匠雅音の家族についてのブックレビュー    「夫婦」という幻想−なぜ、結局いがみあってしまうのか|斎藤学

 「夫婦」という幻想
なぜ、結局いがみあってしまうのか
お奨度:

著者:斎藤学(さいとう さとる)   祥伝社新書 2009年 ¥760−

著者の略歴−1941年東京都生まれ。家族機能研究所代表。精神科医。慶應義塾大学医学部卒業。心理カウンセリングやワークショップを通して、アルコール・タバコ・薬物・ギャンブル・過食・拒食・浪費などへのアディクション(「嗜癖」いわゆる中毒)、人間関係や性的交渉への依存症、児童虐待・家庭内暴力など、家族機能の不全から起こる問題に取り組む。著書は、『「家族神話」があなたをしばる』『「家族」という名の孤独』『家族の閣をさぐる』『インナーマザーは支配する』など多数。
 1対の男女が、一生同居して暮らすのが、いまの結婚である。
人間は変わるものだ。
一生同居するのは、どこかで無理が出る。
いままで、夫婦が同居してきたのは、女性が我慢してきたからだ。
しかし、今後は女性が我慢しなくなるので、熟年離婚が増えている。
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「夫婦」という幻想

 熟年離婚が増えているというが、若い世代の離婚水準に近づいているだけで、異常ではないと筆者は言う。
引きこもりやリストカット、薬物依存などの子供を診てきた筆者は、問題のある子供の場合、両親に問題があるのが90パーセントだという。
この指摘は、本当に納得できる。

 核家族とは、1対の男女が愛し合う前提で、成り立っている。
両親が男女として愛し合っているから、子供は人間間の信頼関係を両親から学ぶのだし、男女なる両親から排除されて自立していくのだ。
2人が愛し合っていると、余人は立ち入る余地がない。
だから、愛し合う両親の作る家庭から、子供は独立せざるを得ないのだ。
 
 両親が互いに愛し合って、信頼しあっていないと、どちらか片方が子供のほうに向いてしまう。
すると、子供は親に頼りきりになり、親も子供を愛玩物として、子供の自立を妨げてしまうのだ。
これは核家族制度を選んでしまった以上、避けることができない親子の別れである。
田や畑ので働いた大家族なら、片方の親が子供の方を向いていても、こんなことはなかった。
家族の親和力が子供を労働者へと仕上げていった。
   
 まったく異なった「家族・親族」を背後に抱えた二人が、それぞれ自分の思い描く「幸せな家族」を作ることができるものとカン違いしながら、いっしょになる。結婚とはそういう恐ろしいものです。
 けれどもつい最近まで、この矛盾は女性が我慢することで処理されてきました。女性が相手の「家に入る」のが結婚。嫁ぎ先の家風に染まり、嫁ぎ先の風習に合わせ、それまで自分が形作ってきた価値観はすべて捨て去って、夫の家族の一員となることが結婚だったのです。P21

 大家族制度のもと家を継いでいくことが、生きるすべだった時代には、女性だけではなく男性も家にしたがった。
自分勝手な欲望を持ったら、誰も生きていけないから、全員が家業に精をだしたのだ。
しかし、核家族は家業を持っていない。
にもかかわらず、男性が大家族的な意識でやっているから、夫婦のあいだに齟齬ができる。

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 今の社会は、男性に有利にできている。
結婚して子供ができ、家庭に入ってしまえば、女性はもう二度と復職することはできない。
せいぜいが安価なパートくらいだ。

 喜んで専業主婦になっては見たものの、女性は性別役割分業に疲 れるのだ。
大卒の女性が、パート労働に従事するのは、何といっても社会的な損失である。

 男性は、会社で働いて給料をもってくる。
気に入らなければ、誰のせいで食っているのだ、という。
女性が働けないのは、彼女の責任ではないにもかかわらず、個人の責任であるかのように責める。
これでは事情が許せば、離婚したくなるはずである。
女性には働く場所がないから、一緒にいるだけである。
筆者は徹底して女性に味方する。

 今までは家族的な紐帯を頼りにして、家族を一単位として、その集合体である国家を組織していたのですが、こうしたシステムも崩れつつあるといえるでしょう。婚姻そのものがあまり意味がなくなってきました。
 東京に住んでいたらシングルでも何不自由なく生活ができます。家族単位になっている必要もない。あと結婚する必要性は何かなと考えたとき、婚姻というものがセックスのみに還元されてきたわけです。
 婚姻は制度ですから、本来セックスとは何の関係もない。セックスするパートナーさえいれば、籍を入れたり結婚したりする必要はないのです。P119


といって、結婚の有効性を否定している。
これは本サイトの主張する<単家族論>そのものだ。
しかし、もう結婚してしまった人には、わざわざ離婚することも進めていない。
いろいろと不満があっても、夫の身を親身に心配しているのは、妻だという。
結婚より、離婚のほうが大変だ。
しかも、歳をとってから離婚したら、男性は生きていけないだろう。

 ここで筆者は男性の味方に変身する。
筆者は、奥さんを褒めろ、奥さん孝行をせよという。
一般的にいって、筆者の言うことは肯首できる。
しかし、結婚には恋愛は、もうまったく関係なくなってしまったのだろうか。
人のオトコを奪る方法」が書かれるように、現代人は恋愛至上主義になりたがる。

 豊かな社会では、生活上の必要性から結婚する必要はない。
とすれば、男女が結びつくのは、恋愛という精神的なモノだけだ。
だから、現代人が恋愛に憧れるのは、しごく当然のことだ。
本書を読んでいると、恋愛と結婚生活は、もうほとんど無関係に思えてくる。
  (2009.9.7) 
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参考:
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
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