匠雅音の家族についてのブックレビュー    家族制度−淳風美俗を中心として|磯野誠一

家族制度 淳風美俗を中心として お奨度:

著者:磯野誠一(いそのせいいち)磯野富士子(いそのふじこ)
岩波新書、1958

著者の略歴−磯野誠一:1910年東京に生まれる、1934年東京大学法学部卒業、専攻−家族法。著書−「法学における自由の圧迫」(『嵐の中の百年』所収)「民法改正」(『日本近代法発達史講座』所収)「家長選挙制論」(『家族制度の研究』上,所収)など
 磯野富士子:1918年広島県に生まれる、1939年日本女子大学英文料卒業、1954−55年リバプール大学ソシヤルサイエンス・デパートメントへ留学、 専攻−家族問題。著書−「冬のモンゴル」「家族の中の人間」「家と自我意識」(『近代日本思想講座6巻』所収)訳書−ラティモア「モソゴル」

 戦後民主主義教育が華やかだった頃に、出版された本書は、石田雄、川島武宜と実に懐かしい人名を掲げる。
これに我妻栄でも登場すれば、言うことはないだろう。
それにしても時代というのは恐ろしいものである。
本書は、戦前の家族制度を否定し、返す刀で戦後の家族制度を称揚するものだった。
しかし、いまや現代の家族は危機に瀕しているなどといって、批判の対象になり悪いもののように見られつつある。
戦後家族が非人間的な社会を作ったのだ、という批判がある。
そうでありながら家意識は連綿として残っており、本書が撲滅の対象とした醇風美俗は、今でも人の心を打つのである。
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 確かに家族制度と天皇制との連結は消滅した。
国民は赤子であり、天皇が日本の国の戸主だとは、いまや誰も考えてはいない。
政治支配の体制と、天皇制は別物だとされる。
しかし、家族に関しては、ほとんど変わっていない。
そうもいえるし、変わったとも言えるのである。
本書が言うのは、家族道徳と支配の関係だから、その意味では戦前は終わっているが、国家を一番下で支えるのは家族だとすれば、戦前から何も変わっていないともいえる。

 明治政府がつくった戸籍は、原則として「共同生活を営む血縁・家族集団」を一つの 「戸」として、その長を戸主として、同一戸籍に属する家族の関係も、統治上の考慮を 加えて規定した。すなわち戸主は特別の地位をもち、戸主が変れば戸籍はつくりかえ られたし、その配下の家族は、母・妻・長男というように、定まった序列によって記載さ れた。P11

と記されているが、それを次のように書き換えたら、現代でも違和感がなく通用するように思う。

 昭和政府がつくった戸籍は、原則として「共同生活を営む血縁・家族集団」を一つの「家族」として、その長を家族主として、同一戸籍に属する家族の関係も、統治上の考慮を加えて規定した。すなわち家族主は特別の地位をもち、家族主が変れば戸籍はつくりかえられたし、その配下の家族は、母・妻・長男というように、定まった序列によって記載された。

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 男性は稼ぎ手であり、一家を支えるのは家族長たる男性であるとみなされている。
「お父さんでしょ、しっかりしてよ」と言われなくても、家族長たる父親は一家の柱として、稼ぎ手として率先して活動している。
そして、母親は父親の補佐役だし、専業主婦として稼がなくても何も言われない。
お兄ちゃんは下の兄弟姉妹の面倒を見て当然だし、下の兄弟姉妹たちは上の兄弟姉妹たちに従うのが当然とされている。
ここでは、戦前の家族とメンタリティーのうえでは何の変化もない。

 戦前の家は、統治機構の最小単位で、戸主は「家」の責任者として、統治の末端を承ったというが、家族とは元来が支配の最末端である。
それが天皇制というシステムに組み込まれるか、戦後民主主義に組み込まれるかの違いでしかない。
その限界が、本書を滑稽なものにしている。
つまり良い家族と悪い家族である。
良い家族とはもちろん戦後民主主義家族であり、悪い家族とは天皇制支配下の家族である。
本書は家族そのものへ考察が届かない。
だから、その時の社会情勢にながされる。
哲学なき法律学者の典型だろう。

 直系血族および同居の親族は互いに助け合うとか、母性愛を肯定し、親子の自然の情愛を云々するのは、いまや笑止としか言いようがない。
ここに、本書を書いている筆者たちの立場が透けて見える。
家族を構成すること自体への考察がまるで欠けているのだ。
筆者たちが法学者だから仕方ないとしても、家長の特別な権限が悪いのであって、家族は平等であれば良いというのは、支配とは何かがまったく理解されていない。

 個人の尊厳と両性の平等に基く新民法が、個人の「家」への従属・尊卑の序列に基く家族制度とは、 根本的に相反する原理に立っている以上、新民法の説明が徹底すればするほど、家族制度による家 族関係のあり方のなかでのみ生活してきた人々の不安は、かえって増大するのが自然である。P126

 家制度の廃止と、家族概念の抹殺を同視する人たちの不安と言う。
しかし、その不安は現代社会の核家族の崩壊に悩む不安と、まったく同様であろう。
フェミニズムも登場する以前は、この程度の家族論でも革新的と言われたのである。
戦後民主主義家族を解体せよというフェミニズムが、いかに過激だかわかるだろう。
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参考:
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

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