著者の略歴−1941年、東京生れ。慶應義塾大学医学部卒業。精神科医。家族機能研究所代表。アルコール依存症、児童虐待、過食症、拒食症、アダルト・チルドレンなど嗜癖研究の第一人者。著書に『アダルトチルドレンと家族』(学陽文庫)、『「家族」という名の孤独』『封印された叫び』(講談社)、訳書に『食べすぎてしまう女たち』(講談社)など多数。連絡先:〒106−0045 東京都港区麻布十番2−14−6 イイダビル2F 家族機能研究所 TEL:03−5476−6041 http:www.iff.or.jp 本書の上梓は1977年であり、すでに10年以上がたっている。 最近は景気のことが主な話題になって、家族のことは片隅に追いやられたようだ。 戦争で精神病が少なくなるように、不景気は家族問題を希薄化するのだろうか。
10年以上も前に書かれた本だから、ちょっと割り引いて読まなければならないと思っていたら、 あとがきに口述筆記だと書かれていた。きちんと推敲して書かれたものとは言いがたく、やや散漫な感じがする。 筆者は一体何を言いたかったのだろうか、とも思う。 しかし、筆者のスタンスは明確である。 わたしは、二十世紀最大の功績はフェミニズムだと思っています。わたしはフェミニズムから、男はそんなに頑張らなくてもいいよというメッセージを読み取っていますが、女と男の関係を愛や性ではなく、権力で言い換えたことがフェミニズムのすごいところだと思います。この洗礼を受けていない父親論はおかしくなる、古臭いものと変わらなくなってしまうと思っています。P17 こう言える男性は少ないだろう。 もちろん当サイトは、20世紀が生んだ最大の思想は、フェミニズムであると思っている。 しかし、我が国では女性たちもフェミニズムが何であるかを知らない。 そう考えるとき、筆者の立場が、いかに原則的であるかわかるだろう。 上記のような前提に立って、家族を論じていく。 家族はフィクションであり、母子関係は生物的な基礎をもつが、父子関係は社会的なものであり、きわめて怪しげなものだという。 家父長制が人間の歴史だが、父子関係がフィクションであるがゆえに、自覚的にならないと人間社会は維持できない、と考えている。 原則的にはボクも筆者の立場に同意する。 こうした中で、父親の本来のあるべき姿とは、どんなものでしょうか。わたしはまず第一に、母や子を外界から守り、家庭を境界づける「屋根」や「壁」のようなものと思っています。これがわたしたちの家だよと、その境界を示し、その中で母と子が安全にいられることを示すのです。ちょうど屋根のような壁のような、シートをかける役割とでも言いましょうか。P20
それにたいして、男女の役割が、性別によってわかれた核家族、つまり男性が家庭の外で働き、女性が家事のすべてを担う近代家族は、歴史源的的なものだという。 こうした見方は、すでに定説になってきた。 農業が主な産業だった時代、家族は全員が労働者であり、家事の担当者だった。 しかも、働く場は家の近くだったから、それぞれの働く姿がみえた。 もちろん、農家に生まれたら、百姓になる以外には、生きていく道がなかった。 だから、だれも子供に出世など望みはしなかった。 その結果、子供はあるがままの姿で肯定され、慈しまれた。 近代家族になると事情が変わった。 子産みはいまや、親の人生戦争における重要なタクティクス(戦術)になっています。人生を充実させるための道具なのです。まして、そのために男の人と一緒になったりすれば、そこで生まれてくる者というのは、最初から重大な使命を背負って出てくるわけです。それは産んだ女性に奉仕し、その女性とパートナーとの間に橋を渡し、彼女を満足させるものでなければなりません。 人一倍かわいくなくてはならないし、連れて歩くのに格好のいい素材でなければならないし、幼稚園なり小学校へいく頃には、それなりのステータスのところで、利発な子どもをやらなければならない。質の高い子、ブランド志向の子育てです。こういう中に、いまの子どもたちはいるのです。つまり、親の描いた設計図に従って、親が自由に駒を動かすように、親の思いどおりの子どもにする。そこには子どもは親の私有物との意識が無自覚にしろあります。それが現代の子育てです。P102 どうしてお母さんが男の子に立身出世を期待するかと言えば、それを通してしか母親は自己表現できないからです。自分の夢も野心も皆、子ども、とりわけ息子に託しているのです。P177 別々のところから引用したが、ほぼ同じ文脈である。 性別役割分業がいかに女性の、とうぜんにその反射として男性の、人間性を歪めているか。 土地のうえに肉体でもって働いていた時代、誰しもが働く手応えをもち、直接に自己実現ができた。 土地からの縛りは、男女に等しくあり、男女の差別は少なかった。 近代になると、女性の働く場所が狭められ、女性の自立は男性をとおしてしか、実現できなくなった。 この歪みがすべて、諸悪の根元である。 我が国のフェミニズムは、専業主婦の存在を認めてしまったが、家庭を顧みないワーカホリックの男性も非難されるべきだし、専業主婦も非難されるべきなのだ。 男たちよ、そんな責任、幻想は、投げ出してしまおう。「お仕事はもういい。どうぞ女の人もやってくだきい」と。さらに「自分が本当に生きたい生き方をしよう。会社は働いた分に見合うだけの給料をもらうところでいいんだ」と思うことにしましょう。そうすることで、現状の「父親不在」の基盤は、一つ崩れるのではないでしょうか。仕事をシェアずることで、母親が社会に進出すると同時に、父親も育児にもっと関わってくるからです。P226 どんな社会になっても、子供は必要不可欠である。 男性は精子の提供者として不可欠であっても、必ずしも父親は必要ではない。 同様に、女性は卵子と子宮の提供者としては不可欠だが、母親がいなくても子供は育つ。 しかし、大人がいないと子供は育たない。 子供に不可欠なもの、それは親の愛情表現、それに夫婦仲の良いことである。 しかも、親の愛情とは、あるがままの子供をそのまま慈しむ、無償の愛でなければならない。 「まだ間にあう父親のあり方講座」という副題のとおり、男性の生き方を追求している。 筆者の著作には、いろいろと教えられることが多い。 (2009.1.31)
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