匠雅音の家族についてのブックレビュー    孤立化する家族−アメリカン・ファミリーの過去・未来|越智道雄

孤立化する家族
アメリカン・ファミリーの過去・未来
お奨度:

著者:越智道雄(おち みちお)−時事通信社、1998  ¥2200

著者の略歴−1936年愛媛県生まれ。広島大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。玉川大学文学部助教授を経て、現在、明治大学商学部教授。著書に「新世界の文化エトス−オーストラリアの場合」評論社、「アメリカ「60年代」への旅」「カリフォルニアの黄金」いずれも朝日選書、「英語の通じないアメリカ」平凡社、「アメリカ異端のヒーローたち」荒地出版社、「<終末思想>はなぜ生まれてくるのか」大和書房、「ワスプ(WASP)」中公新書ほか多数。訳書に「かわいそうな私の国」サイマル出版会、「核戦争を待望する人々」朝日新聞社、「機関銃の社会史」平凡社ほか多数。
 孤立化する家族というタイトルから、何を想像するだろうか。
おそらく1対の男女と子供が、社会から離れて存在せざるを得ない状況に違いない。
しかし、現在に問題視されているのは、家族が崩壊し個人化することだろう。
本書では、核家族という言葉がしきりに使われている。
核家族を守れというのかと思うと、核家族そのものがすでに孤立した状態なのだ、と筆者は考えているらしい。
それは本書をだいぶ読み進んでから判った。
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 筆者の思考回路には、大家族が理想としてある。
核家族は歴史に鍛えられず、伝統を語りつぐことができないので、孤立しているのだという。
そうした前提に立って、アメリカの歴史をひもとき、人種や宗教の役割を論じる。
そして、突如としてわが国の家族内殺人の具体例をあげ、グループ・ファミリーへと話が転じていく。

 核家族化は悪ではない。
核家族化したから、神から精神的に解放されたのだ。
プライバシーも獲得できた。
家族の小型化は、家族の民主化でもある。
筆者は本書で何が言いたかったのであろうか。

 1950年代のアメリカの家族像は、郊外住宅地を中心につくられていたというのは常識である。
英語でコミュニティといえば聞こえは良いが、それを日本語に直すと共同体になる。
日本語でいう共同体とは、因習に満ちた相互監視システムである。
スモール・タウンから逃れた人が、都市のアパートに住み着き、そして、郊外住宅地にやってくる。

 1950年代の終わりまでには、女性の70%が24歳までに結婚していた(1940年は42%、80年代後半は50%)。結婚年齢も男性が22歳、女性が20歳と、史上最低になった。前世紀から低下を続けていた出生率が急上昇し、インドの出生率に迫った。そして20歳前に第1子を産む女性が3分の1に達した。P73

 この時代、アメリカが最も輝いていたといっても良い。
まだ戦争の惨禍から脱しきれないヨーロッパを後目に、アメリカはバラ色の生活を謳歌していた。
家族物のテレビ番組では、隣家との関係が描写されることはなく、一家の内部で生活が完結していた。
だから孤立? 
そして、理解ある優しい父親は、仕事をする姿も見せなかった。
アメリカの家族に関しては、よく調べてあり、アメリカの家族の歴史を知ることができる。

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 今日、郊外住宅が家族の荒廃を招いたと、わが国でも郊外住宅を話題にする人がいる。
しかし、アメリカでは、1950年代の後半には、すでに郊外住宅の閉塞感が自覚されている。

 1957年には、郊外家族の心理的危機を描いたジョン・キーツの『はめころし窓の罅割れ』が出て、戦後の郊外は「蒙古症寸前の」人間で溢れた「魂の牢獄」だと非難した。
 そして1959年夏、前述の『家庭の暖炉』の主婦イヴ・ゴードンが、食事の支度中、突如台所で窒息感に襲われ、子供らに向かって、「私、出ていく。あんたたちとはおさらばよ。ここを出ていく」と宣言して、家を出ると、子供らが窓に鈴なりになって泣きながら見守る中を、夜の中へ消えていったのだ。P98

 これを筆者は、高度管理者会の家族だという。
しかし、むしろ大家族のなかで、耐えることを強いられた人々のことを考えれば、郊外住宅の閉塞から脱出できることを評価すべきだろう。
こうした文章が続くと思えば、次には黒人達の人種差別の歴史が記述される。

 代々同族で連続と続いてきたヨーロッパでは事情が違っていて、核家族の概念は近代初頭までは存在しなかった。例えば、家族の情愛とプライヴアシーを確保したファミーリエというドイツ語は、18世紀にようやく一般化した。それまでは家父長を中心とした「系族」が中心で、国家による保護が期待できない時代では、系族が保護機能を発揮した。従って上流階級の夫婦はそれぞれの召使を持ち、常に家庭内別居、下層階級の夫婦は労働力及び子孫繁殖役としての絆が主体で、いずれの場合も家族的団欒はなかった。P278

 歴史の短い核家族は、すでに孤立した家族である。
よりひろく人々とのつながりをつくらなければならない。
そう考える筆者は、グループ・ファミリーに行きつく。
わが国のヤマギシ会を肯定的に述べており、個人のプライバシーは放棄すべき<我執>だという。
そして筆者は、新しき村の村外会員になっている。
最近のこの会の動向と比べると、ちょっと疑問のあるところである。

 私はまさにこういうグループ・ファミリーを求めていたのだ。さらに私が「核家族の欠点の克服」という言葉を口にしたとき、夫人は「私たちは核家族を克服する気などなかった。昔の拡大家族にあったのと似た何かを取り戻そうとしただけで。コモン・プレースは核家族の疎外を克服できるけど、核家族の無欠さは重要だと思う」と反論した。P288

 社会の産業構造が、家族の形態を決め、人々の心性を決めるのである。
自律的な家族道徳など存在しない。
産業が要求するのと反対のことをやると、人々は大変な呻吟を味わう。
それはわが国の戦前を見れば、たやすくわかる。
情報社会化しているのに、核家族が崩壊しないでいる状態こそ、問題を抱えているのではないだろうか。
新たな家族形態として、グループ・ファミリーを設定しても、8世帯のコモン・プレースですら、4世帯が離婚している。

 私は筆者の主張とは違って、血縁の家族以外のかたちで、人間関係をつくれる基盤を用意すべきだろう、と考えている。
情報社会が要求する個人的な生活に適応した単家族こそ、今後に幸福な生活を保障する道であろう。
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参考:
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越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
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下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
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塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
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ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005


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