著者の略歴−1973年フィンランド生まれ。20歳でヘルシンキ大学哲学博士号取得。現在、ヘルシンキ大学教授、カリフオルニア大学バークレー校客員教授。4冊の本を出版しており、98年には哲学学習CDロムで、ECの学習用マルチメディアの年間最優秀賞であるEuro Prix賞を受賞。また、インターネット大学のフロジ工クト「ネットアカデミー」のデイレクターでもある。本国フィンランドでは自分のテレビ番組を持ち、教育庁にコンピュータ教育のアドバイスを行っている才人。http://www.hackerethic.org/ 農耕社会から工業社会への転換が、市民革命というかたちでおき、 生活面にまで及ぶ全面的な変革をよんだ。 情報社会化も同様の変質を呼び起こすだろう。 本書はマックス・ウェーバーを引用しながら、情報社会の労働観を考察したものであり、多くの示唆に富んでいる。
伝統主義(=前近代)の生活態度は、人はできるだけ多くの貨幣を得ようと願うものではなくて、 むしろ生活に必要なものを手に入れることだけを願うにすぎないとマックス・ウェーバーは言っている。 それが近代になると、勤勉を旨とし、みな必死に働くようになった。 その結果、前近代に比べるとはるかに豊かな生活が実現した。 しかし、いまやそれも限界に来ている。 封建社会をうち破って近代社会が登場したが、 勤勉は人々に労働を辛いものと感じさせ、労働を生活費のためだけのものとしてしまった。 もはや仕事には喜びはなく、義務でしかない。 しかし、人間は嫌なことを続けることはできないから、 工業社会を切り開いた当時の人々は、勤勉を楽しいことだと感じていたはずである。 情報社会における労働への動機は、楽しみを求めてだ、と本書はいう。 その例として、リーナス・トーヴァルズが先鞭を付けた、OS=リナックスの発達過程をあげる。 そして、それを「リーナスの法則」とよぶ。 リーナス・トーヴァルズはプロローグで、ハッカーにとっては「コンピュータそのものが娯楽」だと言っている。これはつまり、ハッカーがプログラムを書くのは、プログラム書きじたいがもともと面白いことであり、エキサイティングで楽しいことだからだ、という意味だ。P21 ハッカーとは「プログラム書きに情熱を燃やす」人々で、「情報の共有は影響力大の絶対善であり、自分の専門知識を広く公開するのはハッカーの倫理的義務だから、自作のソフトをフリーで提供したり、可能な場合は情報やコンピュータ資源にだれでも簡単にアクセスできるようにするべきだ」と信じている人のことである。P7 ハッカーにとってプログラミングというのは、辛い仕事ではなく娯楽だというのだ。 この指摘はあたっているとおもう。 今日でこそ、労働は辛いことのように感じるかもしれないが、 汗を流すのは爽快であり、何かを成し遂げたときの達成感は、何よりも嬉しい報酬である。 人から誉めてもらえば、なお嬉しい。
それは働くことが辛いばかりではなく、楽しさをもたらしてくれたからだ。 同じようにハッカーは、誰に強制されたわけでもないのに、すすんでプログラミングに熱中する。 彼らはお金がほしくて、プログラミングに熱中するのではなしに、楽しいから熱中する。 工業社会までは肉体労働が中心だった。 しかし、情報社会ではプログラミングのような、頭脳労働が中心になる。 ネットやパソコン、そしてソフトウェアーの多くは、 大企業や政府によって開発されたのではなく、一握りの熱狂的な個人によって創造されたものだ。 情報社会を切りひらく鍵となったコンピューター開発の立て役者たち、 つまりハッカーの生き方や働き方が、今後の主流になるだろうという。 金銭の獲得が強力な動機になり、そのため情報は囲い込まれてゆくいっぼう。そんな時代にあって、リナックスほどの巨大プロジェクトになぜ取り組んでいるのか、ハッカーたちの説明を聞くと驚くほかない。なにしろこのプロジェクトでは、金儲けが原動力になるどころか、せっかく創り出したものがどんどん他人に与えられてしまうのだ。P67 著作権という工業社会の制度は、もはや情報社会には対応できない。 活字や絵画のように、オリジナルソースが明白なものは、著作権で保護できるだろう。 しかし、プログラムという新たなものには、著作権制度は対応できなくても仕方ない。 前近代では、低い識字率が知的財産の独占を許した。 それが学校教育の普及によって、識字率が上がり、知的財産を多くの人に開放した。 結果として、科学の発達につながった。 プログラム・ソースは公開すべきである。 他人の生みだした情報はいただいておいて、 自分が生みだした情報は隠しておくのは、重大な倫理違反である。 そう言ってマイクロソフトのビル・ゲイツを非難する。 新しい方向に進もうとしているハッカーのグループがある。彼らが信奉する新しいタイプの経済は、オープンモデルによってソフトウェアを開発する、いわゆるオープンソース企業を基盤とするものだ。リナックス開発会社レッドハットなどの成功した企業がよい例だが、このモデルにおいては、プログラムのソースコードを読んで研究することも、それどころかソースコードに手を加えて独自にオープン製品を開発することさえ自由にできる。P78 プライバシーや表現の自由といった問題まで、細かく考察されている。 人間を信じて楽観的なきらいはあるが、明るい未来を感じさせる論旨である。 最後にマニュエル・カステルが「情報社会とネットワーク社会」を寄せている。 蛇足ながら、子育てが苦痛だという声があるが、 それは子育てが義務化しているからだろう。 親にとって経済的に子供の存在理由がない現在、あるのは精神性だけである。 つまり子育ても今や娯楽であり、趣味なのである。 出生率を上げたかったら、趣味としての子育てができる環境を、早く整備するべきである。 (2002.9.6)
参考: アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988 木村英紀「ものつくり敗戦」日経プレミアシリーズ、2009 アントニオ ネグリ & マイケル ハート「<帝国>」以文社、2003 三浦展「団塊世代の戦後史」文春文庫、2005 クライブ・ポンティング「緑の世界史」朝日選書、1994 ジェイムズ・バカン「マネーの意味論」青土社、2000 柳田邦男「人間の事実−T・U」文春文庫、2001 山田奨治「日本文化の模倣と創造」角川書店、2002 ベンジャミン・フルフォード「日本マスコミ「臆病」の構造」宝島社、2005 網野善彦「日本論の視座」小学館ライブラリー、1993 R・キヨサキ、S・レクター「金持ち父さん貧乏父さん」筑摩書房、2000 クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994 ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001 谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004 塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001) シャルル・ヴァグネル「簡素な生活」講談社学術文庫、2001 エリック・スティーブン・レイモンド「伽藍とバザール」光芒社、1999 村上陽一郎「近代科学を超えて」講談社学術文庫、1986 吉本隆明「共同幻想論」角川文庫、1982 大前研一「企業参謀」講談社文庫、1985 ジョージ・P・マードック「社会構造」新泉社、2001 富永健一「社会変動の中の福祉国家」中公新書、2001 大沼保昭「人権、国家、文明」筑摩書房、1998 東嶋和子「死因事典」講談社ブルーバックス、2000 エドムンド・リーチ「社会人類学案内」岩波書店、1991 リヒャルト・ガウル他「ジャパン・ショック」日本放送出版協会、1982 柄谷行人「<戦前>の思考」講談社学術文庫、2001 江藤淳「成熟と喪失」河出書房、1967 森岡正博「生命学に何ができるか」勁草書房 2001 エドワード・W・サイード「知識人とは何か」平凡社、1998 オルテガ「大衆の反逆」ちくま学芸文庫、1995 小熊英二「単一民族神話の起源」新曜社、1995 佐藤優「テロリズムの罠 左巻」角川新書、2009 佐藤優「テロリズムの罠 右巻」角川新書、2009 S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980 北原みのり「フェミの嫌われ方」新水社、2000 M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989 デブラ・ニーホフ「平気で暴力をふるう脳」草思社、2003 藤原智美「暴走老人!」文芸春秋社、2007 成田龍一「<歴史>はいかに語られるか」NHKブックス、2001 速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001 J・バトラー&G・スピヴァク「国家を歌うのは誰か?」岩波書店、2008 ドン・タプスコット「デジタルネイティブが世界を変える」翔泳社、2009 杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005年 塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008年 山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006年 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965 ジャック・ラーキン「アメリカがまだ貧しかったころ 1790-1840」青土社、2000 I・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997 アマルティア・セン「不平等の再検討」岩波書店、1999 ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1995
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