匠雅音の家族についてのブックレビュー    社会変動の中の福祉国家−家族の失敗と国家の新しい機能|富永健一

社会変動の中の福祉国家
  家族の失敗と国家の新しい機能
お奨度:

著者:富永健一(とみなが けんいち)−中公新書、2001年  ¥780−

著者の略歴− 1931年,東京に生まれる.東京大学文学部社会学科卒業,同大学院修了.社会学博士.東京大学教授,慶応義塾大学教授を経て,武蔵工業大学教授,東京大学名誉教授.専攻,社会学理論,社会変動・ 近代化,社会階層,経済社会学,組織理論。 著書『社会変動の理論』岩波書店、『現代の社会科学者』講談社学術文庫、『社会学原理』岩波書店、『日本産業社会の転機』東大出版会、『日本の近代化と社会変動』講談社学術文庫、『近代化の理論』講談社学術文庫、『社会学講義』中公新書、『行為と社会システムの理論』東大出版会、『経済と組織の社会学理論』東大出版会、『環境と情報の社会学』日科技連、『池辺三山』池辺一郎と共著,中公文庫:編著『日本の階層構造』、東大出版会、『経済社会学』東大出版会
 社会変動論では実績のある老社会学者による福祉国家論だが、
年齢に似合わず問題意識は現代的である。
しかし、福祉がなぜ必要なのかについては、正当な認識をもっていない。
そのため、恐ろしい結論に至っている。
わが国では、福祉か経済成長かといった具合に、問題を設定されることが多い。
高度成長期には福祉にまわす予算の余裕があったが、
低成長になり財政状態が厳しくなると、福祉どころではないと、福祉切り捨て論が台頭してくる。
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 福祉か経済成長かという、二者択一的なこの理解は基本的に間違っている。
前近代にあっては、消費の主体は王侯貴族だった。
国民経済は王室一家の家計を意味し、王室の財政がそのまま国家財政であった。
だからそこに必要であったのは、王家の家産学であり、財政は一種の家計簿だった。
しかし、近代になると消費の主体は、労働者という庶民にうつった。
大衆が主役の近代社会では、家計簿では財政はまかなえない。
そのために、経済学が誕生したのは周知であろう。
 
 近代にはいると、産業の中心は農業から工業へと移動した。
それに伴って、家族も拡大家族や直系家族といった大家族から、核家族へと変化した。
核家族は普遍的なもので、工業社会が招来したものではないという人がいるが、
核家族を是とする理念は工業社会のものであり、農耕社会では家が生産組織だから、核家族を是とする理念は成り立ちようがない。
近代において核家族化したことにより、大家族がもっていた機能が失われ、それを国家が補填しなければ、労働者を維持できなくなった。
それが福祉国家の誕生である。

 福祉国家とは近代の産物だから、健全な労働者を維持させるシステムである。
けっして国家によって恵みをたれる弱者保護ではない。
家族は種族保存の制度だとすれば、工業社会から情報社会への転換を目の前にして、対なる男女の組み合わせは、種族保存のシステムとしては充分ではなくなった。

 情報社会は個人を労働の主体としており、しかも非力な人間でも充分に労働者たりうる。
そこで男女が対になる必然性が消え、核家族が単家族へと変換を始めた。
単家族こそ情報社会における種族保存のシステムである。
以上の認識をもてば、福祉は必要にこそなれ、不要になるということはない。
 
 私は本書において、福祉国家の新しい定義は解体しつつある家族を国家が支える制度というものである、という趣旨の主張をしている。核家族の機能喪失(専業主婦がいない)と解体(単身者世帯が急増した)いう現実に直面して、現代の国家(自治体を含む)は家族の中に入っていってこれを支えざるを得なくなったのである。P1

と筆者は、言っている。状況は筆者の言うとおりだが、社会の変化に対する認識が恣意的であるため、次のような記述になってしまう。

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 福祉という語の原義は、人間の生活における幸福とか幸せが実現されている状態を意味するが、今日「福祉国家」というときの福祉は、国家が病弱老・身障者・低所得者・高齢者・失業者・貧困家族の児童などに、ミニマムな生活保障を行なうことである。福祉の原義から現在の福祉国家という意味における「福祉」へというこの転用は、そのような基本的幸福を自力で獲得し得ない人びとに援助を与える責任が国家にある、との認識が制度化されるにいたっていることを示すものである。P29

 福祉とは弱者への援助や生活保護ではなく、原義のとおり人間生活の幸福実現である。それが結果として、良質な労働者の確保につながると認識するから、先進諸国は福祉に力を入れるのである。

 筆者の論に従うと、福祉とは核家族の崩壊により専業主婦がいなくなった。専業主婦に代わって、在宅看護の担い手を提供する、それが福祉だと言うことになってしまう。筆者はウーマンリブからフェミニズムへの転換を知らないので、女性の台頭を家族の否定であるかのように捕らえている。

 家族の機能縮小の原因として、第二にあげられるのは、女性の職業労働への進出である。これまで家族内部で、家事機能、育児機能、病人や高齢者を介護する機能などは、大部分女性、とりわけ専業主婦によって担当されてきた。フェミニズム運動は、家族内において女性が果たしてきたそれらの役割を、女性の抑圧であるとして拒否した。主婦が家族の外に出て職業をもつようになれば、家族内の労働力資源は大幅に小さくなる。夫や子供がその一部を代行するにしても、多くの仕事は家族内での達成を断念しなければならない。P78

 女性が職場進出しないと、その社会は情報化に対応できない。
むしろわが国のフェミニズムは、専業主婦を擁護してさえいる。
今やフェミニズムは、働く女性の味方ではない。
女性の社会進出は、情報社会化に対応したものである。
女性の職場進出は、フェミニズムが言わなくても、情報社会という産業が希求している。
 
 家事労働を社会的なサービスに置き換えないと、今後の社会は存続できないのである。
筆者はアメリカが無福祉社会だというが、情報社会化にもっとも上手く対応したのは、アメリカだったことに思い至らない。
そのため、エスピン=アンデルセンを30ページ以上にわたって論じているが、我田引水になってしまっている。

 筆者が言うように家族は失敗したのではなく、大家族が核家族へ転換したのは、工業社会に対応するためだったのと同様に、情報社会に対応するために核家族は単家族へと変化する。
単家族化しなければ、今後の情報社会を機能させることができない。
単家族こそ情報社会を生き残る家族形態である。
とすれば、福祉は弱者保護ではなく、健全な労働者維持のために不可欠である。

 高齢化がますます進み、少子化と女性有業化によって核家族が機能喪失し、核家族が揺らいで単身者世帯が急増している現在、高齢者のホームレスが増加する危険を防止し、解体しつつある核家族の中に入っていって、核家族が失った機能を代行することのできる主体は、国家以外にはない。国家は家族の中に入っていって家族の機能を強化することができるが、市場が家族の中に入ってくれば、それは家族の機能を強化するどころか、ただちに家族の解体を結果する。だから今日、福祉国家は絶対に解体してはならない。P238

 筆者には核家族以外の家族形態が想像できないから、
上記のような国家万能といった恐ろしい結論になる。
福祉の担い手は、国家だけではなく市場であっても良い。
NPOへの評価も、ボランティアだとしかとらえておらず、NPOの美化は危険である。
NPOにも問題はある。善意の行為は美しいかもしれないが、それだけでは長続きするはずがない。

 福祉が必要だとの問題意識は適切であっても、この老社会学者には時代が見えていない。
だから、導きだされる結論は古色蒼然たるものになってしまう。
保護したり恵んだりする福祉は、お上的な発想のものである。
そうした発想では、情報社会に対応できない。
核家族を破壊せねば、情報社会に生き残れないのだ。
とすれば、福祉の位置づけがどうなるかは自明であろう。
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参考:
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田川建三「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」三一書房、1980
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永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
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福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
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ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
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G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
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ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
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石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
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