匠雅音の家族についてのブックレビュー    テロリズムの罠 右巻−忍び寄るファシズムの魅力|佐藤優

テロリズムの罠 右巻
忍び寄るファシズムの魅力
お奨度:

著者:佐藤 優(さとう まさる)   角川新書 2009年 ¥724−

著者の略歴−1960年生まれ。起訴休職外務事務官・作家。同志社大学大学院神学研究科修了後、ノンキャリアの専門職員として外務省入省。在ロンドン、在モスクワ日本大使館勤務を経て本省国際情報局分析第一課に勤務。外交官を務めるかたわらモスクワ国立大学哲学部、東京大学教養学部で教鞭をとる。主任分析官として活躍していた2002年に背任・偽計業務妨害容疑で逮捕。512日の勾留を経て2003年10月に保釈。執行猶予付き有罪判決をめぐり、現在も最高裁に上告中。著書に、『国家の罠』(新潮社、第59回毎日出版文化賞特別賞〉、『自壊する帝国』(新潮社、第38回大宅壮一ノンフィクション賞/第5回新潮ドキュメント賞)、『地球を斬る』(角川学芸出版)、『国家と神とマルクス』『国家と人生』(共に角川文庫)、『獄中記』(岩波書店)など多数。また訳書に、J・L・フロマートカ『なぜ私は生きているか−J・L・フロマートカ自伝』(新教出版社)などがある。
 同じ書名で、<忍び寄るファシズムの魅力>という右巻と<テロリズムの罠 左巻:新自由主義社会の行く方>という左巻が、同時に上梓された。
最近、活発な出版活動を続ける筆者の、時代に対する思想的な検討である。
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 筆者の国家と社会にたいする押さえ方は、とても説得的である。
近代経済学に準拠する論客たちは、近代社会があるものとして論を立てる。
社会学も同様であろう。近代社会のなかでのメカニズム解明に終始し、いずれも近代社会を、鳥瞰的に見る視点を持たない。
 
 筆者の専攻が、神学専攻であり、ロシア関係の外交官だったことから、時代を相対的にみている。
西洋先進諸国に赴任した外交官であれば、先進国の国家体制がひっくり返ることはないので、国家への疑いをもつことはない。
ところが、ソ連は国家が崩壊してしまった。

 国家の崩壊を眼前にした筆者、どうしても国家論を求めざるを得なくなった。
それがキリスト教神学の思考とからまって、国家と社会を腑分けしていった。
筆者は明言していないが、国家を上部構造、社会を下部構造になぞらえて論じているように感じた。
 
 国家は普遍的概念ではない。それは二重の意味において普遍的ではない。
 第一に、人間社会は常に存在したが、歴史において国家が常に存在したとはいえないからである。『テロリズムの罠−新自由主義社会の行方』にも述べたが、アーネスト・ゲルナーを援用するならば、人類の社会史は、前農耕社会(狩猟・採集社会)、農耕社会、産業社会の三段階の発展をとげる。前農耕社会においては、国家は存在しなかった。農耕社会においては、国家が存在する場合もあれば、存在しない場合もあった。産業社会においては、国家が必ず存在する。
 産業社会に生きているわれわれは、国家と社会が併存している状態しか知らないため、知的操作を加えた反省的立場をとらない限り、国家と社会が「区別されつつも、分離されない」という状況を理解できない。しかし、原理的に国家と社会は別の存在なのである。
 第二に、国家は常に複数存在するということだ。ある国家は、他の国家との関係において、存在するということである。したがって、単一の国家が全世界を覆うということは、ありえない。P20


 もちろん政治の幅より、生活の幅のほうが広いから、国家より社会のほうがより基底的な概念である。
社会のない人類史はないが、国家のない人類史があるという主張は、そのとおりである。
そこから、アナーキズムが登場するのであろうし、自由主義が登場するのであろう。

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 現代の資本主義社会において、国家は必要悪だという。
必要に力点をおくか、悪に力点をおくによって、論の展開が異なってくる。
筆者は必要のほうに力点をおく。
海外体験をした者の多くは、国家主義者になっていくが、筆者も国家主義者であることを隠さない。

 国家と社会の谷間で、社会的な不安が生じ、国家が不安の解消に無能なとき、テロに向かいやすい、という。

 人間も資本主義社会も、普段は意識しないが、不安の上に存立している。危機的状況に直面すると不安の姿が見えてくる。不安に耐えることができない人々は、テロルによって不安を一気に解消しょうとするが、それは不可能だ。テロルが自らに向けられれば自殺になる。テロル、自殺は、不安に対する偽りの処方箋だ。
 不安に対するもう一つの偽りの処方箋がある。国家を強化する運動に自らを埋没させることで、不安を解消しょうとするファシズムの道だ。人間の解放は、暴力装置である国家に依存することによってではなく、人間によってかちとられる必要がある。国家ではなく、人間と人間が相互に依存する社会(共同体)の力によって、不安は解消されるのだ。
 ここで重要なのは、人間が社会を形成するためには、個体の生命を超える超越的感覚である。この超越的感覚を、国家は常に社会から簒奪している。P178


 ここで思想の役割が登場するのだ。
筆者は思想の重要性をなんども強調している。
思想の重要さについては共感するが、問題は思想の内容である。
筆者は右翼が体制側に同調して、貧困を感じていないと憤る。

 かつての右翼は、東北地方の貧困を代弁しようとしたし、北一輝や井上日召、それに青年将校たちは、国民の貧困を直視したから、クーデターを起こしたという。
歴史的にはそう言われるが、右翼の連中は、実際には貧困を肴に酒と女郎買いのなかで、日々を送ったに過ぎない。

 体制側が、非正規労働者を切りすてて、富める者だけの社会を指向する現在、右翼への期待が高まるのはわかる。
しかし、右翼とは所詮、体制内存在でしかなく、右からの体制変革はより一層の体制強化にしか結果しない。
だから筆者は、テロを否定するのだろう。

 国家を支えるのは官僚であり、国家は暴力装置だという。
暴力によって、税を収奪しているのが、国家である。
官僚は収奪した税に寄生している。
しかも、官僚は自己保身し増殖する。<新自由主義社会の行く方>のほうで、小さな政府になると、司法、警察、防衛、外交といった、暴力的な官僚機構しか残らなくなると言っている。
そのとおりだろう。

 個人のアトム化がファシズムにつながる、と筆者はいうが、情報社会へとすすむ以上、個別化や個人化は不可避だろう。
個人化しつつ、どう人間の全体性を確保するかが、いま問われていると思う。
死んだはずのマルクス主義が蘇って、本書では宇野弘蔵や滝沢克巳が読み直されている。
(2009.3.18)
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参考:
石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955
ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000
アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」筑摩学芸文庫、2001
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984
田中宇「国際情勢の見えない動きが見える本」PHP文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
ウイリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪白書」作品社、2003
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書、1999
佐藤文香「軍事組織とジェンダー」慶応義塾大学出版会株式会社、2004
別宮暖朗「軍事学入門」筑摩書房、2007
西川長大「国境の超え方」平凡社、2001
三宅勝久「自衛隊員が死んでいく」花伝社、2008
戸部良一他「失敗の本質」ダイヤモンド社、1984
ピータ・W・シンガー「戦争請負会社」NHK出版、2004
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001
菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000
ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002
サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008
デニス・チョン「ベトナムの少女」文春文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
読売新聞20世紀取材班「20世紀 革命」中公文庫、2001
ジョン・W・ダワー「容赦なき戦争」平凡社、1987
杉山隆男「兵士に聞け」新潮文庫、1998
杉山隆男「自衛隊が危ない」小学館101新書、2009
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫、1969
石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
田嶋雅巳「炭坑美人 闇を灯す女たち」築地書館、2000
モリー・マーティン「素敵なヘルメット 職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
シェア・ハイト「なぜ女は出世できないか」東洋経済新報社、2001


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