匠雅音の家族についてのブックレビュー    台所用具の近代史−生産から消費生活を見る|古島敏雄

台所用具の近代史
 生産から消費生活を見る
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著者:古島敏雄(ふるしま としお)−有斐閣、1996年 ¥2、500−

著者の略歴−1912〜1995年 長野県飯田に生まれる。1936年東京帝国大学農学部卒業。東京大学教授、一橋大学教授、専修大学教授を歴任。専攻 日本経済史,日本農業史。主要著作「古島敏雄著作集」全10巻,東京大学出版会,1974−83年、「日本農業史」岩波書店,1956年、「産業史V」山川出版社,1966年、「土地に刻まれた歴史」岩波書店,1967年、「近世経済史の基礎過程」岩波書店,1978年、「子供たちの大正時代」平凡社,1982年、 「残るものと亡びゆくものと」専修大学出版局,1984年など。
 明治以降、住宅は変わった。
もっとも変わったのは、台所であろう。
すでに忘れられているが、竈はヘッツイといって、座ってもしくはしゃがんで調理した。
それが立って調理をするものへと、その姿勢が変わった。
熱源が薪から、ガスや電気へ変わったばかりではなく、
調理の姿勢が変わったことに、まず注目しなければならない。
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 人間が生活するのには、食べ物を加工するための台所が不可欠である。
本書は、近代になって激しく変わった台所の変遷史である。
 
 囲炉裏は農家の生活の中心であり、それを囲む座席には家長のすわる横座(上座)、その左側を嬶座といって主婦のすわる場所、 その正面横座の右側を客座(向座)といい、横座の正面土間側を木尻と呼んで、薪の置場または下男・下女の席とする慣習は全国的に共通であり、 農村家族の家父長制的性格を示すといわれる。この座席の地方による呼び方の差異などは強い関心の的となっている。これとともに炉の火に 鉄鍋などを掛けるための自在鉤には魚などの彫り物を施した木材が、鉤を上下させるために用いられている。これが長年焚火の煙によって黒光りしている姿に、 多くの人の興味が寄せられている。そんなことから囲炉裏に注意が向かうのは当然であるが、それのみでは農家の台所を中心とする日常の姿は復元できない。P2

 物としての建築は、形となって残るので、時代がたっても古いものを知ることができる。
しかし、そこでどんな生活が営まれていたかといった、いわば生活のソフトといったものは、無形であるため知ることが困難である。
一度消えたソフトの復元には困難が伴い、残された物から想像するよりほかに道はない。
幸い明治以降の物は、量的にもたくさん残っているし、
使っていた人が健在であるので、生活を復元することが比較的たやすくできる。

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 戦災を激しく受けた東京では貸家捜しも容易ではなかった。新しくはじまった住宅金融公庫の融資を受けて家を建てたのは36区の西北端であった。このとき、この地域には上水道もなく、都市ガスもな かった。もちろん公共下水道もなかった。掘井戸を掘り、竈を築き、しみ抜きの溜まりを作り、汲み取りの便所を作らねばならなかった。井戸は鉄製の手押しポンプで、本屋の外、洛室に近い所に掘った。この井戸に並んで、台所の出口のあたりに二つの釜口の竃を築き、ポンプとの間はコンクリートで固めた水受け場と外流しがあった。ポンプの奥には燃料の置場となる三尺・九尺の物置を作った。建築制限面積の関係であったか、本屋とは別に、これらを覆う屋根は作ったが、吹きさらしであった。同じ棟のなかに作れば土間で台所とつながって、その土間に井戸・外流し、竈がある、伝統的な町屋と同じ型である。竈・外流し・井戸を使うには履物をはいて外に出なければならない。P5

 戦争で焼けだされたので、生活は一挙に明治に戻ってしまった。
本書にはたくさんのカットや写真があるが、いずれも現在の物とは著しく違う様子を伝えている。
生活を変えたのは、光のもと、水の入手、燃料の変化であろう。
光のもととは、ランプや行燈からガス灯になり、電気による照明と変化した。

 水とはもちろん井戸から水道へであり、燃料は薪や炭からガスへの変化である。
光源、水源、熱源の供給のされ方が、台所のあり方を決定していた。
この3つが変化するのに従って、人々の生活スタイルも床座から椅子座へと変化したのである。

 本書はタイトルにあるように、
台所の変化そのものよりも、日常で使われていた道具に焦点を合わせている。
米櫃、陶器や漆器といったうつわ類、箱膳、柄杓、ボールなどさまざまな物が、
近代化とともに変化した。
それはわが国の工業生産と平行現象だったが、それにともなって同時に、人々の生活や意識も変わったのである。

 明治から大正期にかけても、台所用具の材料には変化があった。以前の道具と同じ役割をする、形にも似たところのあるものが、変わった材料で作られるようになるのである。鋳物の鍋釜にホウロウをかけたもの、ブリキの缶類、トタン板を張った洗し台、トタンのバケツや洗い桶、アルミのやかんや弁当箱・バケツ・鉄線作りの揚げざるなどがその例である。それらは旧来のままの鋳物製品、木竹製品と並んで使われた。1930年代以後になると、また新しい材料が出てくる。先にも引用した「近代日本総合年表」には36年の年末に「アルマイト製弁当全盛」、翌年には「プラスチック什器登場」、41年には「プラスチック歯ブラシ現れる」とある。P235

 本書は台所関係の道具から、丁寧に生活を数え上げている。
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参考:
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004年
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
青山二郎「青山二郎文集」小沢書店、1987
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004年 
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命 ハッカー倫理とネット社会の精神」河出書房新社、2001
マイケル・ルイス「ネクスト」アウペクト、2002
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ジョン・デューイ「学校と社会・子どもとカリキュラム」講談社学術文庫、1998  
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
芹沢俊介「母という暴力」春秋社、2001
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975


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