著者の略歴−1960年ルイジアナ州生まれ。プリンストン大学で美術史を専攻。ロンドン・スクール・オフ・エコノミクスで経済学の修士号を取得。ソロモンフラザーズで債券セールスマンとして勤務した後、イギリスの週刊誌「ザ・スペクテイクー」のエディターや、「ザ・ニュー・リパブリック」のシニアエディターなどを務める。著書に、世界的ベストセラーとなった「ライアーズ・ポーカー」「マネー・カルチャー」「ニュー・ニュー・シンク」などがある。 インターネットの登場が、古くからの社会的秩序を揺さぶっている。 私は情報社会の到来が、男女差別を解消させると同時に、年齢秩序も崩壊させると言ってきた。 本書は、突出した少年たちの物語である。
オンライントレードで80万ドルを荒稼ぎし、不正株取引罪で告発された史上最年少の人物=ジョナサン・リーベッド−−−15歳 世界最大級のオンライン法律相談サイトAskMe.comで、ナンバーワンの支持を集めるアマチュア弁護士=マーカス・アーノルド−−−15歳 悪名高きファイル交換ソフト<Gnutella>のプロパガンダに傾注するデジタル社会主義者=ダニエル・シェルドン−−−14歳 と腰巻きに書かれている。 新たな時代が始まるとき、それに適応するのは子供が一番早い。 それは子供が文化をまだもっていないからだし、 大人は文化を書き換えなければならないから、時間がかかるのである。 農耕社会ではもちろん工業社会まで、長老とか社会的な名士と言った人たちが、大きな発言権をもっていた。 最近の話に限っても、金融に関しては大蔵省や銀行が独占的に扱っていたし、 株は証券会社が専門だった。 そして企業のトップは、男性の高齢者によって占められていた。 情報社会が開花するまでは、こうした高齢者たちの判断が正しいとされ、素人や若者はヒヨッコと見なされて、軽んじられていた。 しかし、コンピューターが普及し経済の決定権が、生産者から消費者へと移行するにつれ、事情は変わってきた。 フィンランドは、子供が中心となって経済発展を遂げたことを公に認めた、世界ではじめての国家となった。経済の急成長を求めるなら、急速な技術変革を促進しなければならない。そして、急速な技術革新を促進するなら、子供たちにひときわ大きな権威を与えなければならないのだ。現在のフィンランドでは、12歳の子供がふつうに携帯電話を持っている。いつの日か7歳の子供さえも持つようになると、ノキアの人々は考えている。P14 12歳の子供たちが携帯電話を使う。 その使い方は大人の想像を超えたものだった。 子供は何と素晴らしい使い方をするのかと感心し、大人たちは子供の後を追った。 子供だから物事を理解できないと言うことはない。 むしろ子供こそ、過去にとらわれずに、自由に発想を飛躍させる。 本書はそうした例と、子供が大人をこえる時代背景を丹念に追っている。
テクノロジーは、ほぼだれもがなんでも挑戦できる状況をつくりだすことで−特に、<専門的知識>というものが常に疑わしい問題だったような分野において−だれにでもできるという平等主義の概念を再燃させた。アマチュアの書評家がアマゾンで書評を発表し、アマチュアの映画製作者が自分の作品を直接インターネットに流し、アマチュアのジャーナリストが世界でもっとも力のある新聞社を特ダネで出し抜く。免許を受けた専門家が同じように世間に露出されていけない理由はない−なにしろ、彼らとて、ほかの者と同じように営利目的でその業界にいるのだから。P116 特権的な地位の大人だけが、目に見えない業界ルールのようなものをつくって、利益を独占してきた。 いままで権威あるとされたことが、いかに砂上の楼閣だったか。 それが、かんたんに暴露される。 しかも、たった15歳の少年に、やすやすと出し抜かれるのである。 大衆は愚かな者であり、一部のエリートが社会の秩序を守っていると考えられてきた。 必然的にその秩序は、上下の関係を表現したピラミッド形だった。 しかし、生産者と消費が直結することによって、上下関係が崩れ、止めどもなく横並びになっていく。 下だと思っていた子供も、今では横にいる。 1989年にベルリンの壁が崩壊してから、資本主義は自由市場をそのまま肯定できるようになった。 それまでは社会主義国家があったので、資本主義には甘いオブラートでくるむ必要があった。 何らかの味付けが施されていた。 しかし、社会主義は脅威でも何でもないと知った。 資本主義は、終身雇用、従業員の地位の確保、福祉の普及といった、かつての公約を骨抜きにし、効率の追求に置き換えた。 近代への転換点では、貴族や王様から権力を奪い、男性の庶民が人間だと主張した。 ここで身分制は崩壊し、平等概念が広がった。 しかし当時、まだ解放されていない人たちがいた。 それは女性であり、子供だった。 その後、フェミニズムが女性を解放へと導きつつある。 男女差別の解消は、年齢秩序の崩壊とともにやってきた。 女性の解放は同時に子供の解放を招来する。 具体的な個人の次元では、男女の性別は残る。 しかし、社会的には男女の境が消失していく。 男性も女性もただ人間として括られる。 子供も同様である。 具体的な個人の次元では、年齢の少ない人間は存在するが、 社会的には子供という概念は消失する。 男女という性別による能力差ではなく、個人の能力の違いだと、認識されはじめた。 個人間で優劣が残るように、すべての子供が大人以上というわけではない。 しかし、優れた子供は、年齢秩序をやすやすと飛び越して、大人以上の働きを示す。 それが情報社会である。 (2002.9.6)
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