著者の略歴−1953年北海道生まれ。法政大学卒業。広告会社アサツー ディ・ケイの200]ファミリーデザイン室室長。食と家族の調査を続け「変わる家族 変わる食卓」「<現代家族>の誕生 幻想系家族論の死」(ともに勁草書房刊)を著す。 当然のタイトルだから、それなりに期待して読んだが、 あまりの先入見の強さに辟易した。 本書は、2000年と2005年と2度にわたって行った実態調査に基づき、書かれたものである。 主婦たちの発言に一貫性がなく、矛盾していることに自覚すらない、 という指摘は肯首するにしても、むしろ筆者のほうに問題がある。
対象にしたサンプルが、首都圏在住の子供をもつ223人の主婦ということで、 やや偏りがあることが気になるが、それ自体は問題ではない。 また、主婦を対象にした調査なので、主婦の発言だけになっているが、 それも問題ではない。 問題は、昔からの家族生活を肯定し、 伝統的な家族習慣からの乖離の多寡で、筆者が論を進めていることだ。 そして、記述式の回答のなかから、回答文をそのまま取り出して、自己の論証に使っていることだ。古い家族の習慣を美化するのは、ヤクザ映画のセンスと、まるで同じである。 目 次 プロローグ 普通の家族を知りたい 第1章 してもらえる「お客様」でいたい 第2章 好き嫌いで変える 第3章 子供中心、私中心 第4章 うるさい親にはなりたくない 第5章 一緒にいられない家族たち 第6章 ノリで繋がる家族 第7章 普通の家族がいちばん怖い エピローグ 現実を見ない親たち という目次だが、第1章からエピローグまで、章のタイトルに「〜は良くない」と付け加えると、 筆者の主張になる。 「してもらえる『お客様』でいたい、のは良くない」し、 「好き嫌いで変える、のは良くない」と、筆者は主張しているかのようだ。 変わらない家族などあり得るだろうか。 すべての社会現象は、常に変化に晒されているのであり、家族とて別様ではない。 本書は、とくにクリスマスと正月を取り上げ、クリスマス・デコレーションに力を入れ、 正月習慣には手抜きする主婦をなげいている。 しかし、西洋文明を歓迎し、伝統文明を否定するのは、主婦に限ったことではない。 お節料理とクリスマス料理を比べれば、 クリスマス料理に軍配が上がるのは、料理の来歴からして当然だろう。 お節料理を取り上げて、主婦たちがお節を作らない、と憤っているが、 飽食の時代に、お節のような保存食を作る意味があるのだろうか。 お節料理は保存食だから、とびきり美味いものではない。 食べ物の少なかった時代に、お節料理はたんなる習慣で、つくり続けてきたに過ぎない。 老女たちが作らなくなれば、誰も食べたいとは思わないだろう。 40代半ばですでに子供のいる夫婦などが、 自分の親からお年玉をもらってことを、否定的に書いている。 しかし、お年玉=祝儀とは、可処分所得の多い者が、少ない者へあげるものだったとすれば、 年齢の多寡で考えることは必ずしも適切ではない。 子供中心、私中心は、良くないと言いたいのだろう。次のように言う。
次には、親たちが子供に媚びて、伝えるべき伝統的な日本の習慣を教えていないという。 親子が同じように、横並びになるのにも否定的である。 子供第一というのは、私(=主婦自身)を大切にすることではないかと、暗に批判している。 かつては、子供をひとり立ちさせていくために、親が家庭でさまざまなことを教え、伝え、身に付けさせてきた。だが現代の親は、前述のように子供へ何かを教えたり伝えたりすることは好まない(128頁参照)。自分が子供と楽しく過ごせることを大事にするようになっている。そして、親が子供に伝えることは外部の人やメディア情報に委ね、あるいは幼椎園や学校などに外注化して家庭から排除しようともしている。 そんな現代の親子の間で、親から子へ伝えたり残したりできるもの、将来にわたって繋がっていける何かを求めるとすれば、親子の楽しかった「思い出」や、親に「してもらった」「記憶」ばかりになるのかもしれないと思う。P146 子供を独り立ちさせるために、かつては親が家庭で生き方の基本を教えたが、 今では古い親の教えは役に立たなくなっている。 むしろ、1世代前の親が教えたことを真に受けると、子供の世代では生きづらくなりさえする。 今の親たちは、無意識のうちにそれを知っているので、子供たちには教えないのではないか。 筆者は、「楽しさ」にきわめて禁欲的である。 楽しさを追求することは、悪いことであるかのように書いている。 しかし、明日に楽をするために、今日は苦労に耐えようという発想とは、もはや決別するべきである。 今を楽しく過ごすことから、明日の楽しさがつながるのであり、 楽しさの追求はけっして悪いことではない。 正月二日の朝、家族一緒に食卓を囲んで同じものを食べた家庭は34.5%、三日では25.7%である。正月休みで家族がみんな家の中にいてさえ、大半の家庭で家族揃って同じものを食べることができなくなっている。P152 と、筆者はなげいているが、なぜ家族が同じものを食べなくてはいけないのだろうか。 筆者は、家族は全員がそろって、同じ時間に、同じ物を食べ、同一行動をするのが良い、 と考えているかのようだ。 しかも、それが苦痛であっても、古くから続いてきた生活習慣だから、 家族の全員が守るべきだ、と主張しているように感じる。 筆者の想定している家族像が、明確に定義されず、 かつてあったように感じられる家族像を、無前提的な前提として話を進めている。 かつての擬家族像からの逸脱で、現代の家族を斬れば、 筆者のような嘆きになるのは当然だろう。 むしろ、自分の好みを主張できる現代に、自分の好みを伝えることは大事ではないだろうか。 コーヒーか紅茶かと聞かれて、どちらでも結構ですと応えるより、 どちらかに決めて返事をするほうが良い。 54歳の筆者は、欠乏の子供時代を送ったのだろう。 だから、飽食時代の主婦たちが理解できないに違いない。 1960年代のアメリカは、すでにTVクッキングだったし、ハンバーガーの国だった。 マイクロソフトだけに負けたのではなく、そんな味覚の国の食べ物に、 日本人全体がいかれているのだから、問題は本書がいうところにあるのではない。 「下流社会」でも感じたが、市場の要求を探るマーケッティングというのは、 結局のところ旧体制追従の保守派なのだ。 そして、広告代理店のリサーチとは、所詮この程度なのだろう。 調査という仕掛けが、思わせぶりなだけに、つい騙されそうになる。 (2008.3.12)
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