著者の略歴−1935年旧満州・新京に生れる・1958年東京教育大学理学部卒業,1963年京都大学大学院修了・理学博士・京都大学理学部(自然人類学)助手を経て,現在,京都大学霊長類研究所助教授 〔著書〕「人類学のすすめ」(筑摩書房)・「チンパンジー記」(講談社),「動物社会研究法」(共立出版)(いずれも共著)・「ボッソウ村の人とチンパンジー」(紀伊国屋書店)・〔訳書〕コルトラント「人類の出現」(思索杜),リンデン「チンパンジーは語る」(紀伊国屋書店,共訳) 出版されたのは1980年と古いが、どうしても取り上げたい本である。 人間だけが同じ種族で殺しあいをするといわれる。 もちろん殺人や戦争を肯定するつもりは毛頭ないが、同じ種族で殺しあいをするのは人間だけではない。 それを立証したのが本書である。 私は本書から大きな衝撃を受けたのを、今でもはっきりと覚えている。 と同時に、何だかすっきり得心したのも覚えている。
京都の動物学者たちが、野生ウマの研究からサルの研究へと進み、数々の成果を上げていたことは良く知られていた。 本書はその流れにある研究だが、アフリカのサルを研究したものではない。 インドのムンバイ(ボンベイ)から南にある内陸部のダルワールで、ハヌマン・ラングールと呼ばれるサルを20年にわたって観察して得られたものである。 一夫多妻の集団のリーダーたる雄ザルに、離れ雄ザルが挑戦し、集団の雄ザルを打ち倒しその集団を乗っ取る。 すると、それまでいた子供ザルたちを新しい雄ザルが殺してしまうというのが結論である。 子供を殺された母サルは、たちまち発情して新しい雄ザルと交尾し、その雄ザルの子供を産むというのである。 それまで動物は、同じ種同士は殺さないと信じられていたので、大変な衝撃だった。 最近では、親サルによる子殺しが知られるようになったが、なぜ親サルが子供を殺すのか、まだ広くは理解されてはいない。 種が存続していくためには、環境が与えてくれる条件に適合する個体数を、維持する必要がある。 長期的にそれを超えると、種全体が滅んでしまう。 それを防ぐために、種はいろいろな様式を持っている。 子殺しもその一つだろう、と本書はいう。 いまでは子殺しをする動物は、ハヌマン・ラングールだけではないことが判っている。 ライオンのように一夫多妻型の生活を営み、上位捕食集団に属する動物は、子殺しをすると判明している。
それにたいしては直ちに、嬰児殺しつまり間引きがそれにあたる、という回答がでるだろう。 もちろん嬰児殺しや戦争が、人口調整のために許されることはない。 しかし、人間という種だけが、他の動物と違うということはない。 人間だけを特別視する根拠はない。 この視点が、私に女性台頭の理由を考えさせたのである。 自然は偉大である。 人間といえども自然の掟を超えて生きることはできない。 とすれば、自然の決めることには何らかの理由があるはずである。 女性が男性によって抑圧され、差別されてきたのは事実だが、それには何か理由があるはずだ。 人間の恣意によって生きられるほど、自然は人間に優しくない。 そう考えたのである。 これは今でも、私の思考の原点である。 本書から受けた影響は限りない大きい。 と同時に時として神の存在を信じたくなる自分に驚くことがある。 自然の解明を続けながらも、自然の前に頭を垂れるのである。 あとがきには、下記のような奇妙な現象が起きたと記されているが、それは論じないことにしよう。 ハヌマンの子殺し現象は世界的な反響を呼び、多くの研究者をインドに引きつけ、霊長類学の範囲に止まらず、生物学、人類学、社会学、心理学、精神医学からロバート・アードレィの作品にまで引用されるに至った。ところが、外国人が正確な引用をしているのに、国内の文化人類学者や、精神神経学者や、心理学者の書いた本に見当違いな紹介が登場するのを見つけて、私はがくぜんとした。欧文のも和文のも、原文は読まれていないらしい。P219
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