匠雅音の家族についてのブックレビュー    ピープス氏の秘められた日記−17世紀イギリス紳士の生活|臼田昭

ピープス氏の秘められた日記
17世紀イギリス紳士の生活
お奨度:

著者:臼田昭(うすだ あきら)   岩波新書、1982年  ¥660−

著者の略歴− 1928年京都市に生まれる。1952年京都大学文学部卒業。 専攻−イギリス小説、現在−京都府立大学文学部教授、 著書−「モールバラ公爵のこと−チャーチル家の先祖」研究杜、訳書−J・オーステイン「マンスフィールド・パーク」集英社ほか

 ピープス氏は17世紀のイギリス官僚で、海軍大臣を務めてもいる。
その彼が、秘かに記していた日記をもとに、構成されたのが本書である。
この日記は、公開することを考えていなかったので、実に赤裸々に書かれており、
当時の世相や日常生活をよく知ることができる。
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 1660年1月1日から1669年5月まで、彼は日記を書いたが、それは速記号という一種の暗号で書かれていた。
だから本書は、長いあいだ公になることはなかった。

   本書は、1年ごとに章をたてて、記述されている。
    1. ピープス氏、日記を書き始める 1660年
    2. ピープス氏、有卦に入る 1661年
    3. ピープス氏、生活改善を図る 1662年
    4. ピープス氏、妻を愛する 1663年
    5. ピープス氏、にぎにぎを覚える 1664年
    6. ピープス氏、ペストと闘う 1665年
    7. ピープス氏、独立する 1666年
    8. ピープス氏、国家を憂える 1667年
    9. ピープス氏、奮闘する 1668年
   10.ピープス氏、矛を収める 1669年


 ロンドンの仕立屋の息子に生まれた彼は、ケンブリッジ大学に学び、大蔵大臣の私設秘書となる。
貧しいなかで、15歳のフランス娘と結婚するが、やがて出世の糸口をつかむ。

 海軍省書記官ともなると、ロンドンの東端、ロントン塔近くの海軍省構内に官舎が用意され、給料は以前の7倍の350ボント、しかも仕事はたいしたことはない。出勤は週3日、月水金の午前中だけ。午後は宮延、議会、交易所をぶらついて情報を仕入れ、芝居を見、酒を飲んで、家に帰る。P20

 1658年、彼は膀胱結石の手術を受けている。
殺菌術も麻酔もない時代に、開腹手術を受けるのは、一大決心が必要だったに違いない。
幸いにも手術は成功した。
取り出されたピンポン玉ほどの結石を、彼は大切に保管していたという。

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 王政復古期のイギリスは、退廃の極みに達しており、人々は快楽を求めて日々を暮らしていた。
その日々を、彼の日記はそのまま記述していく。

 ピープスは快楽に後髪を引かれながら、節制の美徳に生きようとする。彼の生活はいわばこの二つの力の間の綱引きのようなもので、心臓の鼓動と同様、緊張と弛媛が相交互する。しかもこの二つの局面のいずれも長続きせず、彼の気持は猫の目のように変るのだ。「最近すっかり浪費と快楽の癖がついたことを思い、心が悩む……神よ、どうか今から仕事熱心になれるよう、お恵みを垂れ給え。」だがこの発心も、翌日誘惑の前に日向の雪だるまのように溶けてしまう。「(中略)飲み過ぎたため、仕事などできる訳もなく、昼になって外出し、ウェストミンスター会館をしばらく冷やかした後、ソールズベリ・コートの芝居小屋へ行った……つまらぬ芝居で演技もまずかったが、運よく、とても美人でとても上品なご婦人の隣に坐れたので、大いに満足した」P38

 ピープスはどうやら孔子様と同意見で、女性とりわけ妻という存在は、思慮分別において、男性とくに夫に一歩劣り、本性浪費的であって、財布を預けると何をするやら知れたものでない、と考えていたらしい。「妻が万事をなおざりにし、わたしから自由になって、小生意気な気分でいることを考え、一日中いささか機嫌が悪かった。二度とこんなふうに彼女を信用してはいかんのだ。あれは馬鹿なのだから」P62

 おそらく当時の平均的な男性だったろうピープス氏の女性観である。
しかし、妻を愛していたことは間違いなく、
フランス娘との結婚自体が、当時ではあまり例のないことだった。
大恋愛だったようだ。
しかし、彼が日記を書くのをやめた1669年、フランス旅行から帰った夫人は、チフスにかかって死んでしまう。

 ペストが流行れば妻を疎開させ、他人の不幸は見過ごしている。
そして、ペストが他人事ではなくなると、遺言書を書いている。
そうしたなかでも、順調に出世していくのである。
本書は一介の平凡な官僚が、海軍大臣にまで出世する前、毎日のなかで感じたことを赤裸々に書いている。
そのため、高尚な文献になることはない。
しかし、これによって当時の生活が知れ、いつの時代にも人はそれほど変らない生活をしていることがわかる。
(2003.09.12)
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参考:
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