匠雅音の家族についてのブックレビュー    階級:「平等社会」アメリカのタブー|ポール・ファッセル

階級 「平等社会」アメリカのタブー お奨度:

編著者:ポール・ファッセル   光文社文庫、1997年   ¥514−

 著者の略歴−ペンシルバニア大学英文学教授。18世紀および現代英米文化に関する著書多数。評論でも活躍。代表作に『大戦争と現代の記憶』1976
 王侯貴族対働く庶民という対立が、市民革命によって打破された。
階級を打破して生まれた近代が、アメリカの出自だから、アメリカには階級がないことになっている。
階級の打破は、階級へのこだわりによってではない。
働く庶民も人間であるという、階級より広い人間という概念がなさせた。
だから、アメリカでは階級を語ることは、タブーになっていると本書はいう。
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階級(クラス)

 階級という言葉は、生産手段の所有・非所有をめぐる経済的な概念である。
本書が扱うのは、階級というより階層というべきものだろう。
英語だと「Class」ということになって、階層と階級の区別が希薄になってしまう気がする。

 世襲の肩書や地位、称号という便利な制度がないために、それぞれの世代がそのつどまったく新たにその時代の階級の序列を規定しなくてはならない。社会は地上の何よりも速いテンポで変化する。その中で自分がどこに位置しているのか、アメリカ人ほど当惑している国民はまずあるまい。(中略)伝統的な社会にくらべ、めまぐるしく変わる社会に身を置くアメリカ人は、ヨーロッパの人々よりも、「自分はどこに位置しているかをつかむ」 のが難しい。P14

 近代という不安定な社会だからこそ、人間は安定を求める。
そして、序列を付けたがる。また、財産の多寡や社会的な地によって、人間の行動や様子も違ってくる。
それは生き方のみならず、顔つき、服装、言葉使いまで、多くの面にわたって違う。

 鈍感でない人なら、たいてい一目で相手の階級がわかってしまうのは、どうしてだろうか。そのとき人はどんな特徴を探しているのだろうか。
 まず初めに顔のよさだ。どの階級にもそれ相応の美男美女はいるものの、顔つきの美しさは上位の階級のしるしとなることが多い。(中略)クーパーは言い、こう結論を下している。「一般に、美男美女は階級が上の相手と結婚し……自分に自信がなく、容貌の醜い者は階級が下の相手と結婚するようだ」
 笑いも階級を判断するときの目安となる。つまり上流階級はあまりにこにこしない。道で見かける労働者階級の女性は、中流階級以上の女性よりよく笑い、しかも開けっぴろげな笑い方をする。P64


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 代々のお金持ちは、過去に範を求め、お金のない労働者は新たなものを希求する。

 上位の階級の人々は決して未来を云々しない。「未来」は、交通機関の技術者や、プランを立てたり発明したりする下品な人々のものなのだ。教養あるテレビ視聴者が、昔の白黒映画に愛着を持つ傾向を指し、イギリスの批評家ピーター・コンラッドはこう言っている。「われわれにとっては滅びたもの、時代遅れのもの、失われたものだけが上品なのだ」
 上位の階級が、階級の原則そのものとして擬古主義を公然とかかげる(古い服への愛着すら過去へさかのぼる感傷を表わしている)なら、下の階級は、ぴかぴかの真新しい服はおろか、カメラや電子器具、ステレオ、仕掛けの多い腕時計、電化キッチン、テレビゲームといった新しいものに飛びつくほかに、どうすることができるだろう。P96

 アメリカには爵位はないし、叙勲も禁止されている。
地位を表す身分というものがない。
だから出身大学のランクが、ことさらにものを言う。
アメリカでも階層が固定化し始めている。
アイビーリーグのような有名大学はとびきり学費が高い。
そこへ入るためにはプレップ・スクールが近道である。
プレップ・スクールは金がかかる。

 階級を上るという話は、出世物語などでよく聞く。
裸一貫で身を起こした人が、上流階級のマナーを知らずに、馬鹿にされる話も多い。
しかし、階級を下げたがる人もいるという。

 男性同性愛者と女性同性愛者がそれぞれ、上昇と下降の相反する行動を実践している。野心的な男性同性愛者は、少なくとも空想の中で、上位の階級に上がりたいとあこがれている。(中略)
 これに反して女性同性愛者は下降を望む傾向があり、中流階級からタクシー運転手、警官、建設作業員に地位を落としたいと思っている。男性同性愛者が描く究極の夢は、花や小物敷きやフィンガーボウルまで完璧にそろった優雅なディナーのテーブルにつくことだ。同席者は富裕な成功者たち、とびきり上等の背広やドレスに身を包み、機知に富んではいるが如才なく不道徳な人々だ。女性同性愛者の究極の夢は、作業服を着てわめいたり冗談を言い合ったりしている、自分よりがっしりした体つきの労働者階級の人たちと、気のおけないランチカウンターで食事をかきこむことである。P252

 女性のゲイに、マッチョ指向があるという指摘は面白い。
何となく判るような気がする。
わが国でも同じ傾向があるのだろうか。
最後に環境を超越した人間として、X氏を設定している。
X氏はヒッピー的な生き方をしているが、やはり現実への反発から出発しているようだ。
それにしても、世の中を超越して生きることは難しいことだ。 
(2003.10.10)
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参考:
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
高尾慶子「イギリス人はおかしい」文春文庫、2001
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
田川建三「イエスという男」三一書房、1980
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


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