匠雅音の家族についてのブックレビュー    ロンドン骨董街の人びと|六嶋由岐子

ロンドン骨董街の人びと お奨め度:

著者:六嶋由岐子(ろくしま ゆきこ)−−新潮文庫、2001年 ¥514−

著者の略歴−大阪府生れ、閑西学院大学文学部卒。ロンドン大学東洋アフリカ研究所及び、デヴイツド財団コレクションで修士課程(東洋陶磁)を修了後、ロンドンの古美術商スピンク・アンド・サンの東洋美術部に勤務。帰国後は古美術取引を行いながら、美術関連の翻訳を手がける。1998(平成10)年、本書「ロンドン骨董街の人びと」で講談社エッセイ賞を受賞。
 関西学院大学を卒業後、ロンドン大学東洋アフリカ研究所に学び、
ロンドンの骨董品を扱う会社スピンク社に3年間働いた筆者の自伝的エッセイである。
1988年から数年間、筆者は陶器を中心にあつかう古美術商として、
骨董界の真っ直中にいた。
筆者に限らず、私も青磁は白磁が好きなので、筆者の行動には大いに興味がある。

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 1980年代には、すでに外国に行くことは自由になっていた。
そして、学園闘争の去った大学は、卒業しても何も身についていない、と思う人間をうみだしていた。
彼(女)等は就職モラトリアムで、とりあえず外国へでも行ってみようかと、海外の大学に籍をおくことが多かった。
筆者もその一人かとも思われなくもないが、
海外の大学は入るは易しいが卒業は難しい。
しかも、筆者は大学院に進学したのだった。

 わが国なら、日本語が不自由な外国人には、手加減して教授たちが接するかもしれない。
しかし、外国の大学はまったく違う。
その国の言葉がしゃべれて当然である。
筆者は言葉にかんしての困難さを述べていないが、
日本人が海外の大学でやっていくのは、相当に大変なことである。

 大学院を卒業しても、就職が保証されているわけではない。
イギリスでの就職には、日本人であることはマイナスにこそなれ、プラスになることはない。
そうしたなかで、筆者はスピンク社に就職する。
イギリス人でも、なかなか就職できない会社に就職できた。
なんという幸運であろうか。
おそらく筆者の実力が認められたのであろう。

 イギリスの上流・中流の上といった階層をねらった会社だから、
内実は古色蒼然たるものだったろう。
上流階級に迎合するのは、保守的にならざるを得ない。
いやむしろ、庶民たちが上流階級を真似し、かつての栄光を自分のものとしたがる。
それは成金だけではなく、自らの価値観をもたない庶民こそ、上流階級のスノッブさには弱い。
でなければ、家元が隆盛を誇るわけがない。
わが国も家元は、庶民によって支えられている。

 筆者は初めての住所を、イースト・エンドに決める。
これはまったくの偶然だったらしいが、筆者にはとても良い選択だったと思う。
イースト・エンドといえば、犯罪の巣窟といってもいい一種のスラムに近く、
外国人の若い女性が住むところではなかったらしい。
筆者はタニヤという女性と同棲して、イギリスの庶民生活をしっかりと味わう。
このあたり、筆者はあまり意識していないようだが、
筆者の人格形成に大きな影響を与えているように思う。
筆者がイースト・エンドに住まなかったら、筆者のイギリス観はずいぶんと違ったものになったろう。

 一度、タニヤと私は、真夜中に身の毛のよだつような悲鳴で目覚めたことがあった。翌朝フラットに、身長2メートル近い黒人の警官が事情聴取にやって釆た。私たちの住む団地の前の路上で、昨夜、酔っ払いが殺されたというのだ。そのときタニヤは、震える私の足を蹴り、「巻き込まれたくなければ、何も聞かなかったと言いなさい」と耳打ちしたのだ。   P23

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 犯罪は世界中にある。
だから殺人事件を特別視するのではない。
問題はその後である。
わが国だったら、警察官にたいして、知らないといった対応になるだろうか。
多分、個人のプライバシーより官憲への協力が優先して、ゆうべの出来事を喋るだろう。
聞こえているのに、何も聞こえなかったという神経は、
個人主義が浸透した社会のものである。
今後、おそらくわが国もこうなり、凶悪事件の犯人が捕まらなくなるであろう。
犯罪の捜査には厳しい時代が来る。

 美術品のコレクターというと、有り余るほどの金を持った人というイメージある。
しかし、世にお金持ちは多いが、コレクターとなる人は少ない。
筆者は次のように言う。

 秀逸なコレクターは、財力があれば誰にでも造れるというものではない。コレクターには才覚が必要だ。逸品を求める執拗なバイタリティと、妥協を許さない頑固一徹な性格、そして美術品の色感と造形美を精確に眼で記憶する才能、時と場所を超えたものを想像する洞察力。デヴィッド卿は、そのような才能を合わせ持った、生まれながらの大コレクターだった。P58

 本書を読んでいて、三島由紀夫の「美神」を思い出した。
眼は裕福さがつくるが、裕福なら誰でも眼力を持てるかというと、それは違う。
自分の生き方にこだわり、自腹を切る人間だけに、眼力が付くのである。
このあたりまでは、筆者の見解に大いに賛成する。
しかし、筆者の自己意識の溶融には、しかたないと思いながらも、
これではイギリス人に軽くあしらわれるのは当然だと思う。

 多くの日本人が外国にでかけ、何年かその地の生活すると、
ほとんどがその地の信者になってしまう。
イギリスにいればイギリスの、アラブにいればアラブの賛同者になってしまう日本人が多い。
中国の研究者は中国サイドの発言をするし、
アフリカの研究者はアフリカを至上のものといいがちである。

 若い本書の筆者に、自己の価値観で語れというのは酷かもしれない。
また骨董商とはなるには、全身を捧げなければ不可能なのかもしれない。
悲しいかな、筆者は結局のところイギリスの妾になっている。
身体は売っても、心は売らないことができないのだろうか。
軽いエッセイだからこれで良いのだろう。
イギリスべったりで良いとしておくが、これでは林望さんのイギリス妾とまったく変わらない。
わが国がイギリスなど先進国を、冷静に評価できるようになるのは、一体いつのことだろうか。

 本書は、普通はあまり知られないイギリスの内部を知らせてくれたという意味では、とてもおもしろかった。
また、筆者がイギリスでどんな生活をしたかもわかり、興味深く読んだ。
しかし、伝統と歴史のイギリスといいながら、
1990年代の荒波に崩壊してしまったイギリスにも、なお寛大な視線を投げ続けるのは、
イギリスに姦通されたあげくに、心を奪われてしまったのだろう、といささか寂しい解釈をしておく。
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参考:
高沢皓司「宿命「よど号」亡命者たちの秘密工作」新潮社、 2000
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993

大塚英志「彼女たちの連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義」角川文庫、2001
清水美和「中国農民の反乱 昇竜のアキレス腱」講談社、2002
潘允康「変貌する中国の家族 血統社会の人間関係」岩波書店、1994

石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955
ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000
アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」筑摩学芸文庫、2001
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984
田中宇「国際情勢の見えない動きが見える本」PHP文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
ウイリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪白書」作品社、2003
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書、1999
佐藤文香「軍事組織とジェンダー」慶応義塾大学出版会株式会社、2004
別宮暖朗「軍事学入門」筑摩書房、2007
西川長大「国境の超え方」平凡社、2001
三宅勝久「自衛隊員が死んでいく」花伝社、2008
戸部良一他「失敗の本質」ダイヤモンド社、1984
ピータ・W・シンガー「戦争請負会社」NHK出版、2004
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001
菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000
ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002
サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008
デニス・チョン「ベトナムの少女」文春文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
読売新聞20世紀取材班「20世紀 革命」中公文庫、2001
ジョン・W・ダワー「容赦なき戦争」平凡社、1987
杉山隆男「兵士に聞け」新潮文庫、1998
杉山隆男「自衛隊が危ない」小学館101新書、2009
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫、1969
顧蓉、葛金芳「宦官 中国四千年を操った異形の集団」徳間文庫、2000
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か その言説と現実」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
久家義之「大使館なんかいらない」角川文庫、2001

高尾慶子「イギリス人はおかしい」文春文庫、2001  
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