匠雅音の家族についてのブックレビュー    庶民の発見|宮本常一

庶民の発見 お奨め度:

著者:宮本常一(みやもと つねいち)
講談社学術文庫、1987(1961) ¥1、000−

著者の略歴−1907〜1981。山口県に生まれる。天王寺師範学校卒。武蔵野美術大学教授。文学博士。日本観光文化研究所所長。主著は「宮本常一著作集」(30巻)「私の日本地図」(15巻)H4「絵巻物に見る 日本庶民生活誌」中公新書「日本の村・海をひらいた人々」筑摩文庫ほか,学術文庫に「塩の道」「民間暦」「ふるさとの生活」「民俗学の旅」がある。
 真摯な農民研究家だった、宮本常一の最盛期に書かれたものだ。
あちこちに書かれたものを1冊にしたのが本書である。
本書は農民つまり普通の人いいかえると庶民の、日常をおったものである。
本書のなかには、庶民たちの元気で楽しくかつ貧しい生活が、共感をもって描かれている。
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 7章にわかれているが、前半の「貧しき人びと」「変わりゆく村」「山村に生きる」「村里の教育」あたりに、とても興味がひかれる。
後年、筆者は大学に職を得るが、若いときは自身も百姓だった。
師範学校卒業という経歴でも判るように、貧しいなかから苦労して学問を修めた。
百姓から立身出世して、百姓を忘れるのではなく、
筆者は一生にわたり百姓の問題意識をもちつづけた。
本書にも、筆者が百姓であると書いているし、
自分の問題として庶民を捉えているのがよく判る。

 江戸時代の産児制限から、浄土真宗の関係を論じ、人口の増加を考える。
浄土真宗のさかんだったところでは、間引きが抑制されており、人口が増えた。
そのために、農閑期の労働力が余ってしまい、出稼ぎに出るのが習わしだったとか。
最近でも東北からの出稼ぎが話題になったが、これも労働力が余ってしまったからであり、
人口を養うことができない貧しさのなせることだろう。
しかし、筆者は戦後の変化をよく見てもいる。

 われわれの子供のころ−いや、旅に日々をすごすようになった20余年まえまでは、 村の道をあるいていると、よく子供の泣き声をきいたものである。ことに日暮れどきなど 何かしらあわただしいものがあった。また泣く子を邪険にたたいている母親をよくみかけ た。そういうことに快感を覚えているのではないかと思われるようにさえみえた。子供たちも地団太ををふんで泣いたものである。また夜の村をあるいていると、子供をしめだして、家の中からどなりたてている親がよくあった。子供は外であらん限りの声で泣いて いた。たぶん外で日のくれるのを忘れて遊んできたのであろう。
 はげしく働かねばくらしのたたぬまずしい家に成長した私は、そういう情景に出あうたびに、まずしさがそうさせているのだと思っては、心をくらくした。しかし昭和15、6年ごろから、夕暮れなどに泣いている子供はしだいにへってきていた。とくに戦争がすんでからは、道の真ん中で地団太をふんで泣いている子供なんかあまりみかけなくなった。それは村里生活の何よりも大きな変化だと思っている。P107

 農耕社会が変化し始め、そこでの生活まで変質を始めた戦後。
筆者は敏感にそれを感じている。
子供が地面にひっくりかって、力一杯に泣くということはなくなってしまった。
泣いている子供を、大人はほっておけなくなった。
子供に大人が負けるのである。
農耕社会と工業社会では、子供と大人の関係が決定的に変わっている。

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 そうしたごく身近な日常の観察から、筆者はより本質的な部分へと筆をすすめていく。
村落共同体の同質な職業に生きる人たち、そこでは言葉がいらず、
全会一致の寄り合いがもたれる。
助け合わなければ生きていけなかった農耕社会の生活。
個人といった自我をもったら弾きだされてしまう社会。
そうした時代が本当に長く続いた来たのである。
戸数がまとまっている村落は生き延びることができるが、2、3戸では生き延びることができない。
どうしてもまとまっていなければならなかった。
それは家の人員についてもいえる。

 愛知県北設楽郡名倉の200年にわたる「宗門人別帳」をみていると、1家の人員が4人以下になると、みるみるうちに絶家しているのである。P190

 農耕社会とはいかに残酷な社会だったのだろう。
そうしたなかで生きるというのは、いかに困難なことだったろうか。
もちろん、当時の人たちは個人なんていう概念はもっていなかった。
現代社会のような個人意識をもっていたら、生きていけなかったのである。

 人間が1人前になる。
それもきちんと決まっていた。
労働における1人前、技術における1人前、社会的な地位における1人前、祭祀における1人前などなど、いろいろな規準があった。
とりわけ労働の1人前は基本的なもので、15〜19才を1人前の目安としていた。
1人前であるためには、田をうちおこして畝たてができ、肥桶をかつぎ、牛馬を使うことができる必要があった。

 女性は男性の、半分から70%が1人前の規準だった。
とにかく生きることが厳しい世界では、人間への絶対的な信頼がないとやっていけなかった。
残念ながら、ここにはフェミニズムが生まれる余地はなかった。
男女が平等では、人間は生き残れなかったのである。

 学校教育は国家の要望する教養を国民にうえつけることであったが、それは庶民自身がその子に要求する教育とはちがっていたということにおいて大きなくいちがいがあり、しかも両者の意図が長く調整せられることがなかったために、学校における道徳教育が形式主義にながれ、村里のそれが旧弊として排撃せられつつ今日にいたったために、村人たちは苦しみつづけてきたのである。つまり明治以来の日本人の道徳教育が、日本人の日々の民衆生活の中から必然の結果として生まれでたものでなかったということにおいて、公と私のはなはだしく不調和な、道徳に表裏のある社会現象を生みだすにいたった。P228

まったくもって、本書のいうとおりであった。
しかし、江戸時代の農耕社会を切り捨ててきたから、豊かな現代社会があるのである。
農民を切り捨ててきた、それが近代だったのである。
もはやかつての百姓はおらず、今いるのは利潤を追求する現代的な農民である。
近代的な人間に変身しなければ、農業従事者として生き延びることができないのである。

 哀惜をもって歴史を語る本書は、ほんとうの人間の歴史を知りたい人には必読であろう。
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参考:
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか 生態人類学から見た文化の起源」ハヤカワ文庫、1997
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田川建三「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」三一書房、1980
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
匠雅音「家考」学文社

M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
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ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
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オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992

J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992
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信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972

 
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