匠雅音の家族についてのブックレビュー    住宅政策のどこが問題か−<持家社会>の次を展望する|平山洋介

住宅政策のどこが問題か
<持家社会>の次を展望する
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著者:平山洋介(ひらやま ようすけ)   光文社新書 2009年  ¥860−

著者の略歴−1958年生まれ。神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授。88年、神戸大学大学院自然科学研究科博士課程修了、2003年より現職。生活空間計画を専攻。東京市政調査会藤田賞、日本都市計画学会計画設計賞ほか受賞。著書に『コミュニテイ・ペースト・ハウジング』(ドメス出版)、『不完全都市一神戸・ニューヨーク・ベルリン』(学芸出版社)、『東京の果てに』(NTT出版)、共編著にHousing and Social Transition in Japan(Routledge)など。
 戦前、我が国は民間人による貸家文化の国だった。
夏目漱石も貸家暮らしだったように、都市部には良質な貸家がたくさんあった。
女中さんを使うような家族が、そうした貸家に住んでいたのだ。
しかし、敗戦により焦土と化したので、住宅が圧倒的に不足した。
そこで、政府は住む人間に、建設費を負担させる持ち家政策をとった。
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 我が国では、住宅問題は福祉政策とは切りはなされて、経済の問題としてとらえられた。
より多くの住宅建築が、景気を刺激し企業に高収益をもたらし、結果として、勤労者の収入向上につながると考えられた。
そのため、ますます持ち家政策が推進されて、不景気になると景気刺激策としての、住宅建築が持ちだされた。

 持ち家政策は我が国に限らなかった。
西洋先進国は大なり小なり持ち家政策を推進し、それが各国の経済を支えた。
また、自宅を所有したことによって、労働者たちが無産者から有産階級へと移動して、保守化を招き体制の強化につながった。
それは公営住宅が中心の、共産圏諸国の崩壊と平行現象となって表れた。

 しかし、我が国の持ち家政策は、経済成長とインフレを前提としたものだった。
そのため、経済成長が止まると、持ち家を手にいれることが困難になった。
こう言うのは正確ではない。
持てる者と持てない者との格差が広がり、持てる者は持ち家も手に入れることができるが、持てない者は持ち家どころか、住むところの確保すら怪しくなってきた。
 
 政府の住宅政策は保守主義の性質をもち、すべての人びとの住宅確保を助けるのではなく、特定のグループに支援を集中した(Hirayama、2003a)。 住宅政策の役割を調べるには、住まいの確保に関して「政府は誰を助けるのか」をみる必要がある。政府が力点を置いたのは中間層の持家取得促進であった。 公的援助の多くは公庫融資を経由して中間層に集中し、政策支援の配分には明白なバイアスがかかっていた。地方住宅供給公社は1950年代から賃貸住宅を建設していたが、 64年制定の地方住宅供給公社法のもとで、中間層に対する住宅・宅地の分譲に乗りだした。住宅公団は賃貸住宅を建設する一方、住宅・宅地分譲の事業をめ、中間層の持家購入を促した。 これに対し、低所得者向けの住宅供給は残余的な施策とされた。P32

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 ここでいう中間層とは、いわゆる大企業や官庁に勤めるサラリーマンのことであろう。
つまり、厚生年金が適用されるような、終身雇用を前提にした労働者であり、零細企業の労働者や職人などは含まれていない。
もともと我が国の政府は、メインストリームになるサラリーマンの育成には、戦前から意欲的だった。

 国民を戦場へ狩り出すにあたっても、大企業や官庁に勤めるサラリーマンは、企業での給料が支給されたまま、軍人としての給料も支給された。
それに対して、工員や職人たちには、軍人としての給料だけだった。
戦前は中間層が薄かったが、工業社会の階梯を登るためには、中間的なサラリーマンが大量に必要だった。

 サラリーマンへの労働意欲を喚起する方法が、筆者がいう「普通の人生」モデル、つまり結婚して家族をもち、住宅所有によって暮らしのセキュリティを確保するコースだった。
多くの人に、住宅を所有することが、良いことだと思わせる人生こそ、一人前の人間であると思わせるものだった。

 しかし、経済成長が鈍化した現在、「普通の人生」モデルが行き詰まってきた。
筆者はさまざまな方面に目を配って、住宅政策の今後を考えている。
アングロサクソン系の国では、持ち家政策が強力にすすめられたが、ヨーロッパでも大陸系の国では、賃貸住宅をふやす政策も併用されてきた。

 我が国でも、政府や自治体によって、賃貸住宅は建築されてきた。
しかし、1972年の12万戸を頂点とし、2008年には2万戸以下に減少した。
しかも、これらの住宅は低所得者用であって、国民一般の住生活を改善させるためのものではない。
政府は自前で自宅を造るように促し、国民の住生活は放置したままだった。
公営住宅や住宅金融公庫は、長いあいだ単身者を排除してきた。

 性別役割分担の核家族が主流だったので、女性は男性所有の家に住むという形で、住まいが確保された。
もちろん離婚すれば、女性は住まいがなくなった。
大企業や官庁に勤める男性以外は、劣悪な住環境にあったといっても過言ではない。
当サイトも、「21世紀の家族像と住宅」や 「シングルズの住宅」を書いて、既婚男性中心の持ち家政策には警鐘を鳴らしてきた。

 <障害者><母子家庭>などといったカテゴリーを設定し、カテゴリーに該当する者に対して、救済的に住まいを用意する政策を、本書は否定する。
住宅政策は福祉政策でもあるが、カテゴリー分類することによって、カテゴリーに該当しない人が抜け落ちてしまう。
そのとおりだと思う。

 本書は、持ち家政策にふかく突っ込んで分析している。
そして、新たな時代に、どんな住宅政策があり得るかを、社会性を含めて考察している。
恣意性が強い三浦展の「下流社会」などと比べると、本書の労作を高く評価するが、いかせん文章が読みにくい。
しかも<脱単線化>とか<残余>といった、筆者特有の言葉を使っており、編集者がもっと忠告するべきだろう。    (2009.5.3)
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参考:
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970

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