匠雅音の家族についてのブックレビュー    確実性の終焉|イリヤ・プリコジン

確実性の終焉 お奨度:

著者:イリヤ・プリコジン−みすず書房、1997年   ¥4500−

著者の略歴−1917年モスクワに生まれる。ブリュッセル自由大学卒業.1951年からブリュッセル自由大学物理化学科教授.現在 ソルヴェー国際物理化学研究所長。また1967年からテキサス大学統計力学・熱力学研究センター所長を兼ねる。非平衡熱力学,特に散逸構造理論への貢献によって、1977年ノーベル化学賞受賞。著書「構造・安定性・ゆらぎ」グランスドルフと共著,みすず書房、「散逸構造」ニコリスと共著,岩波書店、「存在から発展へ」みすず書房、「混沌からの秩序」スタンジエールと共著,みすず書房、「複雑性の探究」ニコリスと共著,みすず書房、ほか。
 ニュートンが工業社会の扉を開いたとすれば、アインシュタインは情報社会の扉を開いたと言えるだろう。
ニュートン以前は、神の支配する社会だったから、論理が人間の手になかった。
しかし、近代の入り口で、多くの男たちが神を殺し、論理なるものを人間の手にした。
その論理は、方程式といった形で表されたが、決定論的な宇宙観にもとづいていた。
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 このような方程式を通じて,自然法則は確実性をもたらした。初期条件が与えられさえすれば,すべては決ってしまう。自然は,少くとも原理的には,制御可能な自動機械であり,新しさ,選択,あるいは自発的行為が実在すると言えるのは,我々人間の観点から見たときだけだということなる。P9

 もちろん神が作った自然は、安定的で美しいもののはずである。
だから、当時の男たちは時間を超越した神の観点へと、近づきたかったのは言うまでもない。
神を殺した所以である。
しかし、時間の矢は逆戻りしないから、時間の観念を方程式に取り込むと、たちまち等式は崩れて安定性は崩れてしまう。
時間的に可逆な物理学の観点と、時間を中心にすえる哲学とは、両立しなくなった。

 現代の動力学系の理論によって特定された不安定性に起源をもっている。もし世界が安定した動力学系から構成されていたとしたら,その世界は,我々が身の廻りに観察する世界とは全く異なったものであっただろう。それは静的で予測可能な世界であっただろうが,そこにはその予測をする我々自身は存在していなかっただろう。我々のこの世界では,あらゆるレベルにおいて揺らぎ,分岐,不安定性が見い出される。確実性へと導く安定系は,理想化や近似に対応するものでしかない。驚いたことに,このこともまたアンリ・ポアンカレによって予期されていたのである!P46

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 論理の進展は、現実世界の複雑性をとりこもうとし、確実性を疑いはじめた。
思考が土地や物という固定的な基盤からはなれたのは、工業社会の終盤を意味していた。
ニュートンの方程式で、説明のつかない世界へ入るためには、固着した視点から関係の視点へと転じる必要があった。
発想の転換を迫られた。

 しかし、自然が新たに生み出されたことを、意味するのではない。
それは確率や不可逆性を含むように、人間が考えだす自然法則を、確実性から可能性へと拡張することであった。
人間の想像力や革新性は、すでに存在していた自然法則の、拡張にすぎないのである。

 我々のアプローチは実在論への回帰に対応しているが,それは決して決定論への回帰を意味するものではない。それどころか,古典物理学の決定論的描像からはさらに遠ざかるものである。我々はカール・ポバーの次のような主張に同意する。すなわち「私の見解では,非決定論は実在論と両立するものであり,この事実を受け容れることによって,量子論全体についての首尾一貫した客観的認識論,および確率の客観主義的解釈の採用が可能となるのである」(中略)持続的相互作用を内包する不安定な動力学的系の量子論は,古典論の場合と同じく,統計的かつ実在的な記述をもたらすことを示すことである。P111

 本書は物理学の素人である私には、きわめて難しい。
おそらく半分も理解できてはいないだろう。
しかし、筆者が時間概念を考察のなかに加えることによって、確実性ではなく可能性が記述されていることは理解する。
それによって進化発展しつつある宇宙=ビックバンなども理解可能になる。

 ニュートン物理学においては、時空は最初から当為命題として与えられていた。
あらゆる人間にとって、共通な普遍的な時間が想定されていた。
しかし相対論では、時空は人間と一緒の主役になっている。
これは社会の成り立ちを、関係性としてとらえる私の視点と、すこぶる馴染みが良い。

 我々はなぜ自然が歴史をもつかを理解しはじめた。「確実性」は終わり,現実世界の「複雑性」と取り組む21世紀の新しい科学が,ここにその姿を現し始めた。それは,自然という概念や,自然の中での人間の位置に関心をもつ全ての人々にとって,画期的な事態に違いない。(裏表紙)

と書かれているが、同感である。
情報社会という産業だけが、突出することはあり得ない。
情報社会という新たな時代は、新たな思想を必要としたし、相対論という新たな思想が、情報社会を開いたともいえるのだから。
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参考:
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
ジャック・ラーキン「アメリカがまだ貧しかったころ 1790-1840」青土社、2000
I・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
木村英紀「ものつくり敗戦」日経プレミアシリーズ、2009
アントニオ ネグリ & マイケル ハート「<帝国>」以文社、2003
三浦展「団塊世代の戦後史」文春文庫、2005
クライブ・ポンティング「緑の世界史」朝日選書、1994
ジェイムズ・バカン「マネーの意味論」青土社、2000
柳田邦男「人間の事実−T・U」文春文庫、2001
山田奨治「日本文化の模倣と創造」角川書店、2002
ベンジャミン・フルフォード「日本マスコミ「臆病」の構造」宝島社、2005
網野善彦「日本論の視座」小学館ライブラリー、1993
R・キヨサキ、S・レクター「金持ち父さん貧乏父さん」筑摩書房、2000
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994

ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
シャルル・ヴァグネル「簡素な生活」講談社学術文庫、2001
エリック・スティーブン・レイモンド「伽藍とバザール」光芒社、1999
村上陽一郎「近代科学を超えて」講談社学術文庫、1986
吉本隆明「共同幻想論」角川文庫、1982
大前研一「企業参謀」講談社文庫、1985
ジョージ・P・マードック「社会構造」新泉社、2001
富永健一「社会変動の中の福祉国家」中公新書、2001
大沼保昭「人権、国家、文明」筑摩書房、1998
東嶋和子「死因事典」講談社ブルーバックス、2000
エドムンド・リーチ「社会人類学案内」岩波書店、1991
リヒャルト・ガウル他「ジャパン・ショック」日本放送出版協会、1982
柄谷行人「<戦前>の思考」講談社学術文庫、2001
江藤淳「成熟と喪失」河出書房、1967
森岡正博「生命学に何ができるか」勁草書房 2001
エドワード・W・サイード「知識人とは何か」平凡社、1998  
オルテガ「大衆の反逆」ちくま学芸文庫、1995
小熊英二「単一民族神話の起源」新曜社、1995
佐藤優「テロリズムの罠 左巻」角川新書、2009
佐藤優「テロリズムの罠 右巻」角川新書、2009
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
北原みのり「フェミの嫌われ方」新水社、2000
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
デブラ・ニーホフ「平気で暴力をふるう脳」草思社、2003
藤原智美「暴走老人!」文芸春秋社、2007
成田龍一「<歴史>はいかに語られるか」NHKブックス、2001
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
J ・バトラー&G・スピヴァク「国家を歌うのは誰か?」岩波書店、2008
ドン・タプスコット「デジタルネイティブが世界を変える」翔泳社、2009

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