著者の略歴−1916年ドイツに生まれ、フランスの大学を卒業。ロンドン大学で心理学 の博士号を取得。行動療法を体系化した臨床心理学者である。ロンドン大学教授、モーズレー病院に勤務。 マルクスが凋落したのに、なぜフロイトだけがこうも跋扈するのだろう。 フロイトは精神分析を始めた男として名高いが、 今や医療の世界ではだれもフロイトを使ってはいない。 にもかかわらず、社会科学や人文科学の世界では、いまだにフロイトは大手を振ってまかりとおっている。 フェミニズムも、女性蔑視の権化であるフロイトの軍門に下ってしまった。 本書は、精神分析に最後通牒を突きつけている。
1.精神分析によって多くの患者が苦痛を受け、悪 化している現状を見かねたこと 2. 非科学的な精神分析の影響で、精神医学と心 理学が立ち遅れていること そうだろうと思う。 私も、フロイトの論を読んで、どうしても納得いかないのは、 女性がペニス・コンプレックスをもつというのを、生理的な事実として説明することである。 女性が男性に引け目を感じるのが事実だとしても、 それは社会的な男女関係の反映であり、生理的な構造の問題ではないだろう。 社会的な眼をもたないフロイトは、人間に表れてくる言動をすべて、生理的な資質で説明しようとする。 私は、フロイトを近代の男性支配が強くなった社会に現れた一種の予言者だと考えている。 だから、フロイトの理論は、男女による性別分業が厳しくなっている社会でのみ適合し、 けっして普遍的なものではないと思う。 当時は一面の真理はあったかもしれないが、いまでは役に立たない代物である。 マルクスと同じように、彼も歴史の博物館に入れるべきだろう。 フロイトの研究は、臨床医学として始まったはずである。 患者を治療して、はじめて彼の理論が正しい、と立証されるはずである。 しかし、彼は自分の治療にかんして、きちんとした立証をしていない。 ヒステリーの女性「ドラ」の話が有名だが、それとても彼の治療の効果は疑わしい。 筆者は本書において、フロイトの研究をひとつひとつ論駁していく。 少なくとも、フロイトの書物を読むよりも、ずっと説得的である。 もちろん後年になって書く方が、有利なのは事実であるが、 フロイトの理論はフロイトの本を読んでいる最中から、疑問が次々に発生する。 しかも、その疑問はフロイトの理論の根幹を、疑わしく感じさせるものばかりである。 そして、フロイトの論は断定が多く、事実の積み重ねではない。 本書を私が信頼する根拠の一つは、マーガレット・ミードにかんする次の記述からである。
自分の論の正しさを証明するためには、自分に都合のいいものばかりを並べたくなる。 しかし、筆者はそれをしていない。 私は自分の家族論や女性論を構築するために、ずいぶんと人類学にもお世話になった。 その過程で、ミードの話は何度も目にした。 ミードの杜撰さは有名であり、途上国を美しく描くのは、まず疑ったほうが良い。 だから、この話は納得がいく。 それと思う一つ、フロイトが死滅しない理由がある。 フランスでも未だにフロイトは猛威を振るっているそうだが、 フランス現代思想がフロイトに依拠しているので、 フランスはかんたんにフロイトの旗を降ろせないのだろう。 フランス現代思想が残るのは、本国とアメリカ東部の一部、それにわが日本である。 とすれば、わが国でもフロイトが廃れないのは、よく理解できる。 実はフランス現代思想も、もう命脈が尽きている。 しかし、それを飯の種にしてきた人が沢山いるので、 いまだにフランス現代思想といわれるだけである。 フランス現代思想を信奉するかぎり、フロイトの命は延命してしまうのである。 わが国の大学界にかぎらず社会的な風潮は、ヨーロッパ指向が強い。 アメリカとの戦争に負けたせいでか、または平等ということを認めたくないのか。 映画にしてもなぜか判らないが、ヨーロッパ映画のほうを高く評価する偏見がある。 実際にはヨーロッパ映画の無力さははっきりしているのに、 それを認めないることができない。 同じようにアメリカの思想を認めないのである。 アメリカをプラグマティズムというだけで、 アメリカの覇権力が何に基づいているか考えない。 だから、フランス現代思想にしがみつきたいのだ。 その支えが、ドイツ人のフロイトだとすれば、 反アメリカのためにもフロイト支持の旗は降ろせないに違いない。 しかし、不幸なことである。
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