著者の略歴−1947年長崎県生れ。'71年、毎日新聞社に入社し、東京本社地方部、社会部を経て外信部へ。'82年から2年間テヘラン支局、'86年から7年間パリ支局、'96年5月からローマ支局長。'97年本書にてサントリー学芸質受賞。'98年7月から2001年3月まで外信部長を務め、現在、論説委員。文化、社会、宗教などグローバルな視点から国際政治を分析している。 エリゼ宮は、フランス大統領の官邸である。 フランスは大統領のほかに、首相をもおいている。 首相が国内政治の担当だとすれれば、大統領は外交と軍事が専権事項である。 そのため、エリゼ宮には多くの外国人が出入りし、そのたびに昼食会や晩餐会が催される。
その食卓には、フランス自慢のフランス料理が並ぶ。 素材選びには、金に糸目をつけないらしく、最上級のものが選ばれるという。 そして、この食卓に欠かせないものが、ワインとシャンペンである。 ワインもシャンペンも、きっちりと格付けされているので、どんなワインを出したかによって、その食卓の金のかけ具合がわかる。 そして、接待をしている相手への、フランス大統領の思い入れの度合いがわかるという。 ホストの客人に対する親近の度合い、客人の重要度はメニューに当然のことながら投影される。客人の政治的、社会的な地位と格付け、さらには序列といったものも、メニューを決める際の重要な手がかりとなる。惜別の宴なのか、それとも歓迎宴なのか、といった饗宴の性格によってもメニューは違ってこざるを得ない。料理を通して、面と向かっては言えない暗示や討際を相手に送ることもあり得るだろう。P3 政治のキー・ワードは、料理とワインにおいてその姿を現す。外交儀礼の中で、食卓は政治の深淵をのぞかせる、香り高い場となるのだ。P5 本当にそうだろう。 外交は一種の儀式のうえに、繰り広げられる友敵関係の確認である。 それは当然のことながら、相手があることであり、相手との親疎によって対応が変わるであろう。 本書はそうした違いを、食卓に供されたメニューから判断しようというものである。 本書は、ミッテランの14年間とシラクが大統領になった1995年までを対象にしている。 本書のなかで、何度も語られているが、大統領個人の好みや資質によって、エリゼ宮の様子は大きく変わる。 そして、食卓もまた大きく変わるらしい。 しかし、いずれにせよ食卓に供されるものによって、外交の一端が判断されるというのは、変わらない事実であるようだ。 ブッシュ大統領が再選を目指した1992年10月の大統領選挙中、メージャー英首相は「私はブッシュ大統額が再選されることを望んでいる」と口にし、当選したクリントン大統裔との仲がギクシャクしたが、英首相の言葉は西欧主要国の本音だった。旧ユーゴスラビア紛争、ソ連崩壊後のロシアの不安定と、米国との緊密な協力がこれまでに増して必要とされたときに、西欧各国指導者は欧州を深く理解していた貴重なパートナーを失った。ブッシュ大統領夫妻を招いたエリゼ宮の最後の晩餐会は、ともに新しい世界秩序作りに手を携えてきて、いま中途で表舞台を下りなければならないパートナーヘの、ミッテラン大統領の愛情溢れるものだったのである。P31
その後のクリントン大統領との晩餐会は、ブッシュ大統領のそれにくらべると冷淡だったという。 本書の性格からすれば、こうした記述になるのはやむをえないだろう。 しかし、毎日新聞の特派員だった筆者の立場を考えると、本書の記述は楽天的というか小児的に過ぎる。 メニューが語る外交の意思という着眼点は、本当に素晴らしいし、ユニークな著書に仕上がっている。 しかし、筆者の視点は、フランス大統領側からものを見ており、時の世界全体を見る視点に欠ける嫌いがある。 だから、わが国の視点が欠落してしまう。 フランスにとっては、ブッシュのほうがよかったことは事実であろう。 フランスや西洋にとっての好都合は、必ずしも日本にとっての好都合とは限らない。 ブッシュが落選しクリントンが当選したことは、その後の世界情勢を見れば、わが国にとってはるかに好都合になったであろう。 西洋の凋落は目を覆うばかりであり、その後のアジア情勢はアメリカがアジアに重点を移したことが明である。 西洋は取り残されている。 もちろん西洋には、特にフランスにはワインのような古くからの財産があるので、簡単には没落しない。 しかし、旧態然たるシステムを残置させていることが、このエリゼ宮の晩餐会でもあろう。 本書は、普段は見知ることのできないエリゼ宮の食卓を、公開してくれたという意味ではとても面白かった。 これはこれで1冊の外交の研究書といっても良い。 新聞社から派遣される外国特派員が、世界全体を見るのではなく、その国に埋没してしまう。 これは新聞記者に限らない。 わが国の外国研究者は、研究の相手国に心から同化してしまう傾向がある。 研究しているうちに、相手国のすべてがよく見えてしまうのだろう。 客観視を要求される記者が、本書のような資質だというのは、ちょっと困ったものである。 これでは世界情勢の先読みなどできたものではない。 また、天皇の訪仏にフランス側が見せた対応に対しても、筆者は何の疑問も呈してはいない。 短命な首相より、天皇をわが国の元首として扱いたいフランスの事情はわかるが、わが国の新聞記者がそれに同調しては困る。 天皇は元首ではないのだから。 筆者の記者としての資質に厳しいことを書いたが、メニューの外交研究書としてみれば、本書はとても楽しく読める。
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