匠雅音の家族についてのブックレビュー    日本人の住まい|エドワード・S・モース

日本人の住まい 上・下 お奨度:

著者:エドワード・S・モース−八坂書房、1979年
上 ¥2、000−(絶版)  下 ¥2、000−(絶版)
1冊になった新装版 2000年 ¥2、800−

著者の略歴−1838年アメリカのメーン州ポートランドに生まれる。ハーバードに学び、博物学者として出発し、進化論を支持する。1877〜80年滞日。東大の教授に就任し、大森貝塚を発見したことは有名である。1925年没。著書「大森貝塚」「日本その日その日」平凡社
 本書は1885年に刊行されたのだが、
当時のわが国の日常生活がよくわかって、楽しい読み物になっている。
と同時に筆者の目は、今日我々がアフリカの原住民を見るのと、まったく同質であることにも気づく。

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 わたしたちは、アフリカ人たちの食人や女子割礼を、彼らの文化として見がちである。
そして、自分たちの文化とはまったく異質なものだと、向こう岸からこちらを見ているように眺めがちである。
明治初期に来日した外国人は、わが国が本当に別種の世界に見えたことだろう。
そうした異世界観といった感覚が、本書からはよく伝わってくる。

 しかし、筆者は我が国を蔑視しているのではない。
むしろわが国を、公平に見ようとしている。
それは次の言葉からでも明らかである。

 商業国であるわがアメリカばかりでなしに、芸術愛好国であるフランスも、音楽国であるドイツも、さらには保守的な国であるイギリスさえもが、日本装飾芸術の侵略に屈伏した。新しい着想がわれわれ西欧人の手によってつぎつぎに展開せしめられた、というのではけっしてない。それとは正反対に、われわれ西欧人は、徹頭徹尾、日本的意匠を取り入れることに甘んじ、しばしば不釣り合いな事物を混合したりしては日本人装飾家を唖然とさせたのである。上−P2

 筆者はとらわれの少ない眼で見ようとつとめいる。
それが新たな発見につながったのだろうし、本書の真骨頂なのであろう。
しかし、公平に見ようとする姿勢自体が、文化を違いではなく格差として、認識させてしまう。
人間が生きるには、最後のところで自己を肯定せざるをえない。
だから、異文化に触れるときは自己の文化に依拠せざるをえない。
筆者の個人的な問題ではなく、認識の構造の問題である。

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 わたくしの立場からすると、わたくしは、日本家屋には称揚すべきものが数多く見いだされると言いたい。もちろん、日本家屋のなかには、住み心地よさの点でわたくしの意に充たないものもあるにはある。床に正座してすわることは、これに馴れるまでは苦痛である。そして、反対に、われわれ西洋人が常用する椅子は、日本人のがわからすれば、これに馴れるまでは苦痛なものであろうと思う。たしかに、日本の家屋は、冬期にあっては、極端に寒気をおぼえるし、ひどく住み心地が悪い。だが、このさい、疑問を呈しておきたいが、冬期に部屋の温度の低いこの日本の家屋が、赤々と燃えるストーヴとか、暖房炉とか、ステイーム・ヒーターとかによって保温されたわがアメリカの共同住宅に比較して、はたして、健康に好ましくないなどと言い切れるかどうか。それに、日本のある田舎の宿屋の便所から発す悪臭のこととなれば、だれだって、わがアメリカの田舎旅館につきものの、あの狼藉を極める囲い庭とかそれこそ鼻をつかんばかりの悪臭のただよう豚小屋とか、まずは似たり寄ったりの諸特徴を思い合わさずにはおられないだろう。上−P30

 習慣の違う場所で生活するのは、なかなか大変なことである。
しかも、新しい場所になれるのは、自覚的におこなう知的な作業だとわかる。
そのため、自己を冷静に観察する知識人のほうが、異文化や逆境によりよく耐える。
住宅建築の詳細にはいると、次のような観察となる。

 骨組みを柄接ぎにする場合、日本の大工は、精巧無類の柄つくり技法を駆使する。そして、その技法はたくさんの定式がある。しかし、あるアメリカの建築家から聞いたところによると、日本の大工の技法は、強度という点では、わが国の大工が同一の作業をおこなうさいに用いている方法に比べて、それほど利点を持ってはいないとのことである。上−P42

 構造計算がすでに始まっているアメリカと、経験則からきているわが国では、
施工方法に違いがあるのは当然である。
驚くべきことに筆者は、わが国の建築が筋違(すじかい)を用いていないことも、しっかりと観察している。
今日でこそ、わが国でも筋違を用いているが、伝統的な日本建築では筋違を使わないのが正統である。
付言しておくと、これは構造に対する考え方の違いで、わが国の大工たちが筋違を知らなかったわけではない。

 部屋の端から端まで、一続きの一枚の板で張られているように見せる技術や、
製材の仕方、なまこ壁の作り方、ねじが発生しなかった日本的万力の使い方、垂直の出し方などなど、実によく観察している。
ハードとしての建築だけではなく、その中で営まれる生活のディテールにもよく目が届いている。

 手拭掛は、その構造が非常に簡易であるという点でぜひ見ておきたく思う。形態は多様であるが、その大半は素朴で、釣り下げ式になっている。ここに掲げたいくつかは一般に使用されているものである。もっとも簡単なものは太目の竹の一端に細い竹の輪を下げてあるにすぎない。いまひとつは、かなり一般に広く使用されているものだが、これは細い竹を頸木形に曲げてその両下端を太い竹に固定し、同時に、その太い竹と同形のもう一本の竹を頸木形にした竹によって上下に動かせるようにその両端を刺し通してある。この太い竹がその重みによって、下の固定して ある竹に掛けられた手拭いを押さえる働きをするのである。下−P24

 上下2冊になったこの本は、ページ毎に筆者の手になる挿し絵が入っている。
その挿し絵がきわめて正確で、ついしばらく前のわが国の生活を、充分にしのばせてくれる。
かつてのわが国生活を振り返るには、最適の資料を提供してくれる。
眺めているだけでも楽しい本である。
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参考:
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004年
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
青山二郎「青山二郎文集」小沢書店、1987
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004年 
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命 ハッカー倫理とネット社会の精神」河出書房新社、2001
マイケル・ルイス「ネクスト」アウペクト、2002


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