匠雅音の家族についてのブックレビュー   ムービーウォーズ−ゼロから始めたプロデューサー格闘記|仙頭武則

ムービーウォーズ
ゼロから始めたプロデューサー格闘記
お奨め度:

著者:仙頭武則(せんとう たけのり)−−日経ビジネス人文庫、2000 ¥648−

著者の略歴−映画プロデユーサー。サンセントシネマワークス社長。1961年横浜市生まれ。大学卒業後、大手鉄網メーカーに就職。1990年に日本衛星放送(WOWOW)に転じ、1992年から映画を製作。「萌の朱雀j(1997)「M/OTHER」(1999)「EUREKA(ユリイカ)」(2000)のカンヌ3作連続受賞をはじめ、ベルリンなどの15カ国の国際映画祭で50の賞を受賞、国際的評価が高い。大ヒット作「リンク」「らせん」なども手がけ、1999年に独立。質量共に充実した映画づくりを精力的に続けている。
 現在、もっとも脚光をあびている映画の仕掛け人である。
映画プロデューサーという職業を、認知させた人物でもある。
本書はとても面白い。
楽しく、一気に読めるし、筆者の映画にたいする情熱も伝わってくる。
有名人になりつつある人間の嫌らしさも、それほど気にはならない。

 筆者の手がけた映画は、「萌の朱雀」「2/デュオ」「M/OTHER」「豚の報い」「EUREKA」「火垂(ほたる)」と、ヨーロッパの映画祭で次々と受賞している。
また、「リング」「らせん」と国内でも、ヒットした作品をてがけている。
だから、今の筆者には迷いがないだろうし、自信もあるだろう。
しかし、わが国の映画がこれからどの方向へ行こうとしているのか、
それが判っただけに、暗澹たるものを感じてしまったのである。
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 わが国に限らず映画ファンというのは、
映画が好きになればなるほど、マイナー指向になっていくようである。
マイナー指向とは、芸術指向でもあり、
また同時に娯楽を指向しないことである。
そのため、ハリウッド映画を軽蔑し、インディペンデント系の映画にひかれていく。
そして、必然的にというか、アメリカ映画から離れ、ヨーロッパ映画へと収斂していくのである。

 ヨーロッパ映画はハリウッド映画に比べると、
配給力が弱いので単館上映になりがちである。
必然的に観客数は少ない。
だから話題になることも少ない。
筆者は自分の映画経歴を詳しくは語っていないが、
アメリカ映画に感動したことは数知れないはずである。
今やアメリカ映画のほうが時代先端的だというのに、なぜ彼はヨーロッパ指向になってしまったのだろう。

 筆者はWOWOWに入社し、営業をへて、映画関係の部門にはいった。
その後、好きな映画の製作をめざして孤軍奮闘し、20数本の映画をプロデュースし、
「萌の朱雀」の監督だった河瀬直美と結婚し、そして離婚した。
本書からは、筆者のほとばしる元気を感じる。
全力で走った10数年間の必死さは、よく伝わってくる。

 しかし、映画製作の主題が聞こえてこない。
映画は完成して、多くの人に見てもらって、お金を使わせて初めて成功である。
売れない映画は、作れない。
だから、わが国の映画である以上、わが国で売れればいいのかもしれない。
主題などと青臭いことをいっていては、映画が売れないのかもしれない。
だから、主題については語らないのかもしれない。

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 本書の行間からは、アメリカ映画に感動した若き日の筆者が、ところどころに垣間見える。
それは、「アートフル・ドヂャース」でのアメリカ進出だったし、
マーチン・スコッセシが「カジノ」で、
ロン・ハワードが「アポロ13」で使ったマグノサウンドへの拘りだろう。
だが彼のめざす方向は、アメリカではない。
情報社会を進む時代からは、後ろ向きとしかいいようがない。

 彼の主題らしきものは、古き良き家族へのこだわりだったり、
舐め会う友人関係なのである。
ここには彼個人が屹立している風景はない。
監督が表現者だとすれば、プロデューサーは商売人である。
どんなに映画が好きでも、プロデューサーは表現者ではない。
だから、わが国の仲間的な共同体の資質から、離れることはできないのかもしれない。
もし、そこを離れたら、彼のプロデュースする作品は、興行的に外れるのだろう。

 アメリカと同様にわが国でも、プロデューサーの時代といわれている。
しかし、その内実はひどく違う。
わが国という情報社会の後進国では、それに見あった作品しか生まれない。
アメリカの映画が、情報社会の最先端を描こうとするのは、アメリカという社会が情報社会だからだろう。
それにたいして、わが国は情報社会化していないのだ。
だから、筆者のような姿勢が歓迎されるのである。
もちろん同じ理由で、情報社会の後進地域であるヨーロッパで歓迎されるのでもある。
アメリカと日本で、プロデューサーの内実が違うのは当然である。

 本書が明らかにしているのは、
仙頭武則という馬力のある映画プロデューサーの問題というより、彼が体現している日本的な現状である。
映画好きの人間が、情報社会とは正面せずにすんでいく風景が、なんともやるせない。
いや反対に言うべきだろう。
彼が情報社会と正面すれば、彼は有能なプロデューサーにはなれなかった。
若かった彼の好みを忘れさせてしまうくらい、
わが国の情報社会への拒否反応は強いのである。
彼も近代の超克から日本回帰をしている。
わが国のこうした嗜好状況では、今後、サンダンスでわが国の映画が入選することは期待できないし、
ますますアメリカとの距離は広がるだけだろう。
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参考:
ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986
佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995
ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998
ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991
伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995
瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983
宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008
田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991
柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001
パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990
仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 
小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004
小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969
赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003
金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002
藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001


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