著者の略歴−1896年東京に生まれる。1920年慶応義塾大学史学科卒業。宮内省の編修官・事務官,東海大学文学部教授を経て武蔵工業大学名誉教授,慶応義塾塾史編纂所員。著書:「土御門天皇と遺蹟」(1巻) 「野史編者贈従四位飯田忠彦小伝」(1巻) 「明治十五年朝野事変と花房公使」(1巻) アジアを歩くとき、ホテル選びにはいつも悩まされる。 高級ホテルにこしたことはないが、財布と相談がつかない。 安いホテルもいいのだが、サービスや設備が悪い。 どちらをとるかである。 そんなある時、ホテルの値段に関して、1つのことに気づいた。 それは風呂、つまりバスタブのあるなしである。
日本人の風呂好きは有名だし、今ではどこの家庭にも風呂がある。 そのため、風呂に入ることは、わけもないことだと思いがちである。 しかし、風呂に入るのはそう容易いことではなかった。 まず、風呂と湯の違いから。 「風呂」といえば、蒸風呂の略称で、釜に湯を沸かし、その蒸気すなわち湯気を密閉の浴室内に送り込むもので、(中略)次に「湯」というのは洗湯とも書き、今日の一般家庭や公衆浴場(町湯、銭湯)と同じものである。P10 ローマの大浴場もトルコの風呂も、蒸し風呂だった。 ふつうにいう風呂は、正確には風呂ではなく湯である。 もちろん、わが国の江戸時代、浮き世風呂もそうだった。 風呂には湯もあったが、今日のように明るくたっぷりとしたものではなかった。 それは簡単に想像がつく。 人間を入れるに足るほど大きな湯船に、 たっぷりとしたお湯をためることが困難だからである。 本書は引き続き次のようにいう。 その最初はおそらく木製の湯槽(風呂桶)ではなく、大きな鉄の湯釜が浴槽で、これには、別の湯釜にどんどん湯を沸かし、この湯を浴槽の鉄釜に運び入れるとか、樋などを利用して流し込み、これに適当に水をそそいで湯の加減を見て入浴する方法と、釜の下から直接に薪をくべて、適当な温度の湯に沸かして入る今日の長州風呂・五右衛門風呂類型のものの二つに大別され、更に後世に至っては鉄砲風呂のように浴槽の中で湯を沸かす装置のものなども出来たのである。P11
湯を沸かす装置も鉄製でなければならないし、薪も大量に必要だった。 毎日入浴するために薪をきっていれば、たちまちにして山の木は丸裸になってしまっただろう。 だから、入浴は贅沢なものだったのである。 現在でも、アジアの暖かい地方へ行けば風呂に入らず、 川や池で身体を洗っている地域は多い。 そして、寒い地方の人はめったに風呂に入らないこともある。 チベット人は一生の間に一度も風呂に入らないという話は噂だとしても、 彼等の生活環境を考えてみれば、あながち嘘だとも言えない。 上記のような環境で、旅行者が風呂に入りたいといったらどうなるか。 アジアの安宿にシャワーはあるが、水しかでない。 当然である。 水をためてシャワーにするのはそれほど難しくはないが、 それをお湯にするのは難しいのである。 その難しいことをやって欲しかったら、それに見あうお金をだす必要がある。 だから湯に入れるホテルは、必然的に高価になる。 大量の湯を沸かすのは、意外に大変なのである。 わが国でも、毎日に風呂に入れるようになったのは、最近のことだ。 1960年以前の都市部では、銭湯に通うのは普通だったし、 銭湯のない地方では貰い湯が当たり前だった。 何軒かの家で日を決めて順に沸かし、その風呂に近くの家の人たちが交代で入るのである。 入浴を頻繁にするようになったので、皮膚病は激減したのである。 そんなことを考えながら本書を読むと、近代社会の恩恵が何だかよく判る。
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