匠雅音の家族についてのブックレビュー   映画で読むアメリカ|長坂寿久

映画で読むアメリカ お奨度:☆☆

著者:長坂寿久(ながさか としひさ)−朝日文庫、1995年 ¥699−

著者の略歴−1942年、神奈川県生まれ。明治大学政治経済学部卒業後、JETRO入会。シドニー、ニューヨークに駐在、財)国際貿易投資研究所研究主幹を経て、93年から日本貿易振興会(JETRO)アムステルダム事務所長。著書に 「北を向くオーストラリア」「ベビーブーマー〜アメリカを変える力」(共にサイマル出版会)「豪州が見える旅」(フリープレス)「企業フィランソロピーの時代」(日本貿易振興会)等、多数。
 映画は作られた国を表す。
映画を見ているうちに、そう思えるようになった。
映画ほど大衆的な娯楽はないし、また映画を作るには大きなお金がかかる。
売れなくてもいい純粋芸術と違って、映画を作る人間がより強く売れたいと思っている。
だから、その国の世情にあったものしか作りようがない。

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映画で読むアメリカ
 売れない映画を作るほどの冒険は、誰もおかさないのである。
それでも当たる映画は少ないが、とにかく当てようと思って映画は作られている。
その国の映画が外国でうけるのは、おまけみたいなものだ。
本書は、私の映画観にピッタリのものだった。
本書から教えられたことは多い。

 時代とともに変わるのは、どんな表現でも同じだが、アメリカの映画の特徴、その意味など、本書は映画を考える人には必読であろう。
わが国では、アメリカ映画が軽薄なハリウッドものと馬鹿にされるが、いま新しい価値観を生みだしているのはアメリカ映画である。
しかもアメリカ映画は、やさしく誰にでも楽しめるように作りながら、その実は深い哲学的な試みをしている。
その背景を本書は良く教えてくれる。

 移民の国アメリカでは、映画が新しい移民たちにアメリカ人であることを知らせた。
自国意識を植え付けるための手段が、映画だったという。
もちろんそうだろうが、映画のもつ宣伝効果は、アメリカだけではなくナチも使ったし、わが国の映画も自国意識を高揚させたはずである。
それでもアメリカにおける映画の役割が、国民教育にあったとはあまり言われないかもしれない。
アメリカにおける映画は、次の役割を担ったという。

 第1に、歴史的な大移住と不安に満ちた見知らぬ都市社会をつなぐかけ橋であった。第2に、映画は伝統的な文化と台頭する近代生活をつなぐかけ橋であった。そして第3に、異なる文化の人々を伝統的価値観へ統合する力となった。と同時に第4に、映画は古い伝統的価値を崩壊させ、新しい時代の文化を創造する役割を担ったのである。P13

 アメリカ人はよく映画を見る。
わが国では国民1人あたり1年に1本がやっとだが、アメリカ人では5本くらい見ている。
これは劇場で見る人の数である。
以前はもっと見ていたらしい。
最近のアメリカは、世界的にアメリカの価値を広めつつあり、それをグローバルスタンダードとして他の国は受け入れざるを得なくなった。

 そうした意味でも、アメリカ映画が果たしている役割は、最近とくに大きくなっている。
かつてアメリカは内向きの国だった。
しかし最近では、国内の興行収入より国外での興行収入のほうが多いものがではじめている。
強制的に映画を見せているわけではないから、アメリカ文化が世界に受け入れられ始めていると言うことだろうか。

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 わが国では、新しいものは若者のものというイメージがある。
アメリカにおいて、若者の時代とは1960〜1970年代だった。
今新しいものを創り、今のアメリカ映画を支えているのは中年である。
若者の多くは独身だが、中年は家族をもち、子供を育てている。
若い時代を体験した中年は、ノスタルジーももっているし、お金ももっている。

 中年を対象にして、今アメリカ映画が作られている、と本書はいう。
それは私も感じていたところで、まず主人公たちの年齢が高いのである。
また映画に登場する若者といっても、ほとんど30歳近いのである。
だから、自分の価値観がそれなりできており、映画に深みがでてくる。
若い国のはずのアメリカが、いまや中年主体とは面白い現象である。

 ベトナム戦争、女性の自立、男性像の変換、離婚・再婚映画の興隆、人種問題、黒人の台頭、年齢秩序の崩壊など、アメリカ映画は時代先端的である。
アメリカン・ニューシネマを通過した後は、ベビーブーマーの家族関係へと進むのは必然だった。
だから、1979年に「クレーマー、クレーマー」が登場するのは、驚異だったが必然でもあった。

 「クレーマー、クレーマー」を転換点にして、アメリカでは男女関係が決定的に変わった。
つまり、男性は職場仕事で、女性は家事労働という男女の役割分担がくずれ、男女の社会的な位置づけがまったく同じになった。
女性の子育てが、この映画によって手放されたのである。

 本書は、老人革命といっている。
わが国では性差別の撤廃しかいわれないが、年齢秩序の崩壊も同じくらいに重要である。
つまり今までの老人イメージがなくなるのである。

 21世妃に入ると、高齢者人口の増加を背景に、高齢者たちが社会風潮を主導し、価値観を形成し、主役となっていく時代になる可能性はあるかもしれない。そこで主役の時代の老人たちが取り組む第一の問題は、セックスであろうことをこの映画(「コクーン」のこと)は予見している。
 老化を考える時、三つの側面がある。身体、精神、性生活である。これまでは映画に登場する老人たちは、肉体的活力の低下に苦しみながら、そのため性は放棄し、しかし 精神的には活力と智恵をもった老人たちであった。人々は老人にはセックスはあるまじきことと思ってきた。年とった人のセックスは非難され、驚くべきことであり、いまわしいことであると考えられてきた。しかし、実際に老人は性衝動を失った人々ではない。(中略)
 年齢に関する様々な固定観念は、何ら根拠のない神話である。新しい老人たちは神話を崩し、何か新しい多様な愛と性を表現する方法をみつけるに違いない。新しい老人たちは、人生のコースの役割(ロール)や段階(ステージ)なるものにいっさい囚われない生き方をするようになるだろう。性の解放のみならず、彼らは大学に行き、自由に引っ越し、家族の束縛から解放され、新しい体験を求めて冒険をするだろう。P253

 まさに卓見である。
映画を社会現象として分析する本書の視点は、じつに新鮮でしかも正確に時代を読んでいる。
本書はなぜアメリカ映画が世界を制覇したかを、良く教えてくれる。
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参考:
ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986
佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995
ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998
ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991
伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995
瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983
宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008
田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991
柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001
パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990
仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 
小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004
小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969
赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003
金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002
藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001



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