著者の略歴−1935年東京にて生れる。現住所 大阪府堺市南丸保園2−27 著書 Miracles et Evangile.La pense personelle de l'evangeliste Marc.PUF1966、「原始キリスト教史の一断面−福音書文学の成立」勁草書房1968年、「批判的主体の形成−キリスト教批判の現代的課題」三一書房1971年、「マルコ福音書」(註解書)上巻、新教出版社1972年、「立ちつくす思想」勁草書房1972年、「思想的行動への接近」自主出版1972年、「歴史的類比の思想」勁草書房1976年、「宗教とは何か」大和書房1984年 キリスト教がいかに人々を苦しめてきたか、ほんとうに宗教とはひどいものである。 とりわけカソリックのなしてきた悪行は、計り知れないものがある。 現在も、カソリックの悪行のもとに生活しているのは、世界中に10億人近くもいる。 一刻も早い解放がのぞまれる。 とにかく宗教は、思考を停止させるから甘美なのである。 考えることを止めるとは、人間ではなくなることを意味するのだから、この甘美さが最大の悪行をもたらすのである。
筆者は全身でイエスと対決している。 イエスは30歳前半という若さで磔になったのだが、筆者の年齢はそれを過ぎようとしている、といささかの焦りを感じたことが、あとがきに記されている。 筆者は、イエスの引き受けたことを、我が身におきかえて、真摯に問いなおす作業をしている。 それは読んでいて気持ちがいい。 ここには宗教がもつ思考の停止はなく、思考を深め続ける持続力があるだけである。 この作業は厳しく、ひどく体力の消耗するものである。 イエスはキリスト教の先駆者ではない。歴史の先駆者である。歴史の 中には常に何人かの先駆者が存在する。イエスはその一人だった。おそ らく、最も徹底した先駆者の一人だった。そして歴史の先駆者はその時代 の、またそれに続く時代の歴史によって、まず抹殺されようとする。これは 当然のことである。先駆者はその時代を拒否する。歴史の進むべきかなた を、自覚的にか直感的にか、先取りするということは、当然、歴史の現状を 拒否することである。現状に対する厳しい拒否の精神が未来を変化させる。 従って、歴史の先駆者は、その同時代の、またそれに続く歴史によって、 まず抹殺されようとする。 と書き始めてしまえば、大変なことになるのは目に見えている。 そして、抹殺されきれずに残ったのがイエスであり、残ってしまったからイエスは歴史へ反逆してくるのである。 新約聖書はもちろんイエスの死後に書かれたものだが、重要な手がかりを与えてくれる。 筆者は下記のように本書を展開する。 イエスの歴史的場 イエスの批判−ローマ帝国の政治支配者 イエスの批判−ユダヤ教支配体制にむけて イエスの批判−社会的経済的構造に対して 宗教的熱狂と宗教批判の相克(目次から)
本気で神だけを支配者とすれば、いかなる政治権力も容認しないし、特定の支配階級の存在は破壊される。 信仰者が頭を垂れるのは、神にだけである。 もちろん、神の前に天皇が存在して良いはずはない。 宗教者が建前のとおりに行動すれば、宗教の枠を突き破る。 宗教とは恐ろしいものなのだ。 神を信じるというのは、過激になることなのである。 それは新興宗教でも同じである。 神以外は支配者として認めないとすれば、人間の生はきわめて過酷なものになる。 イエスの生が過酷だったことは、たやすく想像がつく。 イエスが磔になるのは必然である。 弱き凡人は神の前で、つねに許しをこいながら生きていかざるをえないのだ。 でなければ権力が生かしておくわけはない。 それは現在の社会でもまったく変わらない。 筆者はイエスを語ろうとしているのだ。 現代の性の解放の問題だの、あるいは欧米キリスト教ブルジョワ社会で確立された1夫1婦制の社会制度だのの意識を前提にして、1世紀ユダヤ教の「姦淫」の問題を論じるとひどく見当はずれなことになる。そこでは女の人格ははじめから問題にされていない。女は男の所有物である。子を産ませる道具であり、かつ、労働力として、れっきとした財産である。(省略)「姦淫」とは男女関係の道徳の問題ではなく、私有財産の侵害の問題だった。P296 磔にされた丘から、一番最初にイエスの死体を発見したのは、女性だったことが意味するものはなにか。 イエスを男女平等論者だとは思わない。 神の前に平等ということを考えるとき、生きるということはきわめて厳しくなってしまう。 これでは男性たちはついてこないだろう。 では女性は。 おそらく駄目だろう。 イエスはもっと陽気だったと、筆者は考えている。 酒も飲んだし、おごってもらったりもしたようだ。 しかし、イエスの徹底性は死刑とならざるをえなかった。 筆者には「思想の危険について」という著作があり、吉本隆明にかんして優れた考察をしている。 イエスについてと共に教えられるところが多かった。
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