著者の略歴−1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学技に進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害児施設の職員を経て1972年、英国へ。イギリス人音楽家と結婚。1976年、二人で帰国、京都で暮らす。1982年離婚。祇園でホステスとなる。英語が喋れるホステスとして商社マンの間で重宝される。1988年、再び英国へ。ロンドンの日本レストランのウエイトレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハウスキーバーなどで生活をたてる。著書に「イギリス人はかなしい」「イギリス人はしたたか」など。 一時イギリスを賛美する本がたくさん出版された。 落日のイギリスがそんなにも素晴らしいのかと、私は疑心暗鬼でいた。 フランスもそうだが、経済が弱いときに、その国の状態が良いはずがない。 イギリスだって同様だろうと考えていたが、どうやらその予感は正しかったようだ。
本書は痛快である。 イギリスの欠点をこれでもかと書きたてるが、筆者のイギリスへの愛情がひしひしと伝わってくる。 本当のイギリスを見て、しかもそれに愛情を持っているから、どんなに厳しいことを書いても、余裕をもって読むことができる。 イギリスは取り残されてしまったのだろう。 筆者の何が気持ちいいかって、偏見のないことである。 もっといえば、人間や職業への差別意識がまったくない。 働いて自分で口を糊している人は、すべて平等だと思っている。 その姿が実にすがすがしい。 筆者の経歴は、うえの著者欄を見て欲しいが、筆者の偏見のなさは職業生活からきたものだろう。 働き続けてきた人間の、力強さと明るさを本書から感じる。 ハウスキーパーとして、リドリー・スコットの家に入るところから、本書は始まる。 私は料理をしているとき、後片づけをしているとき、アイロンを掛けているとき、靴を磨いているときなどに、無上の幸せを感じる。だからハウスキーバーの仕事を選んだのだが、結婚した主婦と同じことをすることによって、プロフェッショナルとして報酬を得られるのであるから、こんないいことはない。しかも、それらは私の趣味と一致しているのである。(中略) たとえば、お手伝いさんのために寝室、浴室、トイレ、居間、キチンを別に用意してくれる日本人の雇い主がいるかということである。私の場合、スコット家の最上階のフラットの四部屋全部を与えられている。ヨーロッパやアメリカではこれが常識である。そして給料も、月に20万円はくだらない。さらに年次休暇1カ月、週休は1日半が普通である。P20 ハウスキーパーとは家庭内の使用人であり、階級制度の残ったイギリスに固有のものではない。 しかし、映画「日の名残り」のなどでもみるように、イギリスのそれが有名である。 もちろん使用人を目下に見る風潮は残っているが、本書を読むかぎりきちんとした職業として確立されている。 わが国の女中さんとは、いささか違うようだ。 筆者の目は、旅行者のとおり一遍の観察ではない。 会社の看板を背負ったイギリス駐在員の目でもない。 私は駐在員や外交官として外国にいる人は、いくらその国に長く住んでも、そうとうに偏ったものを見ていると思う。 背負った看板が、彼らの目を曇らせるのだ。 ハウスキーパーとして働く筆者の目から見た、イギリスの駄目さ加減は次のようなところである。
「みんな、あの機械(=切符の自動販売機)の使い方がわからなくて、1人が機械の前で20分も使い方を試したあげく、窓口に来て、どのように使うんだと尋ねるんだ。そのたび、外へ説明に出て行かなきゃあならない。われわれ駅員は一日中、オフィスから外へ出たり入ったりで、仕事ははかどらないし、使い方がわからないという頭の悪い奴が次々と自販機を10分も20分も試すから、機械の前は大行列になる。それで、結局、便利な機械が役に立っていないというので取り除いたというわけさ。じつに、ステユーピツドな話だろう。この分だと、いくら近代的なテクノロジーが発明されたり設置されても、この国じゃあ使われなくて捨てられるんだ。この国に進歩はないね。 あんたは日本人か? 日本人はあんな機械なんか、すぐ使い方を覚えたろ。これで英国人がどんなにバカであるかわかるだろう?」P210 上記は、筆者と駅員さんとの会話である。 福祉の発達していることなど、もちろんイギリスの良さもたくさん書かれている。 イギリスの人口の70%は、確実に生活が豊かになった。 そして、リドリー・スコットの家に住んでいるのだから、映画好きにはこたえられないエピソードもたくさんある。 筆者は徹底して労働者の見方をしており、サッチャー女史が大嫌いである。 金融資本家の手先で、目先の改革をおって、教育をおろそかにした。 だからイギリスは堕落したと、サッチャーを厳しく攻撃する。 映画「人生は、時々晴れ」が、描くとおりである。 このあたりは私と見方が違うが、立場がはっきりしているのは気持ちがいい。 次のように言う筆者の、日本のマスコミ批判は当たっていると思う。 ルーシー・ブラックマン事件と比べて、わが国のマスコミや政府・在外公館の対応は、同朋に非情なまでに冷たい。 留学生の日本人女性がここ(=イギリス)で失踪したとき、日本の政府、大使館は、英国政府を揺さぶったか? 訴えたか? 日本の新聞やテレビは騒いだか? 真剣に同胞の不幸を哀れんだか? 私の想像では、日本国民のほとんどがこの事実を知らされていないと思う。P300 日本人の生命のなんと粗末なことか。 北朝鮮へ拉致された日本人に対して、日本の政治家のなんと冷たいことか。 しかし、外国にでた若者たちは、実にしっかりしているという。 私も現代の若者は頼りになる、と思う。 文体も軽妙で、実に面白い本だった。 (2003.09.12)
参考: ゴードン・スミス「ニッポン仰天日記」小学館、1993 六嶋由岐子「ロンドン骨董街の人びと」新潮文庫、2001 下川裕治「バンコクに惑う」双葉文庫、1994 清水美和「中国農民の反乱」講談社、2002 編・暁冲「汚職大国・中国」文春文庫、2001 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 金素妍「金日成長寿研究所の秘密」文春文庫、2002 邱永漢「中国人の思想構造」中公文庫、2000 中島岳志「インドの時代」新潮文庫、2009 山際素男「不可触民」光文社、2000 潘允康「変貌する中国の家族」岩波書店、1994 須藤健一「母系社会の構造」紀伊国屋書店、1989 宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店、2001 コリンヌ・ホフマン「マサイの恋人」講談社、2002 川田順造「無文字社会の歴史」岩波書店、1990 ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973 阿部謹也「ヨーロッパ中世の宇宙観」講談社学術文庫、1991 永松真紀「私の夫はマサイ戦士」新潮社、2006 臼井昭「ピープス氏の秘められた日記」岩波新書、1982
|