著者の略歴−1838年アメリカのメーン州ポートランドに生まれる。ハーバードに学び、博物学者として出発し、進化論を支持する。1877〜80年滞日。東大の教授に就任し、大森貝塚を発見したことは有名である。1925年没。著書「大森貝塚」「日本その日その日」平凡社 本書は1885年に刊行されたのだが、 当時のわが国の日常生活がよくわかって、楽しい読み物になっている。 と同時に筆者の目は、今日我々がアフリカの原住民を見るのと、まったく同質であることにも気づく。
そして、自分たちの文化とはまったく異質なものだと、向こう岸からこちらを見ているように眺めがちである。 明治初期に来日した外国人は、わが国が本当に別種の世界に見えたことだろう。 そうした異世界観といった感覚が、本書からはよく伝わってくる。 しかし、筆者は我が国を蔑視しているのではない。 むしろわが国を、公平に見ようとしている。 それは次の言葉からでも明らかである。 商業国であるわがアメリカばかりでなしに、芸術愛好国であるフランスも、音楽国であるドイツも、さらには保守的な国であるイギリスさえもが、日本装飾芸術の侵略に屈伏した。新しい着想がわれわれ西欧人の手によってつぎつぎに展開せしめられた、というのではけっしてない。それとは正反対に、われわれ西欧人は、徹頭徹尾、日本的意匠を取り入れることに甘んじ、しばしば不釣り合いな事物を混合したりしては日本人装飾家を唖然とさせたのである。上−P2 筆者はとらわれの少ない眼で見ようとつとめいる。 それが新たな発見につながったのだろうし、本書の真骨頂なのであろう。 しかし、公平に見ようとする姿勢自体が、文化を違いではなく格差として、認識させてしまう。 人間が生きるには、最後のところで自己を肯定せざるをえない。 だから、異文化に触れるときは自己の文化に依拠せざるをえない。 筆者の個人的な問題ではなく、認識の構造の問題である。
習慣の違う場所で生活するのは、なかなか大変なことである。 しかも、新しい場所になれるのは、自覚的におこなう知的な作業だとわかる。 そのため、自己を冷静に観察する知識人のほうが、異文化や逆境によりよく耐える。 住宅建築の詳細にはいると、次のような観察となる。 骨組みを柄接ぎにする場合、日本の大工は、精巧無類の柄つくり技法を駆使する。そして、その技法はたくさんの定式がある。しかし、あるアメリカの建築家から聞いたところによると、日本の大工の技法は、強度という点では、わが国の大工が同一の作業をおこなうさいに用いている方法に比べて、それほど利点を持ってはいないとのことである。上−P42 構造計算がすでに始まっているアメリカと、経験則からきているわが国では、 施工方法に違いがあるのは当然である。 驚くべきことに筆者は、わが国の建築が筋違(すじかい)を用いていないことも、しっかりと観察している。 今日でこそ、わが国でも筋違を用いているが、伝統的な日本建築では筋違を使わないのが正統である。 付言しておくと、これは構造に対する考え方の違いで、わが国の大工たちが筋違を知らなかったわけではない。 製材の仕方、なまこ壁の作り方、ねじが発生しなかった日本的万力の使い方、垂直の出し方などなど、実によく観察している。 ハードとしての建築だけではなく、その中で営まれる生活のディテールにもよく目が届いている。 手拭掛は、その構造が非常に簡易であるという点でぜひ見ておきたく思う。形態は多様であるが、その大半は素朴で、釣り下げ式になっている。ここに掲げたいくつかは一般に使用されているものである。もっとも簡単なものは太目の竹の一端に細い竹の輪を下げてあるにすぎない。いまひとつは、かなり一般に広く使用されているものだが、これは細い竹を頸木形に曲げてその両下端を太い竹に固定し、同時に、その太い竹と同形のもう一本の竹を頸木形にした竹によって上下に動かせるようにその両端を刺し通してある。この太い竹がその重みによって、下の固定して ある竹に掛けられた手拭いを押さえる働きをするのである。下−P24 上下2冊になったこの本は、ページ毎に筆者の手になる挿し絵が入っている。 その挿し絵がきわめて正確で、ついしばらく前のわが国の生活を、充分にしのばせてくれる。 かつてのわが国生活を振り返るには、最適の資料を提供してくれる。 眺めているだけでも楽しい本である。
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