著者の略歴−1897年5月、コネチカット州メリデンに生まれた。1915年、エール大学に進み、歴史学を専攻、1919年、A・Bのタイトルを得た。社会進化論に関心を寄せ、歴史派人類学に好意的である。第一次世界大戦に従軍後、1922年、エール大学に戻って社会学を専攻。アメリカ人類学会会長をつとめた。 家族を論じる際には、本書がかならず引用される。 そのくらいの基本文献であるが、本書ほど誤読されているものも少ない。 我が国ではフェミニズムを始め、多くの社会学が核家族を家族の原型としている。 その論拠として本書が引用される。たしかに、筆者は次のようにいっている。
核家族は、人間の普遍的な社会集合である。核家族は、それが唯二の支配的な家族形態であっても、またはもっと複雑な家族形態をつくりだす基礎単位であっても、とにかく現在まで知られているすべての社会では、一つの明確な集団として、また強い機能をもつ集団として存在している。P24 訳者が解説で指摘しているように、 筆者の核家族なる概念は、家族集団の構成要素として考えられているのであって、現象形態としてではない。 しかし我が国では、夫婦と子供からなる世帯、つまり現象形態としての核家族に転用してしまった。 解説では次のようにいっているが、いったい何人の学者が本書を読んだうえで、核家族なる言葉を引用しているのだろうか。 複婚家族や拡大家族においても、なお核家族の原理が保持されるからである。そしてここに核家族の普遍性を主張する根拠が存在している。たとえば複婚家族の場合、なるほど複数の女性が、その夫を共通にしている。しかしそこでも、複数の核家族が他とともにしない生活的・感情的な単位をなしている。拡大家族も、その意味においては同じである。子は、定位家族においては親と一緒であっても、子みずからは、その妻子とともに生殖家族をつくっている。そして現象形態として核家族をとらえては、このへんの理解ができないことになる。P426 つまり極端にいえば、生殖の単位としての男女が核家族であり、 生物的な雌雄の対が家族の原型であるといっているにすぎない。 家族はその産業の変遷に従って、大家族→核家族→単家族と変わったという私は、 家族の現象形態をとらえているのであって、 そうした意味では筆者のいう、核家族が基礎単位であるという指摘に、心から賛同する。 筆者の家族分析は、社会構造という書名が示すとおり、 250の社会を分析の対象にして、そこから規則性を抽出してきた。 しかし、生殖の単位としての男女の対が、 家族としてそのまま社会的な現象形態になるわけではない。 むしろ、普遍的な男女の対と、多様な家族形態のあり方の落差にこそ、 筆者の問題関心があったといえる。 生物的な事実と社会的な観念のあいだには、遠い距離があるとは、 常識であるにも関わらず、いまだに両者を密着して考える人が多い。
我々の社会は、婚外の性交を否定的に見ている。 既婚者間の性交を正当なものと見て、 それ以外の性交は私通とか姦通といって、タブー化してきた。 実際は婚外でも性交が行われてきたのに、それを否定的に見てきた。 だから、生殖の単位である一対の男女を、核家族として家族の原型だといってしまうのである。 こうした視点は、俗説と何ら異なるものではなく、筆者を引用しながら学問の名において、差別を助長しているとしかいえない。 また筆者は、母系制に関しても次のようにいっている。 母系制が先行するという仮説は、えらくもっともらしい、たくさんの議論によって支えられていた。 −原始時代には生物的父性に無知だったと推定されること、母子の結びつきは生物学的に避けられないこと、初期の遊牧民の家族は父を含まなかったこと、父系社会にははっきり母系的慣行の残存がみいだされるが、母系的民族ではこれに匹敵する父系制の特徴が稀であること、父系社会と較べて、母系社会のほうが相対的に文化の遅れていること、父系制から母系制への移行を証明する歴史上の事例がまったく欠けていること、などがそれである。 この仮説は、きわめて論理的で、また厳密に理由づけられ、しかも既知のあらゆる事実とも明らかに一致していた。それでこれは、1861年、バフォーフェンの先駆的な定式化からだいたい19世紀の終りまで、社会科学者たちによって、例外なく受けいれられることになった。そしてこの初期人類学の素晴らしい知的業績は、数十年を経て、はじめて重大な批判に出会うのであるが、それでも最初の定式化の後、60年間から70年間にわたって、強力な支持者を得てきたわけである。P226 母系制社会の先行に身をゆだねた最たるものは、 当時ウーマンリブと呼ばれた女性学だった。 本書がアメリカで出版されたのは1949年であるから、 学問が如何にいい加減であるかわかる。 本書の本領は核家族をあつかった冒頭ではなく、 地域社会や親族社会をあつかった後半だと思われる。 ここで筆者は、家族にかんする多くの定理や公理を、案出している。 とくにインセスト・タブーをからめた社会構造への視線は、 多くの人間関係をきれいに整理しており、きわめて説得的である。 インセストをタブーとした社会だけが、生き残ることができたという指摘は、衝撃的でもある。 インセストをタブーとしないと、人間関係が拡大しない。 だからインセスト・タブーをもたない社会は、消滅してしまった。 内婚の継続は、当該者たちの生物的な消滅だった。 また親子間の性関係は、親の権威を破壊するから、 社会を継続させないという指摘も、肯首できる。 我が国のフェミニストたちは、ことさら強姦を問題視するが、性交はその当事者を平準化する。 本書は高価であるが、家族を考える上で基本文献であろう。
参考: 杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980 エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987 フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980 J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か その言説と現実」新曜社、1997 磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958 黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997 アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、 I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001 レマルク「西部戦線異常なし」新潮文庫、1955 田川建三「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」三一書房、1980 ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981 野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996 永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993 エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000 福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005 イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997 エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970 オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997 ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002 増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996 宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987 青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000 瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001 鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999 李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983 ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999 武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967 ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001 匠雅音「家考」学文社 M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989 アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999 江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967 桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001 G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000 桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998 オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975 E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951 アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988 イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001 ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997 橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984 石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007 梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000 小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001 前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001 フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001 ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979 エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951 ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985 成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000 デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007 北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006 小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000 松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001 斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978 ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988 吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983 古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000 三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005 ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005 フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993 ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998 リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974 ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990 ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000 C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007 オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006 エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992
|