著者の略歴− 家制度が確立していた江戸時代、家だけが生産組織だった。 結婚しても別の家に属し直すだけ。 誰もが家に属さないと、生きていけなかった。 家の断絶は絶対に防がなければならないため、跡取りがいなければ養子をとった。 しかし、工業社会になり、サラリーマンの家は生産組織ではなくなった。 ここで養子をとる必要性がなくなった。
サラリーマンの家は核家族である。 ここでは継がすべき財産などない。 そこで、養子は不要になった。 そのうえ、男性の血縁を保つために、終生の1夫1婦制が広がっていった。 男性と血縁のない子供は、サラリーマン家庭には不要になったのだ。 ますます養子はいなくなり、親を失った子供は行き場がなくなった。 近代の戸籍制度が養子を排除したのである。 我が国では、親のいない子供や、親から養育を受けることのできない子供は、その90%が施設で育つ。 我が国では芸能人や政治家が、養子をとる話はとんと聞かない。 しかし、先進国では、ほとんどの子供が養子なって、養親の家庭で育つ。 最近、アンジェリーナ・ジョリーが養子をとった話は、周知であろう。 本書は1986年に、先進国なかでもアメリカで、養子を迎えようとした人たちのために書かれたものである。 それが6年後になって、翻訳された。 最近では、我が国でも養子縁組の制度が整いつつあるが、近親者を跡継ぎに迎える例はあっても、他人の子供を迎える養子はまだ少ない。 養子縁組家族には体験的に分かっていることですが、幸いにもこの点における研究発表がなされ、現在では血縁であろうと養子縁組であろうと同質の愛情が育まれることが証明されています。ある研究グループが、同じ人種の血縁がある親子と養親と養子の親子関係を比較調査したところ、母親と乳幼児期の子どもとの愛情の形成過程が同じであることが見出されたのです。その上、同一人種間と異人種間の養子縁組の場合でも、愛情形成に差異はないことが発見されています。P50
現在の養子縁組みは、養親が子育てを楽しむためと、子供の心の平和のためにおこなわれる。 そのため、実子と養子の違いに拘っているが、上記のような結果だという。 2009年4月には、母親に代理出産してもらった娘夫婦が、子供と特別養子縁組したという事件があった。 血縁の子供を求める涙ぐましい行動だが、なぜこんなに血縁に拘るのだろうか。 これでは血縁のない養子は、ますます日陰に追いやられていく。 アメリカでは、養子の対象になる子供は激減しているので、養親たちは何年も待たされるという。 2003年に「カーサ エスペランサ」という映画があったように、外国から養子を迎えようとしても、なお待たされるようだ。 かつてアメリカでも、養子は差別の対象になり、養子である事実は隠された。 アメリカでは従来、縁組の記録は極秘資料として扱われ、養子が過去の記録を追跡しようとしても実質的に不可能に近い現実がありました。しかし、最近ではそのような記録は開示される方向に向かっており、産みの親との接触や、定期的に、養子、養親、そして産みの親が会うといったことも見聞きするようになりました。産みの親との出会いが前もって計画されたケースもあれば、ある日突然に、といった場合もあります。P185 我が国の特別養子では、血縁の親との関係が切れてしまうのに対して、アメリカでは出自を捜すことは、本人の基本的人権だと考える。 だから、出自が辿れるようになりつつあるという。 養子には問題が多い。 少女から生まれた。 血縁の親が犯罪者だ。 近親相姦によって生まれた。 HIVの親から生まれた。 子供が虐待を受けてきた。 子供が血縁の親探しにでて、養親が捨てられるのではないか。 予測できない問題を抱えている。 にもかかわらず、大人たちは養子を迎える。 今では独身でも養子を迎えられるし、ゲイの親でも養子を迎えることができる。 先進国では、実子と養子の差別は、どんどん減っている。 しかし、我が国では養子差別は残ったままだ。 嫡出児と非嫡出児が差別されているのだ。 やはり戸籍制度が、子供差別のガンだろう。 我が国でも、血縁幻想がなくなって、養子が差別されないことを切に望む。 (2009.4.29)
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