匠雅音の家族についてのブックレビュー     へそまがり写真術|柳沢保正

へそまがり写真術 お奨め度:

著者:柳沢保正(やなぎさわ やすまさ)−ちくま新書、2001年   ¥680−

著者の略歴−1937年千葉市生まれ。東京大学仏文科卒業。朝日新聞に入社後、社会部デスク、ジュネーブ特派員などを経て編集委員。1997年に退職。現在衛星テレビ朝日ニュースターの「ジャーナルA」キャスター。写真は学生時代からで、ニコンSPとFを新品から使っているのが自慢。報道でも趣味でもクラシックカメラを使用している。最近は百年前の大判カメラで昔の写真師の気分を楽しんでいる。著書に「クラシックカメラと遊ぶ」筑奉書房があるほか、「カメラスタイル」などに執筆。

 写真の取り方、楽しみ方といった本は、たくさん出ている。
もともとが筆者は新聞記者、つまり文章を書く方だったのが、
好きな写真にも一家言持つようになった、というところらしい。
本書は、プロのすごさを宣伝しており、写真にかんして自分は駆け出しだ、
というのが不思議なスタンスである。
それでも行間からは、オレもなかなかなんだぞ、という自負のようなものが滲み出ている。

 写真のプロではない筆者に、次のような注文がきた。

TAKUMI アマゾンで購入
 「新書で写真の撮り方を」というのが、最初の注文であった。ひっかかったのは「写真術」という言葉である。それを、得々と語るほどの知識はないし、それらしく取りつくろう厚かましさもない。だいいち、「術」をほしい人が、新書を読むとは思えない。
 ただ、写真とカメラについて、思うところは山ほどある。あるどころか、写真の面白さは底なしだし、また文句を言い出せばきりがない。<あとがき>

ということで、半分素人半分プロの書いた写真本である。
この手の本は、とかく機材のことになりやすく、
本書も機材と上がった写真の両方に目がいっている。
本当のはなしでは、機材はあまり関係ないのに。

 今やカメラの性能は素晴らしく、まず失敗ということがない。
とりわけ使い捨てカメラやコンパクト・カメラの便利さは、もういうことがない。
昼間3メートルくらい離れた屋外なら、完璧にとれる。
室内でもそれなりにとれる。
ピントも露出もシャッター・スピードも。カメラまかせで大丈夫である。
私は仕事で写真をとるが、コンパクト・カメラのお世話になったことは何度もある。

 仕事で写真をとる、つまりお金をもらって写真をとるときに、
コンパクト・カメラではお客さんが納得しない。
格好がつかない。
だから、一眼レフの高そうなカメラをかまえるが、
万が一のためにコンパクト・カメラでも押さえておく。
そして、現像してみると、コンパクト・カメラのほうが写りが良い、そんなことは何回もある。

広告
 ほんとうはコンパクト・カメラだけで仕事をしても良いのだが、
やはりカメラ1台では不安だから、2台で撮っている。
だいたいコンパクト・カメラのほうが、被写体になる人がかまえなくて、自然に撮れて良い。

 コンパクト・カメラでは不可能な写真もあるが、
2001年の木村伊兵衛賞はコンパクト・カメラ使いの名人達に送られた。
物撮りといわれるスタジオ撮影では、さすがにコンパクト・カメラは使われない。
やっぱりじっくりと露出をはかって、光をコントロールする。
しかし、こうした写真は職人仕事であり、決して芸術写真にはならない。
美しく撮られた写真が、なぜ芸術とはみなされないか、それを不思議な現象だと思っている。
感動を呼ばないからなのだが、美しいのになぜだろうか。

 レンズとシャッターがついたものを、カメラとよぶ。
カメラは何種類もあるようだが、機械としてのカメラは単純な物だ。
原理的には百年以上も変わっていない。
しかし、フィルムは変わった。
フィルムは生きており厄介なものだ。

 スライドに使うポジ・フィルムは低温管理が望ましく、管理の状態によっては発色が違ってくる。
そして厳密にいえば、同じ品番であっても、工場出荷時によっても色が違う。
感度の幅が狭いから、正確な露出やシャッター・スピードの設定が要求される。
だから、ポジ・フィルムは一般にプロ用といわれている。
それにたいしてネガ・カラーは簡単で、素人用といわれる。
筆者はそれに異議をもうしたてる。

 町の写真屋さんにあるものでも、手焼きで丁寧にやってもらえば、高い能力を発揮するはずなのである。最近では、画面の調整にコンピューターを使うものも増え、メーカーの系列によってはすでに三割くらいは新型になっているという。ブラウン管での調整よりもさらに微妙な操作が可能で、注文次第では覆い焼きもできるはずだ。(中略)では、ネガカラーで最高の焼きを得るにはどうしたらいいか。まずは、最高のネガの絵とはどの程度かを知らなければなるまい。P40

 写真を撮ることは科学反応だから、きわめて論理的にできている。
決められたとおりにやれば、誰がやっても同じように撮れる。
問題は、撮れた写真の判定である。
どの写真が良くて、どの写真が駄目なのか。
それには自分のなかに、基準がなければならない。
その基準を持っているのが、プロであり目のある人なのだろう。
だからプロより上手い素人がいる所以である。

 筆者が写真のプロではないのは、ライカのうんちくに染まっているところである。
筆者はコンタック派だというが、ライカを語って飽きない。
こうした本を読んでいると、わが国は本当に幸せなのだ、そう思えて仕方ない。
もちろん、それは良いことなのである。
広告
 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986
佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995
ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998
ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991
伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995
瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983
宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008
田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991
柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001
パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990
仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 
小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004
小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969
赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003
金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002
藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001


「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる