匠雅音の家族についてのブックレビュー    脱物質化社会|ダイアン・コイル

脱物質化社会 お奨度:

著者:ダイアン・コイル−東洋経済新報社  2001年  ¥2、800−

著者の略歴−オックスフォード大学プレーズノーズ・カレッジで哲学、政治学、経済学を学び学士号と修士号を取得、ハーバード大学からは経済学の修士号と博士号を取得。英国大蔵省、民間調査会社DRlヨーロッパの上級エコノミスト、「インベスターズ・クロニクル」誌や「インディペンデント」紙の経済担当の記者を経て、現在は自ら設立したコンサルティンク会社「エンライトメント・エコノミックス」代表取締役を務めるとともに「インディペンデント」紙のコラムニストとしても活躍している。また、2000年には卓越した金融ジャーナリストに贈られる「ウインコット賞」を受賞。その他、政府の競争委員会の調査審議会委員、ロイヤル・エコノミック・ソサエティー〈英国経済学会〉の評議委員、ロンドン大学研究センター運営委員なども務めている。
 情報社会化を軽くなる社会と捕らえた論考で、本書の内容はほぼ肯定できる。
工業社会の価値観がいまだに蔓延する我が国でも、本書程度のことは理解されるようになった。
しかし、現状は本書の提言からはほど遠い。
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 本書の中心的な考えは、経済がますますウェイト・レス化しつつあるというものである。
 これは字義どおりにとってさしつかえない。すなわち伝統的な「重」工業中心からサービス化への進展、財の価値に占める新機能、デザインやマーケティングやアフターサービスのシェアの高まりなどによるものである。財はミニチュア化するにつれて、物的原料の使用が減るだけでなく、製造に要する原材料の価値も相対的に低下している。
 こうした事実に基づく所見は、多くの急進的な結論へといざなう。だが、われわれの世界観は、経済価値の創造に関して古ぼけた見分に縛られている。(日本語版への序文)


とあるように、筆者は現代社会をあるがままにみる。
そのうえで、良い点や悪い点を指摘し、解決策を考えるという素直な思考である。

 工業化の初期段階では、農業生産性が向上し、労働者は農業から追い出された。
そして失業者となって、都市に流入した。
当時、識者は飢餓と大量失業を予言したが、
新たにできた工場が労働者を吸収した。
現在、工業社会が成熟し、工業生産性が高くなった。
そのため、労働者は工業社会からはじき出され、失業者となった。

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 先進工業国は豊かになった。
そして、この豊かさは今までとは違った問題を引き起こす。
新たな問題に対処するには、新たな視点が必要である。
我が国では情報社会化を工業社会の新種と捕らえているので、なかなか最適の解決法が提示されない。
単家族といっても、理解の外である。
工業社会からの失業は、情報社会化でしか吸収できない。

 経済政策は、つねに資源の稀少性と分配の問題を扱ってきた。とはいえ古典派経済学の全盛時代以来、この間題をまともに扱ってきた理論家は皆無に等しい。19世紀には、資本や土地が生産上限を決めたので、稀少性の意味は現在とは異なつていた。産業革命が不平等を拡大し、その結果、選挙権の拡大、社会保険の創設、中央政府を通じた所得再配分が行われたように、20世紀末の稀少性と不平等は、新たな政治的反応を誘発するだろう。P31

 工業社会が市民をうみだし、国民国家を作ったとすれば、
情報社会は新たな人間像を生み出すのは自明のことだ。
社会福祉にしても、完全雇用にしても、工業社会の理念である。
勤務を時間で計る就業時間という制度も、もちろん工業社会のものだ。
今後は、時間で管理される労働者は、減っていく。
そして、人は創造性やアイディ・技能を売るようになる。

 かつての農業従事者たちが自分の仕事、つまり農業に生き甲斐を感じていたように、
工業労働者は工場や肉体を使う仕事に生き甲斐を感じている。
農業従事者が、工業社会に適応できなかったように、
工業従事者はそのままでは情報社会に適応できない。

 今の自分の仕事を離れて、コンピュータの仕事へと転職するのは、
自分の属した文化や仲間への裏切りになる。 
伝統的な肉体を使う職業には、品位と郷愁を誘うロマンがある。
肉体労働は爽快さをもたらす。
しかし、新たな仕事は冷たく見える。

 ウェイト・レス化の進む社会においては、不確実性の規模と範囲が大幅に拡大するため、市場がきわめて重要な役割を果たすことは確かだ。コーポラティズムや中央による一国経済管理の可能性はない。自由市場は決定的に重要な価格と需要のシグナルを送り出し、それによって意思決定は、もっとも分散化されたレベルに委譲される。経済のどこで何が生じているのかの測定や観察ができないときに、これに代わるメカニズムはない。P290

 こうした認識をもてば、いかなる経済政策や政治が展開されなければならないか判るだろう。
既得権にしがみつく人たちは論外だが、
弱者だからと言って保護することは、結局のところ全員が沈没船にとどまることを意味する。
現在は弱者であっても、情報社会化に適応すれば、強者へと変わることが可能である。
それにはまず教育である。

 筆者の指摘は含蓄にとむが、都市が今以上に見直されるだろう、という。
自然の見直しなどといって、田舎をもてはやす論者がいる。
が、農耕社会から工業社会への転換が都市への集中だったとすれば、
情報社会化はより一層の都市化だと考えた方が自然である。
環境保護を唱えることは、先進国の身勝手な発言でもある。
より高度の集住を考える必要がある。

 情報社会化が不可避であるとすれば、
新保守主義とか、権力側の発想だと言わないで、情報社会化を真摯に見つめるべきである。
現状分析に好悪の感情を交えることが、客観的な論理を作り出さず、
結果として人間を厳しい状況へと追い込んでいく。
新たな社会の到来は、もう待ったなしである。
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参考:
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クライブ・ポンティング「緑の世界史」朝日選書、1994
ジェイムズ・バカン「マネーの意味論」青土社、2000
柳田邦男「人間の事実−T・U」文春文庫、2001
山田奨治「日本文化の模倣と創造」角川書店、2002
ベンジャミン・フルフォード「日本マスコミ「臆病」の構造」宝島社、2005
網野善彦「日本論の視座」小学館ライブラリー、1993
R・キヨサキ、S・レクター「金持ち父さん貧乏父さん」筑摩書房、2000
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
シャルル・ヴァグネル「簡素な生活」講談社学術文庫、2001
エリック・スティーブン・レイモンド「伽藍とバザール」光芒社、1999
村上陽一郎「近代科学を超えて」講談社学術文庫、1986
吉本隆明「共同幻想論」角川文庫、1982
大前研一「企業参謀」講談社文庫、1985
ジョージ・P・マードック「社会構造」新泉社、2001
富永健一「社会変動の中の福祉国家」中公新書、2001
大沼保昭「人権、国家、文明」筑摩書房、1998
東嶋和子「死因事典」講談社ブルーバックス、2000
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リヒャルト・ガウル他「ジャパン・ショック」日本放送出版協会、1982
柄谷行人「<戦前>の思考」講談社学術文庫、2001
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森岡正博「生命学に何ができるか」勁草書房 2001
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オルテガ「大衆の反逆」ちくま学芸文庫、1995
小熊英二「単一民族神話の起源」新曜社、1995
佐藤優「テロリズムの罠 左巻」角川新書、2009
佐藤優「テロリズムの罠 右巻」角川新書、2009
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
北原みのり「フェミの嫌われ方」新水社、2000
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
デブラ・ニーホフ「平気で暴力をふるう脳」草思社、2003
藤原智美「暴走老人!」文芸春秋社、2007
成田龍一「<歴史>はいかに語られるか」NHKブックス、2001
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
J・バトラー&G・スピヴァク「国家を歌うのは誰か?」岩波書店、2008
ドン・タプスコット「デジタルネイティブが世界を変える」翔泳社、2009
杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005年
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫  2008年
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006年
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965

ジャック・ラーキン「アメリカがまだ貧しかったころ 1790-1840」青土社、2000
I・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
アマルティア・セン「不平等の再検討」岩波書店、1999
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1995


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