著者の略歴− 1939年東京都生まれ。1962年東京女子大学文理学部史学科卒業。1977〜91年慶應義塾大学速水融研究室に勤務,古文書の整理・解読担当。1992〜94年江東区古文書講習会講師。1992年〜現在NHK学園講師。研究分野日本近世史。主著・論文「近世東北農村の人びと」ミネルヴァ書房,1985、「近世後期の日記にみる庄屋家族の生活」(『徳川社会からの展望』所収)同文舘,1989、「江戸時代の東北農村」同文舘,1992 本書は、美濃国安八郡西条村(岐阜県安八郡輪之内町)の庄屋であった西松権兵衛の日記を、丹念に読み解いたものである。 権兵衛という名前は、西松家の当主が代々に受け継いだ名前であったらしく、何人もの人が名乗っている。 主として本書が扱う時代は、江戸も末期の生活事情である。
古文書が解読されるようになったのは、とても良いことである。 それによって実際に庶民がどんな生活をしていたかが、相当程度に判るようになってきた。 武士が威張っており、庶民は小さくなってしか生きることができないとか、 男性支配の社会で女性は小さくなって生きていた、といったイデオロギー優先の見方は現実を歪めてしまう。 江戸時代とは大枠として言えば、武士の支配する社会である。 男性優位だとしても、そこに生きる人間たちは喜怒哀楽をもった生身の人間である。 武力や腕力だけで、支配はできない。 支配されるほうも、支配を認めていたから、支配は成り立つ。 そう考えるからと言って、武士の支配や男性支配を良いものと認めるわけではない。 が、生きる人間に共感を持つがゆえに、彼らの息吹を感じたいのである。 本書の視点は、支配の最末端として、武士と庶民の中間にたつ庄屋の役割と、庄屋自身の生活の素描という2つの面をもっている。 前半が行政の末端者としての記述が多く、後半は生活の分析になっている。 本書によると、庄屋の仕事は激務だったようだ。 役人たちの接待など、根回しをしながら、細かい心使いをしている。 今なら賄賂といわれる役人への心付けも、当時としては人間関係の潤滑油だったらしく、たびたび支払っている。 村にとって支配体制が変化することは、新たな検地その他に手間や費用がかさむことを意味し、すべて村側の負担の増大につながることが懸念された。美濃に近いところでは、信州中野地方や飛騨国の一揆などの例があるが、幕府領で起るこうした騒動の多くが検地の実施をめぐって発生していることでも明らかなように、再検地への村々の抵抗は強く、とくに度々の水難で疲弊している地域としては認められないことであった。P71
そこには現在につうじる交渉術がかいま見える。 途上国では現在でも賄賂が横行するように、前近代では、賄賂は悪いことではなかった。 本書でも、役人に心付けを渡しても、音便にことを納めようとする庄屋たちの苦労が忍ばれる。 不品行・不行跡に対する役所と村の対応には、かなりの相違がうかがえる。中間にたつ庄屋は、大きな悪事を為出かさない限り常に百姓を庇い、身請けを願い出る傾向があり、それを取りつける手段の一つが、役人への礼を意味する金品であった。それらを利用して、村に有利に事を進めるのも庄屋の腕の見せどころであったといえよう。庄屋職が簡単に勤まるものでないのは、こうした際にものをいう経験と力量を兼ね備えることが強く求められ、村びとの全幅の信頼に応えることが望まれていたためであった。P92 庄屋の生活を記述した部分は、意外な豊かさを感じる。 江戸時代も後期になると、商品経済がひろまっており、生活は変化していたらしい。 が、百姓は木綿と麻しか着ていないわけではない。 もちろん、京都に近い岐阜ということもあるし、庄屋という裕福な階層だからかもしれないが、農民窮乏説から離れて、現実の生活を見直してみたほうがいいようだ。 江戸時代は、女性が虐げられていたといわれるが、本書で見る限り、必ずしも女性が酷使されていたようではない。 しよう(権兵衛の妻)の生き方をみる限り、従順な妻というイメージはなく、まして『女大学』でいうところの、嫁しては夫に仕え、家に尽すといった姿はほとんど感じられず、かなり自由を楽しんでいる感さえある。夫が息子たちの病弱な身体を心配し、医者を訪ね、占いに頼り、心を痛めている一方で、妻は実家の姉妹と旅の空ということもあった。芝居見物も彼女の楽しみの一つであったらしい。権兵衛が、大垣での公務が長びいて夜中に帰宅した折も、出迎えるものもなく、家中寝静まっていたと書かれたこともある。(中略)しようが悪妻だったという感じがないのはどうしてであろうか。例えば、法事や俳譜の寄合、観音講など人が大勢集まる際の食事の準備にすら彼女は一切登場せず、すべて男性で片付けられている。こうした習慣は、西松家のような大きな家ではむしろ当然のことであり、戦後でも、使用人を多くかかえる家が珍しくなかった間は、そうした家での主婦の役割は現在の常識とは少し異なっていたようである。P236 農業が主な産業だった社会では、女性の地位は決して低くはなかった。 労働力として、女性も貴重な存在だった。また死亡率が高かったので、子供を産む女性は大切だった。 女性の地位が下がったのは、専業主婦の登場した近代になってからだった。 それにしても本書を読んでいると、人が簡単に死んでいくことに驚かされる。 生まれた子供は、半分くらい死んでしまうのだ。 いつも村のどこかで葬式ある。 (2002.9.20)
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