです。つまり、親の描いた設計図に従って、親が自由に駒を動かすように、親の思いどおりの子どもにする。そこには子どもは親の私有物との意識が無自覚にしろあります。それが現代の子育てです。P102


 どうしてお母さんが男の子に立身出世を期待するかと言えば、それを通してしか母親は自己表現できないからです。自分の夢も野心も皆、子ども、とりわけ息子に託しているのです。P177

 別々のところから引用したが、ほぼ同じ文脈である。
性別役割分業がいかに女性の、とうぜんにその反射として男性の、人間性を歪めているか。
土地のうえに肉体でもって働いていた時代、誰しもが働く手応えをもち、直接に自己実現ができた。
土地からの縛りは、男女に等しくあり、男女の差別は少なかった。

 近代になると、女性の働く場所が狭められ、女性の自立は男性をとおしてしか、実現できなくなった。
この歪みがすべて、諸悪の根元である。
我が国のフェミニズムは、専業主婦の存在を認めてしまったが、家庭を顧みないワーカホリックの男性も非難されるべきだし、専業主婦も非難されるべきなのだ。

 男たちよ、そんな責任、幻想は、投げ出してしまおう。「お仕事はもういい。どうぞ女の人もやってくだきい」と。さらに「自分が本当に生きたい生き方をしよう。会社は働いた分に見合うだけの給料をもらうところでいいんだ」と思うことにしましょう。そうすることで、現状の「父親不在」の基盤は、一つ崩れるのではないでしょうか。仕事をシェアずることで、母親が社会に進出すると同時に、父親も育児にもっと関わってくるからです。P226
 
 どんな社会になっても、子供は必要不可欠である。
男性は精子の提供者として不可欠であっても、必ずしも父親は必要ではない。
同様に、女性は卵子と子宮の提供者としては不可欠だが、母親がいなくても子供は育つ。
しかし、大人がいないと子供は育たない。

 子供に不可欠なもの、それは親の愛情表現、それに夫婦仲の良いことである。
しかも、親の愛情とは、あるがままの子供をそのまま慈しむ、無償の愛でなければならない。
「まだ間にあう父親のあり方講座」という副題のとおり、男性の生き方を追求している。 
筆者の著作には、いろいろと教えられることが多い。   (2009.1.31)
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参考:
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995  
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992

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